第83話 変わらぬ街と途切れた香
シモンたちがメルカリアを発ったのは、先行調査隊から二日遅れの朝だった。
シモンとロブ達は、分乗した馬車で街道を急ぎ、途中のワイアースには依頼延長の手続きを行うためだけに立ち寄った。
手続きを済ませると、滞在することもせず、街を後にする。
メルカリアを発ってから六日目の昼過ぎ、サルディアの城門が見えた。
穏やかな陽光が街を照らし、門前では荷車がひっきりなしに出入りしている。
商人たちは値踏みの声を飛ばし合い、子どもが駆け、犬が吠えた。
張り詰めた気持ちの自分たちとは対照的に、そこには何事もなかったかのような――中継都市らしい活気に満ちた賑わいがあった。
二人は市街を一巡し、往来の癖や露店の品揃えをさりげなく観察していった。
あらかた見終えたところで、シモンは歩みを緩め、空気を噛みしめるように静かに鼻で息をした。
「……半年前と、雰囲気が違うな」
隣で周囲を見渡していたロブが、目線だけを寄越す。
「シモンが言うなら間違いはないと思うが……どう見ても普通の街並みだな」
異常の欠片も見当たらないこの街では、むしろ自分たちのほうが異質なのかもしれない。
二人は調査を切り上げ、先行調査隊との合流地点へと向かった。
本来は、大通りに面したオープンテラスのカフェで落ち合う予定だった。
だが、コーヒーを前に思索するだけで人目を引くシモンの存在に、ロブは早々に頭を抱える。
「仮面をした方が目立たないんじゃないか?」
ロブはつまらなさそうに冗談を言った。
結局、カフェでの情報交換は断念し、合流後はシモンが逗留する高級宿星交館サルディア支店へと場所を移した。
部屋に入ると、ロブは盗聴や透視の痕跡がないかを丁寧に確認し、備え付けの防諜魔導具を起動させた。
ようやく緊張を解いたロブの前で、先行調査隊のノーラが書類を差し出す。
彼女の声音は落ち着いていたが、報告の中身は何とも奇妙であった。
「証言によると、半年前――街全体に“作り物めいた活気”があったそうです。これは警備隊、そして複数の住民からも確認が取れています。ですが、その気配はある日を境に“いつの間にか”消えたと。……皆、口を揃えてそう言っています」
異常が存在したことは確か。
しかし、その異常は理由も痕跡もなく、霧のように消えていたと言う。
ロブは腕を組んだまま目を瞑った。
恐らく提示された情報から、いくつもの可能性を探っているのだろう。
だが、僅かに額寄った皺を見る限り、見通しは晴れていないようだった。
同様にシモンも報告を聞きながら、どうにも据わりの悪い感覚を覚える。
「私たちも本日まで、市街を見て回りましたが、異常や不審の類は、確認できませんでした」
ノーラは所感を口にしたが、それが望まれた情報ではない事を分かっているせいか、表情は堅い。
結論は出ているが、経緯が分からない事に何故か胸がザラつく。
シモンは悪い状況ではないはずなのに、楽観的に考えられない自分に苦笑した。
情報共有を終えると、夕刻から再び街を歩いた。
だが、シモンの視線に映るのは、過不足のない日常が、ただ何事もなく過ぎていく光景だけだった。――新しい発見は、何ひとつなかった。
翌朝。
調査隊の聞き込みから、新たな手がかりが浮上した。
――「半年前、怪しい集会に参加していた」という男が見つかったのだ。
ロブとシモンは、人目の少ない裏路地で彼を呼び止め、静かに事情を聴いた。
男は荷揚げや荷下ろしを請け負う日雇い労働者だという。
「長雨が続いて、物流が止まってた頃でな。街全体が困ってた。そんな時に“炊き出し”だって言って、人を集める宗教が現れたんだ」
集会は説法から始まり、やがて食事へ――それが常だった。
だが、説法の内容を尋ねると、男は首をかしげる。
