第10話 レルミアージュ――動瓶
応接室は重苦しい空気が支配していた。
暫くして落ち着いた渡辺に遅いからと滞在を勧めたのは藤堂だった。
恭介も渡辺をこのまま返すのには躊躇いがあったため、是非にと渡辺に言う。
渡辺は恐縮しながらも、勧めに応じてくれ、メイドにより部屋へ案内されていった。
「気になるか、恭介。」
「ああ。いや、そうじゃないな。何だろうな……やるせないというか、腹が立つというか……」
「お前らしいな」
しっぽを揺らしたヴァレリーの声は穏やかだった。
恭介はヴァレリーに
「……なぁ、動機は何だ?」
「さあな……だが、人は欲に負ける」
そう言うと、ヴァレリーは窓の外に目を向けた。
墨の流したような空には上弦の月が浮かんでいた。
軽井沢の別邸には、まだ夜の冷え込みが残っていた。
純和風の平屋から渡り廊下で繋がれたこの洋風の応接室だけが、軽井沢の短い秋の日差しを貪るように浴びている。東側の縦長窓から差し込む斜めの光が、寄せ木の床に長い陰影を刻み、アンティークの革製ソファーの背を赤茶色に照らし出していた。窓の外に目をやれば、霜の溶けかかった苔庭の向こうで、色鮮やかな紅葉の森が朝の光に震えている。
応接室では渡辺が居心地が悪そうにソファーに座っていた。向かい側には恭介が腰をかけ、その横では手足の先が白い黒猫が朝日を浴びている。部屋の隅には藤堂が控えていた。
「よく眠れましたか?」
「あ、はい。初めは、こんないい部屋で眠れるのかと思っていたんですが……」
渡辺は頭を掻いた。
「眠れてよかったです……お帰りになる前に、お聞きしたいことがあるんですが……」
「何か?」
「加藤さんが誰かと揉めていたとかとは無かったですか?」
渡辺の顔から瞬間、表情が消えた。
「渡辺さん?」
渡辺は吐息を吐くと、話し出した。
「実は……警察には話してないんですが、新酒発表会のあの日、作業用倉庫でオーナーと加藤が話していたのを聞いたんです。二十年前のことで加藤はオーナーを脅していました。とりあえず一千万寄越せと。その時、知ったんです。加藤が父のワインを酷評したこと、オーナーが父さんの夢を盗んだことを」
怒りを押し殺すかのように渡辺の組んだ手が震えているのに恭介が気が付いた。
「なぜ話さなかったんですか?」
「自殺に追い込んだ夫婦の子ですよ。疑われると思ったんです」
何かを思い出したのか、渡辺がくすりと笑った。
「すみません。加藤が桜花の雫を、不味過ぎて、豚も飲まないと言ったのを思い出して……あれだけは加藤に感謝ですね」
渡辺は皮肉気な笑みを浮かべていた。
話すことで区切りをつけたのか、渡辺は泊めてくれたことに礼をいい、藤堂に案内されて部屋を出ていった。
部屋には恭介とヴァレリーが残された。
恭介が天井を見ながら言った。
「動機は十分だな」
「しかし、動機だけでは殺せんぞ」
「分かってる」
腕を組んだ恭介がヴァレリーに尋ねる。
ヴァレリーは身体を起こし、ソファーから応接台にひらりと飛び移った。
渡辺を送ってきた藤堂が部屋に戻ってきた。
「加藤の死因はニコチン中毒だ」
「そうだったよな。それがどうしたんだ?」
ヴァレリーがちらりと藤堂に視線を投げかけた。
藤堂が頷き、恭介に説明をした。
「恭介様、ニコチンはそれ自体に強い苦味と特有のピリピリ感と、青臭さとタバコ特有の強い香りがあります」
経験して知っているように話す藤堂に、恭介は若干引いた。
”……この人が異常なんだ……よな?”
「ソムリエだった加藤様に、簡単に飲ませることは難しいかと思われますね」
「けど、飲んだんだよな?気付かずに」
「ああ、そうだ」
「私が考えるに、桜花の雫に混入したのではないでしょうか」
「ふむ、確かにそうかもな……」
藤堂の推測をしっぽで応接台を叩きヴァレリーは肯定した。
意味が分からずに恭介は眉を寄せた。
「先ほど、お送りさせていただくときに渡辺様に確認をさせていただいたのですが、オレンジワインは『紅茶』や『ハーブ』、あるいは『ウッディな樽香』といった複雑で強い香りがあるそうでございます。」
「恭介、オレンジワインは白ブドウを赤ワインと同じ手法で造る。そのために、通常の白ワインにはない非常に強い渋みや独特のほろ苦さを持つ」
「そうか!桜花の雫か」
恭介はヴァレリーを見た。
「あの強い香りならニコチン農薬が持つ独特のヤニ臭さをワインの個性のせいできる」
「ああ」
恭介が同意する。
藤堂が口元に薄い笑みを浮かべ、
「味は酸味と苦味が強うございますからカモフラージュには最適かと」
「だから、加藤は気が付かずに飲んだんだ!」
「そうだ……残る問題は……」
「山吹の雫の証明……」
恭介が呟く。
「真実はまだ樽の底に沈んでいるな……」
ヴァレリーは窓の外を見て、鍵しっぽを大きく揺らした。




