第85話 二人の試練
シモンとハルカは、屋敷裏手の回廊を並んで進んでいた。
陽は高く昇り、雲ひとつない青空が広がっている。
吹き抜ける風は涼しく、回廊の石畳を撫でながら静かに通り抜けた。
回廊を抜けた先――通称・修行場として知られる訓練場には、焦げた魔力に特有の匂いと、先ほどまでの熱気がまだ薄く漂っていた。
その中央で、ジュリアがひとり、訓練用の魔法人形に向き合い、黙々と動きを繰り返していた。
人形を中心に円を描くように走り込み、走りながら炎の矢を放つ。
放った瞬間にはすでに次の魔力を練り始めており、その動きに一切の淀みはない。
右へ、左へと細かなステップを刻み、間合いを測るように揺さぶりをかける。
一気に前へ踏み込んで鞭を閃かせたかと思えば、即座に跳躍して距離を取り直す。
途切れぬ動作の連続――そのリズムを刻々と変え続ける様子は、まるで追い立てる焦燥を振り払おうとするかのようだった。
足がもつれかけても、ジュリアは歯を食いしばり、無理やり体勢を立て直す。
その必死さは、もはや訓練の域を超え、まるで目前に実戦を具現化しているかのようであった。
やがて放った炎矢が障壁を貫き、人形の胸部を砕いた――その瞬間、背後から静かな声が降ってきた。
「よう、お疲れさん」
振り返ったジュリアは、乱れた呼吸を整えきれないまま、胸を上下させながら言葉を絞り出す。
「シモン!――あ……はぁ……帰っていたのね」
ジュリアは一歩踏み出し所で動きを止め、視線を外した。
シモンには、無理に取り繕ったものだと感じ、相変わらずだと思った。
いまの訓練がどれほど苛烈かを、誰より理解しているのは彼女自身だ。それでも弱みを見せまいとする――その姿勢こそが、彼女の本質である。
その強がりが彼女を支え、前へ進ませているのだと、シモンはよく知っていた。
「かなり実戦的な動きだったな」
「そ、そう? ……普通よ、これくらい」
言葉とは裏腹に、視線をそらしたまま、乱れた髪を整える仕草はどこか落ち着かない。
出張前夜に叱責された記憶が、まだ胸のどこかに残っているのだろう。
ジュリアにとって、今のシモンはまだ少し“居心地の悪い相手”なのかもしれなかった。
その背後では、シモンに伴われていたハルカが一歩下がって控え、礼儀正しく頭を下げている。
ジュリアはハルカの存在に気づいていながら、あえて意識していないかのような振る舞いを貫いた。
「早速だが、これから街に行く。――ジュリアとハルカも来てくれ」
「そう……シャワーを浴びて、着替えてくるわ」
ジュリアは何か言いかけたようだったが、その言葉を飲み込み、近くにいたメイドへ修行場の後片付けを指示すると、ハルカを連れて足早に去っていった。
互いに目を合わせようとしないジュリアとハルカ。
仲間内の不和が良くないことは分かっている。
分かっているが、自分の言葉を真摯に受け止め、変わろうとしている二人を思うと、シモンは何とも言えない気持ちになった。
成り行きで始まった関係とはいえ、始めてしまった以上、途中で投げ出すわけにはいかない。
(人を育てるというのは、こうも難しいものなのか……。本当に俺に務まるんだろうか)
戦場では迷う素振りすら見せない彼であっても、年頃の少女たちを導くこととなると、さすがに勝手が違うようだ。
「ふぅ……」
一息とともに弱気も逡巡も吹き消し、気持ちを切り替えると、いつもの眼差しのまま、小さく笑みを浮かべた。
屋敷の正門には、すでに馬車が準備を整えて待機していた。車体は磨かれ、馬は落ち着いた呼吸で地面を踏みしめている。
シモンは手綱を持つ御者と軽く雑談を交わしながら、二人の到着を待っていた。
「急な送迎を頼んで悪かったな」
「いえ、今日は天気も良いですし、点検も今朝のうちに済ませているから大丈夫ですよ。――」
そんなやり取りをしていると、屋敷の玄関から軽い足音が二つ、間を置かずに近づいてくる。
視線を向けた先に、身なりを整えたジュリアとハルカが姿を現した。
ジュリアは濃紺のチェック柄ワンピースに黒いベルトを締め、膝上丈の白いフリルが揺れている。
可憐というよりは凛とした気品を漂わせ、髪もきちんとまとめられていた。
ハルカはアーデルシア家のクラシカルなメイド服に身を包み、外出用の腰丈ケープを重ねている。
佇まいは静かで、歩幅も無駄がなく整っていた。