「毎回、同じ話だった気がするんだが……翌日にはすっかり忘れちまう。まあ、真剣に聞いてたわけでもねぇし、そんなもんだと思ってたよ」
そこまで黙って聞いていたシモンが、低く問いかけた。
「その集会、何か――変な匂いはしなかったか?」
「匂い……?」
男は眉根を寄せ、腕を組んで考え込む。
だが、しばらくしても思い出せないのか、ゆっくりと首を振った。
そのとき、ロブが懐から小瓶を取り出し、蓋をわずかに開けた。
風に乗って、微かな香が漂う。
男の目が、はっと見開かれた。
「あ、それだ!鉄みたいに甘い匂い……間違いねぇ」
ロブとシモンは、短く視線を交わし、頷く。
――フューマーの線が、濃い。
男は続けた。
「集会は……五月の中頃だったかな。急になくなったんだ。でもその頃には雨も上がって、仕事も戻ってきたし、誰も気にしちゃいなかった。最後のほうは飯抜きの説法だけでな、逆にそれが妙に印象に残ってる。噂じゃ、北から連中の荷を運んでた隊が襲われたとか。俺も一度、奴らが口論してるのを見たよ」
ロブは懐から白い仮面を取り出し、静かに掲げた。
「――こんなものを付けていなかったか?」
「あっ、してたよ。説法のときだけな。気味が悪いと思ったが、宗教なんてそんなもんだろと思ってた」
ロブは小さく頷き、男の証言を咀嚼するように目を細めた。
最後に集会が行われていた倉庫の場所を聞き出すと、男に謝礼を手渡し、聞き込みを終える。
手元に残ったのは、街外れに印のつけられた地図。
重要な情報を得たと思うが、これだけでは理由に辿り着けない気がした。
シモンは小さく溜め息をついた。
軽く昼食を取った後、証言を頼りに、二人は街外れの古い倉庫へ向かった。
扉を押し開けると、乾いた埃が舞った。そこには人の出入りの跡も、香の欠片も見当たらない。
「……なぜ、こんな中途半端な終わり方を?」
「分からん」
ロブが独り言のように呟く。
考えを巡らせ、やがて首を振った。
シモンも沈黙のまま、壁の影を追う。
痕跡がないという痕跡だけが、やけに強く主張していた。
倉庫の空気に耳を澄ませていたシモンが、やがて口を開いた。
「確証はないが……もしかしたら、俺のせいかもしれん」
ロブの視線が横から刺さる。
「……どういう意味だ?」
「ワイアースの連続誘拐事件の話しを覚えているか。気づいているかもしれないが、あれを潰したのは俺だ。ギルド経由の依頼じゃなく、成り行きでな」
言葉を選ぶ間に、古い埃が光を乱す。
「奴らは儀式を行おうとしていた。そのために人を攫っていた。俺には、その被害者と縁があった」
そこまで言うとシモンは視線を外し、入り口から空を見上げた。
ロブは短く息を吐くと、渋面を浮かべたまま片目をつぶり、続きを促した。
「その儀式に現場の連中以外に、合流する隊があってな。おそらく例の補給隊だ。そこが途絶えたことで、サルディアの集会が潰えたのかもしれん」
ロブは眉間の皺を伸ばすように、自らの額に指をあてた。
「あのなぁ……そういうことは早く言ってくれ」
「……すまん。だが、今まで確証と言うか、繋がりが見えなかったからな」
シモンは改めてロブに視線を合わせ謝罪した。
「まあいい。確か殲滅で決着と言っていたが、その儀式の規模は?」
「合流した隊も含め、フューマーが百を超える程度。エクセスが一、導師と呼ばれた幹部が一」
「……で、お前はどれくらい相手した?」
シモンは頬を掻きながら躊躇したが、観念したかのように話をつづけた。
「……エクセス以外の、ほぼ全部だ」
静かな答えだった。
一瞬、沈黙が落ちる。
ロブは瞬きを二度し、それから目を細めてシモンを見た。
「……百を超えた“ほぼ全部”って、お前……。いや、お前ならさもありなんってやつか」
