第4話 仕込み前の静けさ
冬の晴れ間――
遠藤正隆の葬儀が営まれた。
老舗酒蔵「遠藤」はこの時代に公式ホームページを持たず、来店して購入するか、直接卸している特約店で購入するしかない販売手法を取っていた。
遠藤でしか作り出せない銘酒「稜線」は幻の銘酒といわれ、市場に出回ることが少なく、定価の十数倍の値段で二次流通している上、地元に密着した酒蔵であるが故に、地元に愛された「騎将」は確固たる売上げ基盤を持っていた。
その経営者であり、山形酒蔵組合の理事でもある遠藤正隆の葬儀は壮大なものになった。
檀家の寺院には夥しい供養花が並び、山門から本堂へ続く石畳には、黒い礼服に身を包んだ男たちが一列に並んでいた。「遠藤」の従業員たちは冷たい風に耳を赤くしながらも、慣れない手つきで芳名帳をめくり、押し寄せる参列者をさばいていた。
「お焼香、次の方、どうぞ」
堂内では、案内役の従業員が低い声で指図を飛ばしている。
百畳敷きはある本堂の正面の須弥壇には、格式高い五具足の仏具が並び、その中心で故人の遺影が穏やかに微笑んでいた。
恭介は参列者の一番後ろの席に座り、足元にキャリーバッグを置き、昨日のことを思い出していた。
恭介は正樹の案内で彼の父親が死んだ酒蔵へと案内された。
酒造は北側に仕込みや貯蔵を行う「大蔵」と南側に作業スペースや「前蔵」を連ねた重ね蔵という構造になっていた。
自然の気候風土を活かして温度や湿度を調整し、効率よく酒を造るために計算された木造建築の蔵は、外壁が漆喰と表面を炭化した「焼杉」板で作られ、二階建ての蔵の窓には堅格子を土で固めた虫籠窓や、重い荷物を出し入れするための頑丈な「酒屋格子」があった。
中に入ると、薄暗く、土間は三和土が広がり、天井は高く、頑丈な太い梁で組まれていた。
「にゃあ」
ヴァレリーがキャリーバッグから出せとでもいうように鳴いた。
「遠藤、こいつを出していいか?」
「いいけど……出して大丈夫か?逃げ出してたら大変だぞ」
「それは大丈夫だ」
恭介はキャリーバッグの入り口を開けた。
ヴァレリーはキャリーバッグから出てくると、やれやれというように前足を支えに後ろ足を伸ばした。
恭介はヴァレリーを抱いて
二階に上がった。
二階は低く太い梁が渡る板敷きの空間で、温泉の熱気と蔵の冷気が二階の空間でぶつかり合い、窓ガラスを重い結露で白く曇らせていた。二階から一階を見下ろせるようになっているが、安全対策のため木製の手摺が設けられている。
恭介は手摺越しに下を見た。
(ここから落ちたのか……)
恭介の足元ではヴァレリーが板の間の匂いを嗅いでいた。
「麹の匂い強いな……強すぎて跡を追いづらい……」
手摺から靴一つ分離れた場所でヴァレリーが座った。
「ここだ。ここで匂いが切れている」
「そこからだと落下は手摺で防げるんじゃないか」
「多分な……だが、落ちることもある」
「なら、事故を否定できないな」
ヴァレリーは手摺の隙間から三和土をじっと見ていた。
「なるほどな……仰向けに落ちた遺体か……」
「なにがなるほどなんだよ。事故だろう?」
「いや……事故ではない」
思わず、息を飲み恭介はヴァレリーを見た。
ヴァレリーは身を翻すと恭介を置いて、すたすたと階段を下りて行く。恭介は慌てて跡を追った。
(なんでヴァレリーは殺人と判断したんだ?)
いくら考えても理由がわからない。
そうこうするうちに
ゴーン。
と重々しい鐘の音が堂内に響き渡った。
鐘の音が恭介を現実へ引き戻した。
導師をはじめ、近隣の結衆寺院から集まった総勢七名の僧侶が、金襴の袈裟を翻して入場してきた。 一斉に始まった読経は、複数の声が重なり合い、本堂の太い梁を震わせる地鳴りのようだった。
木魚の乾いた音が規則正しく刻まれる中、参列者たちは一言も発さず、ただ煙の向こうを見つめていた。
恭介の席からは正隆の遺族がよく見えた。
上座には喪主であり、長男の正樹が喪服姿で座っていた。
正樹の横には長女夫婦と二人の子ども、その横には次男が座っていた。
長女の菅谷咲は正樹の姉で四十代半ば。夫の学と結婚後、学の仕事の関係で現在は静岡に住んでいる。勝ち気で潔癖症気味な性格故に婚外子の次男とは折合いが悪い。今も次男の方を一切見ない。咲の夫の学は自動車メーカーに勤める四十代後半のサラリーマンで営業職に就いているせいか、愛想がいい。子どもたちは上が高校生で下は中学生。どちらも生意気盛りだと正樹いっていた。いまもつまらなそうにしている。
次男の圭吾は正隆が外に作った子どもだった。中学生までは母親の元で暮らしていたが、母親が病気で死亡したために父親である正隆が引き取った。その時はいろいろと一悶着あったらしい。現在は遠藤で杜氏として働いている。三十代前半で妻子はいない。婚外子ということで、引け目があるのか主張することはあまりないらしい。正樹によると、それがもどかしいらしい。
「やれやれ、実に人間らしい複雑さだな」
キャリーバッグの中でヴァレリーが呟いた。
恭介はキャリーバッグを持つとそっと席を立った。
本堂の廊下に出ると葬儀に参加しているほとんどの人間が焼香に集中しており、こちらに気を配る者はいなかった。
キャリーバッグを開けるとヴァレリーが目を眇めて迷惑そうな顔をした。
寒さに抗議しているのだろう。
恭介は無視を決め込んだ。
「事故があったとき、酒蔵に出入りしても不自然じゃない身内は圭吾くらいだよな……」
「それはどうかな……」
ヴァレリーがため息を吐いた。
「どういうことだ?」
「遠藤にいても不思議ではない人物は、他にもまだいるぞ」
ヴァレリーは横目で、受付を忙しなく動き回る江田を見やった。
「そうだった……従業員もだな……」
「杜氏、蔵人、頭、麹氏、酛廻り、事務員……全員が蔵に入れる」
「全員が……」
何の気なしに受付に目をやると、昨日顔を合わせた金田と背は高くないが、がっしりとした身体つきの喪服の男性が話しているのが目についた。
白髪混じりの角刈りに痣のある頬。
「あれは……杜氏の出島さんか……」
『親父と出島さんは、酒の話になると二人とも譲らないんだ。蔵じゃ日常茶飯事だったよ……お互いに短気で頑固でな。けど、翌日にはけろっとして酒飲んで笑ってた。それを見て、高村さんは、「まったく、いつものことながらあきれますよ」と、苦笑いしてたな』
正樹の言葉を思い出した。
出島は何事かを金田に頼んでいる様子だった。金田が面倒くさいとでも思っているのか、視線を下に向けたまま聞いていた。偶にストラップの房を弄っていた。金田は自分の前から出島がいなくなると直ぐにスマートフォンをいじり出した。
出島が立ち去ろうとした時に、やや猫背気味の背が高い男性が受付にやってきて、出島に話しかけていた。
「蔵の実務を取り仕切る頭の高村氏か……」
出島が頷き、本堂の方へ歩いて行く後姿を高村が目で追っていた。
「おい、恭介、そろそろ戻らないと経が終わるぞ」
本堂の木魚の音が止まった。




