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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第十章 「影の献身、緋の覚醒」
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第90話 迷いの告白と解放の真意

 秋の陽はやわらかく岩肌を照らしていたが、その光はジュリアの胸の内までは届かなかった。


 二人が腰を下ろす岩場には、言葉にしがたいぎこちなさが漂っている。

 ハルカは少し離れた位置に座り、静かに呼吸を整えつつ、なお周囲への警戒を解いてはいなかった。


 ジュリアはベルトに下げた水筒を手に取り、喉を湿らせる程度に一口含んだ。

 冷たい水は確かに渇きを癒したが、心のささくれまでは触れてくれない。

 唇を離した瞬間、微かな風が頬を撫でた。

 秋の冷たさは戦闘で火照った身体を落ち着かせたものの、その涼しさがかえって自身の不甲斐なさを呼び覚ますようだった。


 先ほど、ほんの一瞬だが躊躇があった。

 魔法を放つべき瞬間、身体が言うことをきかず固まってしまったのだ。

 討伐自体は問題なく終わったとはいえ、その時の感触だけが心の奥にざらつくように残り、いまも離れてくれない。


(わたしは……こんなにも、弱かったのだろうか)

 俯きかけた視線は、そのまま心まで引きずって、沈んでいくようだった。

 気づけば思考は暗い方へと傾きはじめる。


 しかし――ジュリアは静かに首を振った。

(……違う。これは実力の問題じゃない)

 自分にそう言い聞かせると、落ち着きを取り戻しながら、今の状態をひとつずつ紐解いていった。


 訓練のときも、前回の実戦でも、ここまで動けなくなることはなかった。

 少なくとも今よりはずっとマシだった。

 だとすれば、今日に限って力を発揮できない理由は、技術でも魔力量でもない。


 心だ。

 もっと言えば――心の弱さ。


(わたしは……こんなものじゃない)


 それは小さな強がりにすぎなかった。

 自分を保つための、薄い殻のような意地。

 しかし……それでも――せめて自分自身にだけは失望するまいと、ジュリアは胸の奥で必死に踏みとどまっていた。


 ふと視線を横へ送る。

 その先に映ったハルカの横顔は、深い静けさに満ちていた。

 目を閉じているようにも見えたが、耳は風の気配を逃さず拾い続け、意識は絶えず周囲へ巡らされている。

 休息を取りながらも警戒を途切れさせない――穏やかな外見の奥に、研ぎ澄まされた緊張が確かに息づいていた。


 ジュリアは思わず息を呑む。

 いまのハルカは――シモンと同じ空気を纏っていた。


 冒険者としての在り方。

 状況の把握と、心の置き所。

 揺るがぬ姿勢。


 その佇まいには、今の自分に欠けている“何か”が確かに形を持っているように思えた。

 何かは分からない。

 ただ、その強さが目に痛いほど眩しく、真っすぐ見つめることができなかった。


「…………ハルカ」


 気づいたときには、名前が口をついていた。


「どうしましたか?」


 ハルカが振り向く。

 表情は自然そのものだが、その目には揺るぎない意志が灯っている。


 先ほどの戦闘でも見せていた光――ぶれず、迷わず、必要な行動を選び取る目だった。

 ジュリアは悟った。

 いまの自分には、この“揺らがない目”がないのだと。


「ううん……何でもないの」


 胸の奥にあるのが引け目なのか、負い目なのか――自分でも判然としない。

 ただ、素直に訊く勇気が持てず、視線は思わず逸れてしまった。


(やっぱり……わたし、子供なのかな。シモンも、こんなところに呆れて……見放したのかな……)

 気づけば俯いていた。

 喉の奥から、小さなため息がこぼれる。

 その音は、静かに岩場に染み込んでいった。




 沈黙が、ふたたび二人のあいだに落ちていた。

 言葉を失ったジュリアの胸の内側で、その静けさがじわじわと広がり、また思考を悪い方へと引きずり込もうとする。

(やっぱり……わたしなんて)

 暗い呟きが喉の奥までせり上がりかけた、そのときだった。


「昨日、テラノス様と話す機会があったのです」


 不意に、ハルカが口を開いた。

 突然の語りかけに、ジュリアの心がわずかにざわつく。

 顔を向けることはできなかったが、耳と胸の内だけはしっかりと彼女の方へ向け、続きの言葉を待った。


「昨日までは、シモン様を失望させてしまったとばかり思っていました。浅ましい功名心を恨み、自分の存在意義さえ分からなくなっていたのです」


 乾いた風が、二人の間を吹き抜けていく。

 ジュリアは黙ったまま、その一言一言を噛みしめた。


 前回の戦いで、ハルカもまた心に深い傷を負っていたことは知っていた。

 己の在り方を見失い、苦しんでいたことも、いつも隣にいたからこそ分かっていた。

 お互いに迷い、悩み、苦しんでいたのだ。


 それなのに――互いのそれを見て見ぬふりをし、自分を取り繕い、誤魔化し続けてきた。

 けれど、昨日を境にハルカは変わった。


 昨日までのハルカと、今こうして隣にいるハルカは、まるで別人のように見える。

 一体何が彼女をここまで変えたのか――その疑問が、自然と胸の中で形を取っていく。

 ジュリアのそんな心の揺れを察したかのように、ハルカは言葉を継いだ。


「テラノス様に、功名心そのものを否定する必要はないと教えていただきました。そして、シモン様の信頼を失ってなどいないのだと」


 そう言うと、ハルカは自分の胸元にそっと手を当てた。

 自分の心が本当にそう感じているのかを、確かめるような仕草だった。


「ジュリア様。前回の討伐の帰りに……お屋敷の前で、シモン様がおっしゃった言葉を覚えていますか?」


 問い掛けに、ジュリアはすぐ思い当たる。


(ジュリア……お前は死んでいた)