思わず聞き返してから、彼は自分で苦笑した。
驚きの感情が呆れに変わるのに、そう時間はかからなかった。
「……お前、今からでも騎士に、いや、うちの隊にこないか?」
今度はシモンが驚く番だったが、短く息をつくと、ぞんざいに言い放った。
「魅力的な転職先だが、遠慮しておこう。お行儀が良いのも、集団行動も苦手でな」
「冗談で言ったつもりはないんだがな」
軽い応酬が、濃い空気をひと呼吸だけ薄めた。
やがて二人の間に沈黙が訪れる。
ロブが何かに迷っている空気をシモンは読み、静かに待つ。
やがて気配を改まったものに変え、言葉を紡ぎ始めた。
「……再会のあの時、お前は『今回の件、“あの方”が関わっているのか』と聞いたな」
シモンは無言のまま小さく頷いた。
「今でもYESともNOとも言えない」
「ああ……」
持って回った言い方ではあるが、ロブが本気であることは容易く感じ取れた。
「その上で、またお前の力を借りる時が来ると思う。頼めるか」
「……『次』はもっと、分かり易い依頼文にしてくれ」
シモンはそう告げると、ニカッと気持ちのいい笑みをロブに向けた。
「……感謝する」
ロブは胸に手を当てると、目を瞑り小さく呟いた。
シモンはロブに歩み寄ると肩を抱き、視線を送る。
二人は思わず声を上げて笑った。
何もなかった倉庫に、屈託のない二人の男の笑い声が明るく響いた。
翌朝、薄曇りの空の下でロブは静かに言った。
「現時点で、サルディアに脅威はないと判断する。……依頼はここで終了だ」
「了解した」
そう告げたロブの声音には、安堵と一抹の寂しさが混ざっていた。
シモンは軽く顎を引いて応じると、宿泊していた星交館を見上げた。
ロブはそのままの勢いで言葉を継いだ。
「本当に馬車はいらないのか? 街道を歩くのも骨だろう」
「いや、ワイアース行き商隊の護衛依頼を受けた。足代わりにはちょうどいい」
「……お前らしいな」
ロブが笑みを漏らすと、二人のあいだに柔らかな空気が流れた。
「お前は王都へ戻るんだろう?ワイアースには立ち寄らないのか?」
「いや、南回りだ。レナードを経由して帰る。サルディアのような街が他にもあるかもしれん。道すがら様子を見ておく」
シモンはふと思い出したように尋ねる。
ロブは首を横に振った。
「なるほどな……相変わらず真面目だ」
「性分だ」
互いの笑顔を見やると、ふと空気が柔らかくなる。
宿の前で別れの準備をしていると、ノーラ達、ロブの部下が集まってきた。
「道中、お気を付けて、シモンさん!」
「お世話になりました。次に会うときは、一手お手合わせ、お願いします」
明るい声が飛び交う。
シモンは笑って手を振った。
最後にロブの前に立ち、少しだけ真顔になる。
「――今度は、“三人で”ゆっくり会いたいな」
「その時は、俺が酒を持って行く」
シモンの提案に、ロブはその言葉の意味を悟り、目を細めた。
短い握手のあと、シモンは商隊の待つ北門へ向かって歩き出した。
背に受ける風が、どこか軽く感じられた。
振り返れば、ロブたちが見送っていた。シモンは軽く手を挙げて応えた。
(――また会おう。次の戦場で)
途切れた香を辿れば、どこに行きつくのか。
だが、香の続きは次の戦場だと確信していた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何事もなかったかのようなサルディアと、そこで途切れていた“香”。
シモンとロブの信頼や、最後に交わした「三人で」という約束をどう感じましたか?
印象に残った場面や台詞、今後の展開予想があれば、ぜひコメントで教えてください。
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