「揃ったな。じゃあ出発するか」
「ええ」
「……はい」
三人は馬車へ乗り込み、扉が閉まると、すぐに車輪がゆっくりと動き出した。
馬車の中では、ジュリアとハルカが並んで座っていた。
ジュリアは細い足を組み、馬車の窓枠へ肘を預け、頬杖をついたまま流れる景色へ視線を向けている。
横顔にはどこか張り詰めた気配が漂っていた。
一方のハルカは、背筋を正し、両手を膝の上に揃えて静かに瞼を閉じている。
呼吸は深く、姿勢は乱れず、まるで意識を内側に沈めるようだった。
窓の外は、澄んだ青空の下、街道を行き交う人々や農地の緑が流れていく。
しかし、馬車の内部には会話は生まれず、揺れに合わせて衣擦れの音がかすかに響くだけだった。
気まずさ、緊張、距離感――そのどれともしれない空気が、車内に薄く滞留する。
シモンは正面の席でその様子を黙って見守りながら、何を言うべきか判断を保留し続けていた。
そうして静かなまま時が流れ――
「ワイアースに到着です」
やがて馬車は速度を落とし、石畳の音へと変わる。街の門の影が窓をかすめた。
御者の声が外から届き、馬車は冒険者ギルドのある通りへ滑るように進んでいった。
夕方前のワイアース冒険者ギルドは、通常の混雑が始まる前の落ち着いた時間帯だった。
受付前には数人が並ぶ程度で、依頼掲示板の前も比較的静かだ。
入り口近くにいたサブマスターのカリナがシモンたちに気づき、軽く会釈して近づいてくる。
「まあ、シモンさん。戻られていたんですね。今日は何か御用ですか?」
「ああ。二人のランクアップを頼む」
促され、ジュリアとハルカは受付台の前へ進む。
二人はギルド・アミュレットを水晶にかざし、カリナが情報を確認した。
これまで取得した討伐証明や達成報告を照会していく。
「条件はすべて満たしていますね。では――」
カリナは水晶に魔力を通し、昇格認定の操作を済ませた。
「ハルカさんはEランクからDランクへ。ジュリアさんはFランクからEランクへ昇格となります。おめでとうございます。後日ギルド証の書き換えも行いますので、近いうちに持参してください」
本来なら胸を張って喜ぶ場面だ。
しかし、二人の表情にはどこか影が差していた。
内容を更新されたギルド・アミュレットを手渡されながらも、互いに一瞬だけ横目で意識し合い、次の瞬間には視線を外してしまう。
ぎこちない空気は、シモンの目にも明らかだった。
「よし。昇格も済んだところで――明日、お前たち二人だけで巡回討伐に出てもらう」
シモンは二人を見渡し、静かに告げた。
ジュリアもハルカも、息をのむようにわずかに硬直する。
“巡回討伐”そのものではない。
“二人だけ”という部分に反応しているのは、どう見ても明白だった。
どちらも相手の返事を気にしながら、先に返事をするのを躊躇しているようだ。
「嫌ならやめてもいい」
そう告げると、ジュリアが真っ先に顔を上げた。
「嫌なんて言っていないわ。……やるに決まってるじゃない」
一方、ハルカはかすかな迷いを見せたものの、すぐに姿勢を正した。
「……承知しました」
シモンは、表情に出さぬよう胸中の思考を押し隠す。
二人を信じているからこそ、あえて自分の手を離して“乗り越える場”を与えようとしている――だが、それは無責任ではないのか。
独りよがりの判断が、かえって少女たちの成長を妨げてはいないだろうか。
正解の形すら分からぬまま手探りで導いていく自分が、ひどく傲慢に思えてならなかった。
二人の返答を聞きながら、シモンは胸の内で静かに息をつく。
(いまの俺にできるのは、二人に“場”を与えることだけだ。二人なら、俺のきつい言葉の意味も、与えた試練もきっと理解して成長してくれる。……まずは信じよう)
ぎこちないまま並び立つ二人。
それでも、明日の一日は、彼女たちが避けて通れない一歩となるだろう。
シモンはその背中にわずかに微笑みを向け、静かにギルドの出口へと歩き出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
二人を信じ、あえて自分の手を離すことを選んだシモン。
ジュリアとハルカだけで巡回討伐へ向かわせる判断を、どう思いましたか?
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