(今のお前たちに、俺は背中を預けられない)


 胸をえぐるような、あの二つの言葉。

 思い出した瞬間、喉の奥が固くなる。


 その言葉を自分の口でなぞることはどうしてもできず、ジュリアは小さくうなずくことで答えに代えた。

 ハルカは軽く目を伏せ、静かに続ける。


「苦しかった……本当に、苦しかったです。お守りするはずのジュリア様を、自分の身勝手な功名心で危険に晒したと責められ、自らの主君と心に決めたシモン様にも、見切りをつけられてしまったのだと、ずっと思っていました」


 一つ一つの告白が、刃のように胸に刺さる。

 ジュリアは息を呑んだまま、次の言葉を待った。


「……でも、違うのだと気づかせてもらったのです」


(えっ?)

 思わず、ジュリアはわだかまりも忘れてハルカを見つめていた。


「シモン様は、わたしたちに現実の危機を突きつけてくださった。その上で、もっと強くなってほしいと願って……あの言葉を選ばれたのだと。そう教えていただきました。だからこそ、私は――もっと精進しなきゃ、って思えたのです」


 ハルカを見つめるジュリアの瞳が、細かく揺れる。

 どうして、そこまで前向きに受け止められるのか。

 ジュリアには理解できなかった。


 震える唇からは、しばらく言葉が出てこない。

 それでも、胸の奥から押し寄せてくる衝動に、わずかな勇気を乗せて――ジュリアは、意を決して声を絞り出した。


「…………ど、どうしてそんなことが分かるの? 自分に都合よく、解釈してるだけじゃないの?」

「……どうでしょう?」


 ハルカは首をかしげ、けれど迷いのない声で答える。


「確かに、直接シモン様に確認したわけではありません。でも……シモン様らしい、発破の掛け方だとは思いませんか?」


 その言葉を聞きながら、ジュリアは無意識に自分の胸に手を当てていた。

 強くて、優しくて、少し意地悪な大人の冒険者。

 そして――いつも私のことを考えてくれている人。


 思えば思うほど、ハルカの言葉が胸の中に落ちていく。

 少しずつ、少しずつ、胸に染み込み、心に広がっていく感覚があった。


 けれど、胸の奥にはまだ否定しきれない澱が残っていた。

 どうしても消えない影。

 それを否定してほしくて、ジュリアは思わず口を開く。


「だったら……なんで、今ここにシモンはいないの。私たちは……やっぱり見放されたんじゃないの?」


 堪えていた感情が波のようにあふれ、声がわずかに震えた。

 ハルカは責めるような色を一切浮かべず、ただ穏やかに、しかししっかりとした声音で答えた。


「それは――信頼されているからだと思います」

「…………信頼?」


 思いもよらない言葉に、ジュリアは小さく息を呑む。

 理解が追いつかず、ただ同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。


「はい。私たち二人なら大丈夫。二人だけで、この巡回討伐を乗り越えられる。だからこそ……シモン様は送り出してくださったのだと思います」


 その言葉が胸に入り込んだ瞬間、固くこびりついていたざらつきが、ゆっくりと溶けていくのを感じた。

 心のどこかで握りしめていた不安がほどけ、代わりに得も言われぬ温かさが満ちはじめる。


 ――シモンは、見放してなんていない。

 そんな確信めいた思いが、胸の奥で静かに灯りをともした。


 その時だった。


「ジュリア様、来ます!」


 さきほどまでの柔らかい声音から一転して、鋭い警戒の響きが走った。

 ハルカの視線が素早く草原の向こうへ向けられる。

 ジュリアも思わずそちらに目を凝らした。


 揺れる草原をかき分けるように――黒い影が一直線に駆けてくる。

 スラッシュバニーだ。


 つい先ほどまで心が揺らぎ続けていたというのに、またも“あの”敵。

 前回、自分たちに苦汁を味わわせた因縁の相手。


 胸の奥にわずかな恐れがよぎった。

 だが、それよりも先に――ジュリアの瞳に、静かな光が宿りはじめていた。

 揺らぎの影が、少しだけ後退していく。

 恐れと迷いの隙間から、戦う意志が顔を出し、じわりと形を成していく。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


シモンの厳しい言葉と不在を、「見放された証」ではなく「信頼の証」だと語ったハルカ。

その言葉を受け、少しずつ迷いから解放されていくジュリアをどう感じましたか?

印象に残った場面や台詞があれば、ぜひコメントで教えてください。


★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。


いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

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