第12話 スティラージュ――澱抜き
一条寺家の別邸を訪ねて来た久島が通されたのは、和室の雰囲気を残したまま英国風の重厚なマホガニー家具が配された、和洋折衷の応接室だった。
純度の高いシルクと極上のウールで織り上げられたそれは、百年前の天然染料特有の、深く、それでいて吸い込まれそうなほど鮮やかなマスタードと群青を放っている。
一歩踏み出すと、足音が文字通り『消えた』。
”この話が纏まれば……”
思わず唾を飲み込んだ。
”俺だってこれくらいの物は買える……”
久島は強い欲望の色に染まり、何としても出資を引き出して見せると誓った。
相手は自分の子どもと変わらない年だ。しかも孫とはいえ、恭介は元々、街のうらぶれた探偵をしていたと聞いている。持ち上げてやれば、簡単に手玉に取れると考えていた。
家令に案内され、応接室に恭介が現れた。いつもいる黒猫も一緒だった。
久島が腰を上げる。
「お待たせしてすみません」
恭介がソファーを示し、座るように促した。
「いえ、こちらこそお時間を頂き、ありがとうございます」
久島が恐縮しつつ、人当たりのいい笑みを浮かべているが、恭介にはその笑みが外連味のあるものとしか受け取れなかった。
先代から仕えている好々爺とした家令が応接台に久島から預かった資料を置いた。
恭介が資料を手に取り、ぱらぱらと捲っていく。
”よし、いよいよだ”
知らず知らずのうちに身体に力が入る。
久島は恭介に阿るように伺う。
「いかがでしょうか?この計画が成功すれば、山吹の雫以上のワインができます。そのためにも、是非」
「久島さん」
恭介は久島を遮った。
腰を折られた形になった久島が、恭介の顔を見た。
静かだが、底をみるような目をしていた。
先代の実淳を思い出させ、背筋に一筋の汗が流れた。
「はい、何でしょうか?」
「出資のお話は、お断りします」
恭介は久島に視線を合わせ、きっぱりと断った。
「は?いま何と……」
「そして――」
恭介は一呼吸置き、言葉を続けた。
「今後、一条寺家は久島ワイナリーへの出資をすべて打ち切ります」
「え?……」
「また、これまで久島ワイナリーに出資した出資金額は全額回収させていただきます」
久島の顔から笑みが消え、表情が強張る。
そんなことをされたら、ワイナリーは倒産するしかない。
「な、なぜです。満足いく成果は出しているじゃないですか!」
「理由は、久島さんが一番分かっていると思いますが?」
「な、何を仰っているのか、分かりかねますが……」
青ざめた久島の額に汗が浮かぶ。
「山吹の雫は、二十年前に自殺した滝沢ご夫妻が開発したものです……久島ワイナリーのワインじゃない」
恭介が久島の目に視線を合わせて言った。
「それに、加藤さんを殺害したのもあなただ。引揚げる理由はそれで十分です」
「何を聞いたか知りませんが、や、山吹の雫は私が試行錯誤して作り出したんだ。ちゃんと工程表もある!加藤を殺したというが、何の証拠がある。いくら出資者だからといって、言いがかりは止めてもらいましょうか」
「藤堂さん」
「はい、こちらに」
表紙に染みの付いた古びたノートが久島の前に出された。
「このノートには、生前、滝沢 博之さんが葡萄の飼育から山吹の雫の製造方法までを書いたものです。日付もあります」
「そんなものはどうにでもなる。誰だって書けるじゃないか」
「いいえ、久島ワイナリーでは山吹の雫の開発はできません」
「なぜ言い切れる!」
「久島ワイナリーで当時育成されていた白用の葡萄はシャルドネ種とセミヨンです。しかし、山吹の雫の使用するベースの葡萄は甲州ブランです。当時この甲州ブランは滝沢ワイナリーでしか育成されていません。久島さん、貴方には作れないんです」
久島が瞠目し、身体の動きが止まった。
「空のワイングラスを持っていた加藤さんに、ニコチンを混入した桜花の雫を渡したのも久島さんですよね。ニコチンは匂い移りが激しいんです。ハンカチやスーツを調べればすぐに分かります」
久島の身体からがっくりと力が抜けた。
ソファーの背に身体を預けた格好のまま、力ない目をして恭介を見る。
「……あの当時、無理な拡張をしたせいで赤字が続いて……一条寺家からの出資が切られたらうちは終わりだった。先代は成長が見込めないなら、うちの出資分を滝沢に回すと……滝沢が新酒を開発していると聞いて……加藤に持ち掛けられたんだ。未発表だったんだ。誰のものでもないじゃないか……」
久島は虚ろな目をして呟いた。
「……それを商品にしたのは俺だ。盗んで何が悪い!……俺は悪くない……そうだ、俺は悪くないんだ。悪いのは金をせびる加藤と出資をやめようとした一条寺家じゃないか!」
泣き笑いのような声だった。
「……俺は……祖父がどんな性格だったかを知らない。けど、山吹の雫に未来を見たから出資をした祖父の出資基準は夢に向かって努力していることだったと思います」
恭介の言葉を肯定するようにヴァレリーがしっぽを揺らした。
応接台に置かれた葡萄の汁で染まった紫色の染みが付いた古いノート。
あの日、手にした夢は――誰のものだったのか。
久島は、ただ黙ってそれを見つめていた。
暫くして一条寺家の別邸にやってきた警察が放心状態の久島を連れていく。
久島の背中を見ながら、誰に聞かせるでもなくヴァレリーが零す。
「欲に呑まれ、都合が悪くなると他人のせいにする……」
ヴァレリーは久島を乗せた車が遠ざかる音に耳を澄ませた。
「やれやれ……実に人間らしい」
そう呟いて、ゆっくりと身体を丸め、目を閉じた。
本日はエピローグを19時に投稿して完結となります。




