第3話 初澱の気配
山形新幹線が人影疎らなホー厶へ滑り込んだ。
ドアが開いた途端に、冷たい風が車内へ入り吹き込んできた。
「やっぱり、こっちは冷えるな」
ホー厶に降り立った恭介はダウンジャケットの前を掻き合わせて肩を竦めた。
北風が吹き抜ける。
冬用のキャリーバッグに入っているヴァレリーが
「寒いぞ」と文句を言った。
「いや、寒いのは俺のせいじゃないし」
「さっさと暖かいところに行け」
「はいはい。ったく、どこのお猫様だよ」
恭介はキャリーバッグとガーメントバックを手にすると歩き出した。
東京駅から山形新幹線に乗車して、三時間足らずで、遠藤の故郷天童市に着いた。
駅に一歩降り立った瞬間から「将棋の街」を感じさせた。
駅前の道は広く綺麗に整備されており、その先の温泉街にも歩いて行けた。
温泉街は山形盆地の東にあり、温泉街から見上げれば奥羽山脈の雄大な稜線がすぐそこに迫っている。
ほのかに漂う湯の香りに包まれながら歩けば、ポストの上にも、足元の舗装にも、いたる所に将棋の駒が彫り込まれていた。
(旅行だったら良かったのにな……)
恭介はズレたガーメントバックを肩にかけ直した。
温泉街の賑わいから少し離れた一角、奥羽山脈を背景にそびえる漆黒の格子窓と大きな杉玉が、百三十年の歴史を刻む老舗造酒屋「遠藤」の風格を漂わせていた。
伝統的な漆喰の白壁、重厚な木製の引き戸を開けると、薄暗い土間の向こうで、名だたる吟醸酒の瓶が芸術品のように静かに光を放っていた。
店に入った瞬間、ヴァレリーが鼻をひくつかせた。
「……麹の匂いか……いい匂いだ」
店の中には誰もおらず、麹の甘い香りが漂っているだけだった。
「ごめんください」
恭介は店の奥に声をかけた。
誰も出て来ない。
再度、恭介は声をかけた。
「すみません、誰かいませんか?」
ばたばたと音がして、「遠藤」と名の入った紺色の法被を着た若い従業員が出てきた。
その従業員は店表を見回すと、顔を顰めた。
「金田さんまた、いないのか」
そう文句をいうと、慌てて、恭介に頭を下げた。
「すみません、いらっしゃいませ」
「あの、こちらに遠藤正樹さんはいらっしゃいますか?」
「いらっしゃいますけど、どちらさまですか?」
若い従業員はじろじろと訝しげに恭介を見る。
「今日、正樹さんと約束をしている千束と言います」
「千束様ですか……」
従業員が戸惑いを見せていたとき、店奥から若い女性がピンクの房の付いたスマートフォンを片手に出てきた。
この女性も同じ法被を着ていることから、ここ従業員とわかった。
少し派手な印象があり、この店には似合わないなと恭介は感じた。
「金田さん、どこに行ってたんだよ。ちゃんと仕事しろよ」
従業員が注意をすると、
「ちょっと、お手洗いに行ってただけじゃない。ちゃんと仕事はしてるわよ」
「サボるのも仕事っていうのかよ」
金田と呼ばれた女性が小馬鹿にしたように言い返した。
「私がサボっていた証拠でもあるの?」
「いつも酒蔵の影でスマホ弄っているのを知っているんだぞ、俺は!」
「えっ、嫌だ。江田っち私のことずっと見張ってたの?細か過ぎるでしょ、江田っち。そんなんじゃ、モテないよ」
江田の顔色が怒りで赤くなり、
「何だと!」
このままでは喧嘩になりそうだと判断した恭介が割って入るように
「あ、あの、江田さん、それで正樹さんは?」
恭介の声に二人ははっとして言葉を噤んだ。
江田はバツが悪そうに頭を掻き、「すぐに聞いてきます」と言って、店奥に走って行った。
金田は恭介を一瞥すると、興味津々とばかりに近づいて来た。
「お見苦しいところを見せて、すみません。お客さん、正樹さんのお友達ですか?」
「大学時代のですけど」
「やっぱり。どこか違うと思ったんですよね。そのダウンジャケット、イタリアのブランドのですよね。さすが東京にお住まいの方はここと違いますね」
「はぁ……」
「あっ、もう観光とかしました?私、この辺詳しいんですよ、地元ですから。まだなら、私が」
「金田さん、仕事に戻って。恭介、待たせて悪かったな。奥に来てくれよ」
セーターにチノパンといった服装の正樹が顔を出し、奥に恭介を呼んだ。
恭介は軽く手を挙げて奥にと入って行った。
「ふ〜ん、恭介さんっていうのかぁ」
金田は目を細めて恭介の後姿を見送った。
「面白そうな人」
金田はスマートフォンのピンクの房をくるりと指先で回し、小さく笑った。




