第2話 水麹のような不穏
愛車の軽自動車を運転しながら恭介は助手席に座るヴァレリーを見た。
一条寺家から銀座へ続く道路は混雑もなく、この調子でいけば約束の時間に余裕で着くと思われた。
「おい、なんで付いて来たんだ?」
「気になるからからに決まっているだろう。冬の嵐は夏のそれと違い厄介だからな」
と、ヴァレリーに含みがあるように言われる。
いや、たかが友人からの電話で厄介事の匂いを嗅ぎ取るなんておかしいだろう。俺の友人は事件配達人か何かなのかとヴァレリーに言ってやりたい。
「それで、その友人とやらは何者だ?」
子どもの交友関係を気にするような聞き方だった。
恭介は左にハンドルを切りながら、内心で「お前は俺の親か」と愚痴る。
「名前は、遠藤正樹。山形の老舗造酒屋の長男だ」
「ほう、酒蔵の息子か」
「ああ。だが、遠藤は俺に酒造りはできんと言って、卒業後、大手企業に就職したが、三年で退社。いまは、退社後に起業した日本酒カフェの店主だ」
「日本酒カフェ?奇妙なコンセプトだな」
「女性を集客しやすいようにしたらしい」
「目の付け所がいいな」
「?」
「居酒屋や小料理屋などは若い女性や女性ひとりでは入り辛い。だが、カフェだと気軽に入れ、デートや女子会にも使える。飲食に使う単価は女性の方が高い」
「へえっ、そうなんだ」
「そんなことも分からないのか?何のために毎日、決算報告書を確認しているんだ」
「だから、俺は経営は苦手なんだよ!」
「当主失格だな」
ヴァレリーがひとつ欠伸をした。
「まぁ、いい。続きを言え」
恭介は苦虫を噛み潰したよう表情になった。
「カフェと銘打っているが、店の中は造酒屋の蔵がべースになっていて、料理も美味かった」
「ふむ、やはり儲かっていそうだな」
「日本酒も取り揃えてあるし、酒毎に合う料理も置いてある。親しい仲間内で集まる時には遠藤の店を使うことにしているよ……」
恭介は一度、言葉を切った。
「……気になるのか?」
「そうだな……快活だった男が、言い淀むって余程のことじゃないか?」
「お前、少しは成長したか」
「だからって、お前まで来ることはないだろう」
「気にするな。ちょっとした好奇心だ」
「好奇心、猫をも殺すとか言わなかったか?」
「その後に、だが、満足が猫を生き返らせたと言う返し文句があるのを知っているか?」
「ぐっ……」
ヴァレリーがニヤリと笑って、恭介に目を向けていた。
(確かに、こいつならリスクを冒しても、知る喜びには価値があるとでもしたり顔で言うよな、猫のくせに)
恭介は、はぁっとため息を吐いた。
待ち合わせ場所はヴァレリーを連れて行っても文句を言われない所、ということで一条寺家と付き合いのある喫茶店にした。
近くの駐車場に車を停めると、ヴァレリーをキャリーバッグに入れた。
乾いた冷たいビル風が吹き付けてくる。
ビルの間から垣間見える空は雲が少なく晴れていた。
恭介はキャリーバッグを持って歩き出した。
約束の時間より前に喫茶店の前に立った。
銀座の大通りに面した大理石とガラス張りで造られた喫茶店は高級感がある。以前なら縁のない場所だ。
しかも、たかがコーヒー一杯に二千円も取る。万年懐が寂しかった恭介には足を踏み入れることさえ躊躇した場所だった。
店に入ると、支配人らしき黒服をきた中年男性が近づいてきた。
男は一礼すると、
「千束様でございますね」
「はい……」
「藤堂様より申し使っております。どうぞ、こちらへ」
店の奥にある個室へと案内され、中に入ると落ち着かない面持ちの遠藤がいた。
「待たせたか?」
恭介を見た遠藤は挨拶もそこそこに開口一番、
「お、おい、千束、お前宝くじでも当たったのか?」
(だよな……零細企業の探偵事務所が銀座の一等地にある喫茶店の個室に呼び出せば、誰だってそう思うよな)
恭介は内心で苦笑した。
「まぁ……そんなところだ」
一条寺実淳の莫大な遺産を相続したことを恭介は誰にも言っていない。
財産は祖父の物であり、自分が貯めた物でないし、それにより恭介に対する態度が変わっていくのが嫌だったせいもある。
知られている場合は仕方ないと、諦めていた。
「ここに案内された時、間違いじゃないのかと何度も確認したぞ」
「悪かったな。こいつがいるんでな」
恭介はキャリーバッグを上げて見せた。
ヴァレリーが猫らしく、にゃあと鳴く。
「猫か?」
「ああ」
「お前、猫恐怖症じゃなかったか?」
遠藤は首を傾げた。
「まぁな。いまもこいつ以外は駄目だ。こいつは猫の括りにしたら駄目な猫だからな」
「意味がわからん」
「そうだよな。実は俺もだ」
二人は顔を見合わせると笑った。
恭介はキャリーバッグを隣の椅子に置いた。
恭介のコーヒーが運ばれてきて、遠藤の方にもお代わりが置かれた。
「それで、俺になんの用だ?」
コーヒーを一口飲み、恭介が尋ねた。
遠藤の顔から笑みが消えた。
「……実は、親父が死んだ……」
「なんと言っていいか……病気か?」
「いや、事故だと警察は言っていた」
「それは……ご愁傷さまだったな」
「ああ、ありがとう。俺も急だったから、まだ実感はないんだ。だが、どうしても気になることがあってな……」
「気になること?」
遠藤はどこか遠くを見るような目をしていた。
「親父の遺体が見つかったのは、酒蔵だった。お前、俺の店に来てるからわかるよな。蔵は二階建てなっているっていうのは」
「ああ、お父さん、二階から落ちたのか?」
遠藤が頷き、肯定した。
「それで、何がおかしいんだ?」
「親父は物心ついた時から酒蔵に慣れ親しんでいた。毎日あの蔵を歩いていて、暗闇でも目をつぶって歩けるくらい慣れてた人なんだ。その親父が誤って、転落をしただと?と考えたら、どうしても腑に落ちなくてな……」
「遺体におかしなところでもあったのか?」
「いや、別におかしなところは無かった。警察も仰向けの親父の遺体を見て、事故と判断したくらいだ」
「なら、何だ?」
「俺も上手くいえないんだ。だが、なんかおかしいんだよ……恭介、頼む。調べてくれないか?」
「調べてくれと言われてもなぁ……」
警察が事故と判断したものをと恭介が言い淀んでいたとき、
「にゃあ」
と、ヴァレリーがひと鳴きした。 その鳴き声は、「引き受けろ」とでも言っているようだった。
なにかあるのか、と恭介はキャリーバッグの中のヴァレリーへ目を向ける。
ヴァレリーはじっと遠藤を見ていた。
金色の瞳が静かに光っていた。
「……匂うな」
小さく漏れたその一言だけが、恭介の耳に届いた。




