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黒猫ヴァレリーの事件簿Ⅱ  作者: 高橋 なぎ
遠藤酒造の悲劇
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第7話 醪が泡立つ前夜

 仏壇には正隆の遺影と遺骨が飾れていた。

 部屋には線香の匂い。

 神崎に呼ばれ、咲夫妻と正樹、圭吾は正樹は仏間に集まっていた。

 座卓を挟んで咲夫妻が座り、正樹と圭吾が並んで座っている。

 ピンと張り詰めた空気はこれから発表される遺言の内容のためだった。


 白髪に眼鏡の神崎が鞄から白い封筒を取り出した。

 封筒には正隆の実印により封緘されていることを正樹たちに確認させると、神崎が封を切った。


「それでは読み上げます。私、遠藤正隆が他界した場合、私の私有財産は以下のように相続させる……」


 神崎が読み上げた内容は正隆の私有財産は姉弟で三等分し相続せよと記載れていた。


「神崎先生、待って!」


 咲が鋭い声を上げた。


「咲さん、なんでしょう?」


「酒蔵遠藤については、どうなるの?遺言に書いてないの?」


「書いてございません」


「何か聞いてないんですか?」


 咲の夫である学が身を乗り出すようにして尋ねた。


「故人は生前、ご自分の口から話すと仰っていたので……聞いていらっしゃる方はいないのですか?」


 咲たちは顔を見合わせた。


「正樹、あんたなにか聞いてる?」


「いや、なにも……圭吾はどうだ?」


「僕も聞いてないです」


 正樹が


「先生、この場合はどうなりますか?」


「ご遺族での話し合いとなります。ただ……」


 神崎が一旦、言葉を切った。

 遺族に目を合わせ、


「先代は口癖のように、遠藤の酒を愛し、手法を愛して受け継いでくれる者に引き継がせると仰ってました」


「……そう……」


 一瞬、咲は目を眇めて圭吾を見た後で、正樹に


「正樹、あんたは長男よ。あんたがこの遠藤の跡を継ぐべきだわ」


「はあっ?何言ってんだよ。俺に酒造りは無理だ。蔵人として働いている圭吾でいいじゃないか」


「正樹兄さん……」


「それこそ、なにを言ってるのよ!?圭吾は婚外子よ!圭吾に遠藤を継がせるなんて、私は認めない!」


 熱り立つ咲の言葉に圭吾はズボンをぎゅっと握りしめた。


「まだそんなこと言ってんのかよ。いい加減に圭吾のことを認めろよ」


「認める?馬鹿なこと言わないでよ!あんたは忘れたの?お父さんに裏切られたお母さんがどんな思いをしたか!お母さんが毎晩泣いていたのよ? 私は忘れてないわ!」


「それは親父とお袋の問題だ。圭吾には関係ないだろうが!」


「関係ないですって?正樹、あんた本気で言ってるの?」


「ああ、本気だ」


「……認めない……あたしは認めない。圭吾が後を次ぐなら株主として拒否するからっ!」


 咲は怒りのまま立ち上がり、仏間を足早に出て行った。


「さ、咲っ!正樹君、圭吾君、すまない」


 学が追いかけて行った。

 圭吾が正樹に頭を下げた。


「正樹兄さん、すみません」


「謝るな。謝るのはお前じゃない。俺は日本酒は好きだが、造るのは無理だ。酒を造れるのはお前しかいないんだからな」


「……はい……」


「神崎先生、会社のことを後で、相談させてください」


 神崎は頷いた。



 咲は自分たちの部屋に飛び込んだ。

 部屋の真ん中に崩れ落ちるように座り込んだ。

 じわりと涙が浮かぶ。


「なんで……なんでよ……あの子には渡さないわ。渡すくらいなら……」


 追いかけて来た学は膝をつくと咲の肩を抱いた。


「咲……」


「圭吾だけは絶対に嫌!嫌なのよ!」


「咲、落ち着け、お前の気持ちは分かったから、なっ。」


「あなた……」


「大丈夫、大丈夫だ。まだ決まってはいないんだからな」


「……そうね」


「……そうだな、正樹君が継がないのなら、お前が継げばいいんじゃないか?俺も力になるよ。会社のことなら少しは役に立てるかもしれない。俺は酒造りはできないが、酒造りは杜氏たちに任せれば、何とかなるだろうしな」


 学は落ち着かせるように咲の背中を擦っていた。


「ええ、ええ、そうね」


 咲は学にもたれ掛かり、目を伏せた。

 学は咲を抱き寄せた。


「咲にだって、権利はある。咲が思うようにすればいい」


 その口元には、ごく僅かな笑みが浮かんでいた。



 少し離れた廊下で腕を組み、正樹たちのやり取りを聞いていた恭介は、苦々しげにため息を吐いた。

 足元にはヴァレリー。


「複雑だな……」


「実に人間らしいがな」


 ヴァレリーは静かに目を閉じた。


「酒の澱は時間が経てば沈む……」


 恭介は足元のヴァレリーを見た。


「だが、人の心の澱はそう簡単には沈まん」


 ヴァレリーは何も言わず、廊下の奥へ視線を向けた。

 金色の瞳だけが静かに光っていた。

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