第6話 添え仕込みの違和感
パトカーや警察車両が停まっている酒蔵「遠藤」の周りには人混みができていた。
警官が店前に立ち、黄色い規制線が張られている。
スマホを向けて写真やビデオを撮る者や覗き込んでひそひそと話す声は好奇心が色濃く表れていた。
キャリーバッグの中から
「嫌な匂いだ」
「ヴァレリー?」
旅館からキャリーバッグを持って歩いて来た恭介は呟きを耳にして、足を止めた。
「千束!」
正樹が人を掻き分けるようにして恭介の元に来た。
正樹の表情は強張っていた。顔色も悪い。
「なにかあったのか?」
「ああ……酒蔵で金田さんが……死んでいた……」
恭介は息を飲んだ。
「にゃあ」
とヴァレリーがひと鳴きした。
恭介たちは遠藤家の居間に通された。
和室に応接セットとサイドボードを置いた部屋だった。サイドボードの上にはコンテストで勝ち取った盾や家族で撮った写真が飾られていた。
焦げ茶のレザー張りの長椅子に恭介とヴァレリーが座り、正樹は一人掛けの椅子に座った。
染み付いた麹の香りの中に微かな線香の匂いが混じっていた。
「もう、なにがなんだかわからん……」
正樹が頭を抱えた。
「親父に次いで金田さんまでが……」
キャリーバッグから出たヴァレリーが恭介の腿に前脚を乗せた。
恭介はヴァレリーの顔に目を向ける。
ヴァレリーの顔が窓の外を指した。
「なぁ、遠藤、その酒蔵を見ることはできないか?」
「千束?」
「お前から頼まれた件もあるし、序に確認してやるよ……まぁ、お前が許可してくれたらだけどな」
「すまん。頼む、千束」
「わかった。その代わり、何かわかったらお前の店で奢れよ」
恭介の腿にヴァレリーが軽く爪を立てた。
「って……その時はこいつも同伴になるがな」
恭介の軽口に正樹が小さく笑みを浮かべると、
「ああ、個室を用意してやる。猫にも旨いと言わせる料理も用意してやるよ」
正樹の強張っていた表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
鑑識が入り、一通りの現場検証が終わったのは、陽も傾いた頃だった。
西陽が長い影を落とし、吹く風も冷たさを増していた。
正樹と連れ立って薄暗い酒蔵に入る。
途端に甘い麹の匂いに包まれた。
部屋の端に設けられた階段を登ると、階段板がぎしぎしと音が鳴った。
二階に上がるとざっと、辺りを見回す。
一列に並べられた櫂棒、油単で蓋をされたタンク。
正樹はタンクに近づこうとした恭介の腕を取り、足を止めさせた。
「気をつけろよ」
「何がだ?」
「換気は徹底しているが、発酵で生じた二酸化炭素が溜まっている。タンクに不用意に近づくと一呼吸で気を失うからな」
恭介が息を飲んだ。
いまは油単がされている並んだタンクを見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
ふっくらと膨れている油単の下にそんなに危険なものがあるとは思ってもみなかった。
前はタンクから離れた手摺りに近い場所だったので、言わなかったらしい。
はっとして、ヴァレリーはと探すと、ヴァレリーそんなことは分かっているとばかりに距離を取っていた。
(ひと言言ってくれても、いいだろうが)
と恨みがましい目を向けるが、知らないほうが悪いという目をされた。
ヴァレリーがじっと奥の油単を見つめ、恭介の顔を見た。
はいはい、調べてきますよ。俺が調べてくればいいんだよなと油単に近づこうとしたとき、正樹の真剣な声が飛んだ。
「千束、タンクの縁には、絶対に身を乗り出すな、いいな!」
「わ、わかった……」
恭介はごくりと唾を飲み、慎重に歩を進めていった。
タンクに近づきすぎないよう距離を保ったまま、恭介はスマートフォンで何枚か写真と動画を撮った。
