第8話 留仕込みの算段
学は頭の中で計算をしていた。
義父・正隆の遺産はいくらになるのだろう。 学は土地、預貯金、株、そして酒蔵「遠藤」の価値を頭の中で弾いていった。
しかも、酒蔵「遠藤」には市場に出れば即完売するという酒もある。
相続人は妻を含め三人。
三分の一としてもそれなりの額にはなるだろう。
上手くすれば、嫌な客に頭を下げることも、上司の顔色を伺いながら会社で働くとこもせずに過ごせることになるかもしれない。
期待をしてその場に臨んだ。
個人資産に付いてはそれなりだったが、一番価値のある酒蔵の相続についてが決まっていなかった。あの酒蔵が有るのと無いのでは相続額が違ってくる。
義弟で長男の正樹は酒蔵を継ぐ気はないらしい。もうひとりの義弟である圭吾については、咲が毛嫌いして、株主として、絶対に相続させないと言い切った。
そうなるとーー
(うまく転べば、酒蔵は咲のものになる)
咲を慰めながら、内心では笑いが止まらなかった。
「学さん」
酒蔵へと続く道で学は出島に呼び止められた。
出島は遠藤の杜氏で酒造りおける最高責任者だ。杜氏の腕ひとつで酒の出来不出来が決まる。出島は杜氏として一流の腕を持っていると聞いていた。
「出島さん……なにか?」
「酒の造れん咲さんじゃあ、遠藤は継げんよ。学さん、あんたにも無理だ。杜氏としても、絶対に就かせん」
遠藤の名が染め抜かれた法被を指で撫でながら出島が低い声で告げた。
計算を見透かされたようで、学はカッとなったが、営業職で培った経験で抑え込む。
「嫌ですよ、僕はそんなこと思ってもいませんよ。ただ、咲が頑なでどうしたものかと、考えてたんですよ」
「……そうか……ならいい。酒は生き物だ。愛してない奴には造れん」
それだけを言い残し、出島は学に背を向けた。
引きつった笑みを浮かべた学は出島が去った方角を睨んでいた。
(たかが、従業員のくせに……)
「やれやれ、出島さんはなにもわかっていない」
「高村さん……見ていらっしゃったんですか?」
遠藤の法被を着た高村が立っていた。
「次の工程に付いて打合せをしようと探していたら、出くわしただけですよ」
高村はそう言って苦笑した。
「お恥ずかしいところを……」
「そんなことはないですよ。あのひとは、杜氏としては一流なんですが、酒造り以外には興味がないんです。経営も大事なんですけどね」
学はその台詞から高村の本心を探った。
高村は杜氏を補佐し蔵人をまとめる立場にいる頭だ。頭という立場上、人当たりがいい。杜氏になるだけの実力もあるらしい。正隆が誉めているのを聞いた。確かに、相談しやすい雰囲気を持っていた。だからだろうか、つい
「社長なんて経営をすればいいだけでしょう。酒造りは杜氏がやるんですから」
と不満を零した。
「経営も大事です。しかし酒が売れなければ話になりませんよ。」
高村が学にやんわりと諭すように言い、出島が去った方に顔を向けた。
「出島さん、もう引退する頃合いなんですが、現場が好きなんですよ。本当に杜氏として、頑張ってきたんです。だから、私としてはそろそろ引退してゆっくりして欲しいですが、杜氏としての誇りが強いひとでなかなかね……」
「そうなんですか。大変ですね」
「ははは、まぁ頭っていう立場そんなものんです。これから、どうなるか……」
「そうですね」
「新しい社長が誰になるかは知りませんが、私はできるなら経営に明るいひとがいいなぁ……」
「出島さんは違う考えみたいですよ」
「あのひとは、酒が第一ですからね」
仕方ないといった風に高村は肩を竦めた。
「高村さん、今晩お時間ありますか?」
「なにか?」
「少し、相談させていただきたいことが……というのは建前で、息抜きに付き合ってくださいよ」
学は愛想のいい笑みを浮かべたその内側で、高村を引き込むことを計算していた。
圭吾は薄暗い酒蔵の一階にいた。
タンクを撫でる。
ここに引き取られ随分経つが、いまだに居心地の悪さを感じている。
婚外子というレッテルは剥がしようもない事実だ。
義母は父の手前、酷い扱いをしなかったが、いつも圭吾を凍るような目で見ていた。
義姉の咲はことあるごとに蔑み、憎しみをぶつけてきた。
それはわからないでもない。
やるせなくなったときに逃げ込んだのが、酒蔵だった。
「駄目かなぁ……」
父が亡くなったいま、自分の居場所は失くなるかもしれない。
義兄の正樹は異分子の自分を弟して扱ってくれているが、引け目があり素直になれなかった。
シュワシュワ
プツプツ
発酵の音。
聞いていると心が落ち着く。
酒になろうと足掻いている証拠。
毎日、温度管理をし、醪の健康状態を把握して、醪をかき混ぜて手助けをしてやる。
旨い酒になれよと。
蔵人として働いているときは、気が抜けないため煩わしいことを忘れられる。
だから圭吾は蔵人として働くのが好きだった。
もう少ししたら発酵期間が終わる。
今年の出来はどうだろうか。
出島も高村も、今年の出来について険しい顔はしていない。
きっと今年も良い酒になる。
(……ここで造る、最後の酒になるかもしれない)
圭吾は寂し気な笑みを浮かべたあと、胸に溜まったものを吐き出すように、静かに息を吐いた。
圭吾は月明かりに照らされた仕込みタンクへ静かに手を置いた。
「旨い酒になれよ」
そう呟く声だけが、静かな蔵に溶けていく。
プツプツ。
発酵音だけが返事をするように、静かな蔵へ響いていた。




