第84話 冒険者の安堵と師匠の難事
昼過ぎの陽光が、ワイアースの街並みを淡く照らしていた。
サルディアを発って五日――シモンは商隊のラドン車護衛を兼ね、ようやく帰還を果たした。
長い道のりを終え、視界に映る街はどこか懐かしく、そして静かに彼を迎えているように見えた。
メルカリア、サルディアでの一連の依頼を無事に終えた彼は、その足で冒険者ギルドへと向かった。
受付で完了の手続きを済ませ、差し出された報酬袋を受け取る。
掌に伝わる重みは、予想よりも大きかった。
――ロブの配慮か。
小さく息を吐き、色を付けてくれたロブの顔を思い浮かべる。胸の内で短く感謝を告げると、報酬袋を懐へとしまい込んだ。
ギルドを出ると、午後の光が石畳を白く照らし出していた。
往来には行商人や住人達が行き交い、どこかの店先から焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。
ようやく帰ってきたという実感を噛みしめながら、シモンはテラノス邸へと歩き出した。
テラノス邸に着くと、門前の私兵が姿勢を正し、軽く敬礼を送ってきた。
顔見知りの彼らと短く挨拶を交わし、シモンはそのまま邸内へと足を踏み入れる。
廊下を進む途中、すれ違ったメイドが軽く会釈しながら告げた。
「お邪魔してるよ。閣下はどちらに?」
「旦那様は執務室におられます」
「そうか、ありがとう」
シモンは礼を告げると、メイドの視線を背中に感じながらその場を後にした。
そして、執務室の扉を軽く叩くと、珍しく覇気のない声が返ってきた。
「……入ってくれ」
重厚な扉を押し開けると、立派な執務机の上で、山のように積まれた書類と格闘するテラノスの姿があった。
「おお、シモン、よう帰ってきた。無事でなによりじゃ」
書類の山の向こうから顔を覗かせたテラノスが、労わるように微笑む。
「もう少しで片付く。腰掛けて待っといてくれんかの」
「ゆっくり待たせてもらうさ。存分に励んでくれ」
シモンがにやりと笑みを返すと、テラノスは苦虫を潰したような顔をして再びペンを走らせた。
シモンは応接のソファに腰を下ろし、背もたれに軽く身を預けた。
ほどなくして、先程のメイドが盆を手に静かに入室する。
テラノスが書類から顔も上げずに言った。
「そっちに置いてくれ」
メイドは返事をすると、テーブルの上に二つの器を並べた。
一つは取っ手付きのカップ。
もう一つは、繊細な文様が刻まれた八咫製の湯呑だった。
芳しい紅茶の香りが部屋に広がり、書類の山にこもっていた空気がやわらぐ。
シモンはカップを受け取り、柔らかな笑みをメイドに向けた。
「ありがとう」
メイドは頬を赤らめ、一礼して退室していった。
やがてテラノスが書類を片付け、首をコキコキとほぐしながら腰を上げる。
八咫の湯呑を手に、シモンの向かいにどっかと座った。
「お主が来ると、“なぜか”良いお茶が入るんじゃ。――なんでじゃろうな?」
「さあな。だが、有難いことだ」
悪戯っぽい笑みを浮かべる老人に、シモンは肩をすくめて返す。
視線を逸らし、カップを手に取る。紅茶を一口含むと、ほのかな渋みが喉を通っていった。
テラノスもそれに倣い、八咫の湯呑を傾けて香りを楽しむ。
書類に追われていた疲労が、わずかに緩むのが分かった。
やがて、ひと息ついたところでテラノスが口を開いた。
「さて――聞かせてもらおうかの」
シモンは静かに頷き、メルカリア、そしてサルディアでの顛末を、要点を選びながら淡々と語り始めた。
ただし、この場で語るべきでない部分――ロブの素性や密命の経路については、巧みに言葉を伏せていく。
「……なるほど。ペイン・アセンダンツが絡んでおったのか。お主は最初から分かっておったのか?」
「いや、俺も現場で奴らを見るまでは想像もしていなかった。だが、中央が動いているとなると、これは俺が思っているよりも根が深いかもしれないな」
テラノスは視線を落とし、しばし沈黙した。
やがて、目を戻さぬまま、ぽつりと呟く。
「……すまんのう」
シモンはそれがジュリアのことだと察し、何でもないように笑って応じた。
「なに、乗りかかった船ってやつだ。それに、俺もこのまま終わるつもりはない」
その言葉に、テラノスの口元がわずかに緩む。
シモンの瞳が少年のように輝きを帯び、視線が重なった瞬間、二人は小さく笑みを交わした。
そして、ふと思い出したようにテラノスが表情を戻す。
「ところでシモン。これはお主が街を離れていた間のことじゃが――どうもジュリアとハルカちゃんがギクシャクしておるようなんじゃ。喧嘩という感じではないがな」
その言葉に、シモンは出立前夜に二人へ投げた言葉を思い出した。
厳しい言い方になったことは自覚していたが、ここまで尾を引くとは思わなかった。
出張中に自己解決するだろうと踏んでいたが、どうやら見積りが甘かったらしい。
思春期の少女の繊細さを、アラサー男が推し量ろうとしたのが間違いだったのか――。
成長を促すつもりの言葉が、結果的に傷になっていたのかもしれない。
胸の奥に、わずかな自己嫌悪が残る。
とはいえ、今さら悔やんでも始まらない。
ここまで来たなら、二人自身の手で乗り越えてもらうしかない。
そう考えたシモンは、一計を案じた。
「爺さん、ハルカとジュリアのことは俺に任せてくれ」
思案の末に告げると、テラノスは穏やかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。
執務室を出たところでシモンを待っていたのは、ハルカだった。
いつも通りの落ち着いた表情ではあったが、頬の紅潮と瞳の輝きは隠しきれない。
「お帰りなさいませ、シモン様」
いつもの出迎えの言葉に聞こえるが、今日の声音には確かな喜びが滲んでいた。
彼女のことは、それが分かるくらいには理解しているつもりだ。
帰りを待ってくれる存在がいる――それが、これほどまでに嬉しいものだとは思わなかった。
嬉しさと気恥ずかしさが入り混じり、気づけばハルカの髪に手を伸ばしていた。
「……ただいま、ハルカ」
ハルカは驚いたように瞬きをしながらも、静かにその手を受け入れた。
「爺さんへの報告は済ませてきた。――ジュリアはどこにいる?」
その名を口にした途端、ハルカの表情にわずかな陰が差した。
その変化を見逃すシモンではない。
「この時間なら、修行場にいるはずです」
「そうか。あいつにも声をかけておきたい。……付いてきてくれ」
短いやり取りののち、シモンは言葉を重ねず歩き出した。
“修行場”という呼び方も、ハルカらしいと内心で苦笑しつつ、彼女を伴って訓練場へ向かう。
ハルカと無言で歩きながら、胸の奥に、わずかな引っかかりをシモンは感じた。
今回のわだかまりが、自分の言葉から生まれたものであることは分かっている。
だが、それだけではない。
彼女たちがどうあろうと、何かしてやりたいと思ってしまうのは――
それが「主人」としてなのか、「師匠」としてなのか。
あるいは、そのどれでもない別の理由なのか。
シモン自身にも、その答えはまだ掴めていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シモンの帰りを待ち、喜びを隠しきれなかったハルカ。
一方、ジュリアとの間には、いまだ小さなわだかまりが残っているようです。
二人の関係や、解決に乗り出すシモンをどう思いましたか?
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