「ぷはっ」
知らず知らずに止めていた息を一気に吸った。
これでいいんだろうと恭介はヴァレリーがいた場所を見たが、ヴァレリーはいなかった。
キョロキョロと探すと正樹を連れたヴァレリーが櫂棒のところにいた。
(俺に確認に行かせといて、自由過ぎるだろう)
呆れ半分苛立ち半分で恭介はヴァレリーと正樹の元に向かった。
「遠藤。こいつがすまん」
「いや、お前に似ず、賢い猫だな。こっちに来るときに俺の足元を突っついて合図を送ってきたぞ」
正樹は感心しきりだった。
ヴァレリーがふふんと笑った気がする。
だからか、つい、
「その代わり、性格は最悪だぞ」
と言ってしまった。
「そうか?」
「そうなんだよ」
不意に
「正樹さん、こちらにいらっしゃいますか」
酒蔵の入口から声がかかった。
顔を覗かせたのは出島だった。
「ここにいます。用ですが?」
「神崎先生がお見えです」
「神崎先生が?なんだろうな……」
「神崎先生?」
「遠藤と顧問契約を結んでいる弁護士だ。千束、お前まだ調べるか?」
「そうだな……」
ちらりとヴァレリーを見ると、瞬きをした。
「もう少し、調べていいか?」
「そうか。なら、安全確保のために誰かをここにやるから。十分に気をつけてくれ」
「悪いな」
「いや、こっちこそ、付き合えなくてすまん」
正樹は片手を上げ、踵を返して階段を降りていった。
出島と連れ立って蔵をでた。
自分たち以外、いなくなった酒蔵では
ポコポコ
シュワシュワ
という発酵音が聞こえてくる。
「それで、なにかあったのか?」
ヴァレリーが顎をしゃくり、並んでいる櫂棒を指した。
「後だ。見てみろ」
恭介は壁に立て掛けられた何本もの櫂棒の後を、スマートフォンの明かりで照らし、覗き込んだ。
床にはなにもない。
櫂棒と壁の隙間にも。
なにもないじゃないかと言いかけそうになったとき、一本の櫂棒の影に、違和感を覚えた。
櫂棒の柄と漆喰の壁が重なる暗がりに、醪でカピカピに固まった薄い「何か」が、まるで楔のように挟まっている。
恭介は手を伸ばしてそれを引き抜いた。
その紙幣は、微かな湿り気を残して、硬いプラスチック片のようにカピカピに固まりかけていた。
「こんなところに、何で一万円札が落ちているんだ?……糊付けしたみたいだな、これ」
「見せろ」
ヴァレリーに言われ、恭介は屈んでヴァレリーに近づけた。
ヴァレリーは鼻を引くつかせる。
「醪の匂いだ……」
紙幣に鼻をつける。
「なんで、そんな匂いがするんだ?」
「恭介、頭は使うためにあるんだ。考えて見ろ」
「言われると思った」
恭介はがくりと頭を落とした。
染み付いた醪の匂い。糊付けしたような紙幣。
(醪って材料は……米だったよな……あっ!?)
「タンクに落ちたのか、これ」
ヴァレリーは目を細めた。
「これ、まだ乾ききっていないところをみると、落としたのは昨夜だよな」
恭介は目を見開いた。
「そうか、金田さんがここに来たのは、きっと金を受け取るためだよな。そして……」
「やれやれ、実に面倒なことになってきたな」
ヴァレリーの目が暗い酒蔵で輝いた。
「ああ、ここに居たんですか」
そう言って入ってきたのは江田だった。
「正樹さんから頼まれて来たんですが……何かお手伝いすることはありますか?」
「いや、大丈夫です。一通り見たので退散しようかと思っていたところですから」
「そうですか……」
江田が何か言いかけて口を閉じた。
恭介は
「江田さんどうかしましたか?」
「……」
「江田さん?」
「あ、すいません。ただ、出島さんと社長が言い合った日に、酒蔵で社長が死んで、金田さんは酒蔵のタンクに落ちて……なんで酒蔵ばっかり」
空恐ろしいものを見るように、江田は酒蔵を見たのだった。




