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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第八章「いつかの蝶の羽ばたき」
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第82話 恐怖の残滓と勇気の一歩


 翌朝、灰色の光が倉庫街を包んでいた。

 昨夜の熱がすっかり抜け、湿った石畳の隙間から涼しい空気が立ちのぼる。

 瓦礫を踏みしめながら、シモンは静かに現場を見渡した。

 打ち砕かれた壁、倒れた木箱、割れた瓶。

 昨夜の儀式で焚かれた香の煙はすでに消え、残り香すらない。

 今はただ、錆と油の匂いだけが一帯を支配している。


 現場は厳重に封鎖されていた。

 柵と張り紙が張られ、一般人が入れないように見張りが立っている。

 巡回する若い隊員が一人、シモンの顔を見つけると眉を上げ、小走りで近寄ってきた。


「シモンさん、おはようございます。隊長は現場で調査の指揮を執っております。こちらからどうぞ」


 礼を返す間もなく、隊員は柵を開けて道を作った。顔見知りを通す手際に、現場の緊張感がほんの少しだけ和らぐ。

 現場の中心には黒い外套を纏ったロブが見えた。

 彼は視線をやや下に落とし、やがてシモンに気づくと歩み寄り、短く言った。


「昨日はお疲れさん。やっぱりお前に依頼して正解だったな」


 シモンは現場を一瞥する。散乱した木箱と割れた瓶、地面に散った血の跡。


「そういうお前は、ずっと現場にいたのか?」


 ロブはわずかに頷き笑った。笑顔は疲れていたが、それでも穏やかだった。


「まあな。責任者が現場を離れるわけにはいかんだろ」


 シモンはゆっくりとロブの顔を見上げた。

 伸びた無精ひげ、目の下には寝不足を示す影が濃く落ちている。

 休む間もなかったのだろう。

 そう察した途端、シモンはわずかに視線を逸らした。


 昨日、自分は荒事を終えた後、ロブの厚意に甘えて星交館の高級ベッドで十分な睡眠を取った。

 その事実に、何とも言えない申し訳なさを覚えた。


 だが、当のロブはシモンの胸中に気づかなかったのか、あるいは気づいたうえで知らないふりをしたのか、何も言わずに視線を横へ流した。

 その先にあるのは、ラドン車を改造した箱形の護送車だった。

 昨夜捕縛された者たちは、おそらくその中に拘留されているのだろう。


「しかし……本当に生かして捕まえるとはな」


 ロブの声に、感心のニュアンスが滲む。

 シモンは無造作に肩をすくめ、視線をそちらへ向ける。


「調べるなら生きている方が都合がいいだろう」


 ロブは短く頷き、現場の音だけが、二人の間を静かに満たしていた。


「昨夜の突入前の話を覚えているか?」


 ロブは少しだけ改まった調子で切り出した。


「こいつら――“フューマー”どもとは、以前にもやり合ったことがある」


 その言葉に、ロブの表情が一瞬だけ硬くなった。


「……フューマ―?」


 聞き返すロブにシモンは簡単に説明した。


「カルト宗教の教団で”ペイン・アセンダンツ”と言うらしいが、実体はよくわかっていない。呼びづらいし、他の誰が聞いているか分からんから、仮面の集団を“フューマー(香を纏う者)”と昨日名付けた。儀式で変質したあいつは“エクセス・フューマー(過剰香者)”、略してエクセスだ」

「……そうか。……いい、続きを聞かせてくれ」


 何故か得意げなシモンに対し、ロブは怪訝な表情を浮かべるが、それよりも話の先が気にるのか、続きを促した。


「五か月前、ワイアース郊外で起きた連続誘拐事件だ。同じようなフューマ―が、子どもを攫っていた」

「……結末は?」

「実行犯たちは壊滅だ。だが黒幕と思われる教団は不明のまま。目的も分からなかった」


 言葉の端で、シモンは意図的に“ジュリア”の名を避けた。

 ロブは何かに気づいたかもしれないが、深くは追及してこなかった。


「……それを早く言えと言いたいところだが、今聞けてよかった」

「言ったところで、動けなかっただろうに」


 二人の間に、乾いた笑いが零れた。


「だが、逆に聞きたい。ワイアースの誘拐について、本当に知らなかったのか?」

「……ああ。少なくとも俺のところまで情報は降りてこなかった」


 シモンは思案した。

 ロブが知らないということは、“あの方”も知らないということだ。

 そうでなければロブに情報を降ろさない理由はない。


 ということは、ワイアースの誘拐事件は中央に報告されていないのではないか。

 テラノスが他貴族への口止めをしたのは確かだが、中央への報告まで塞げるはずがないし、する理由もない。


 ――ならば、誰かが意図的に止めた……もしくは、もみ消したか。

 誰が、何のために?

 考えても答えの出る類ではないが、少なくともそれが可能な“力”を持つ何者かの思惑が働いているのは確かだった。

 しばしの沈黙のあと、シモンが倉庫の天窓を見上げる。


「……それと別件だが、半年前に通りすがりの街で、今回の騒動と似た症状を見た」

「場所は?」

「中継都市サルディアだ。ワイアースから南へ下ったあたり……アルメリア港との中間あたりだ」


 今度はロブが眉をひそめ、思案のための沈黙が流れた。


「……シモン、すまんがこれから残業は可能か?」

「……残業手当が出るならな」

「融通の利く冒険者は重用しないとな。腕が立つなら猶更だ」


 ロブが苦笑する。

 その場で彼は指示を出し、現地調査班の先行派遣を決定した。

 “報告よりも先に動く”――規則を無視した、現場の独断。

 全てが許されるべきではないが、杓子定規に縛られない柔軟な対応だと、当然のように頷いた。


「もう一働きするとしようか」

「香りはまだ消えていない。そういうことだ」




 今後の方針を決めたロブは、フューマーの護送手続きやサルディアへの先行調査隊の編成に追われていた。

 命令を飛ばし、報告を受け、また次の指示を出す。

 その声が絶え間なく飛び交い、現場は慌ただしく動いている。


 対してシモンは、この場で特にやることもなかった。

 真面目に働いている者たちへ不用意に声をかけるのも気が引ける。

 そのため、なんとなく周囲を見回りながら、手持ち無沙汰を紛らわせるように倉庫街を歩いた。


 瓦礫の影に取り残された魔導具の残骸。

 砕けた木箱。

 地面に残る擦過の跡。


 それらが、昨夜の戦いの名残を静かに物語っていた。

 やがて陽は高く昇り、倉庫の屋根をかすめた光が、むき出しの鉄骨を白く照らし始める。

 気づけば時間は正午を過ぎ、先行調査班の出発時刻が近づいていた。


 荷を積んだ馬車の脇では、隊員たちが最終確認に追われている。

 その中に、包帯を巻いたノーラの姿もあった。

 シモンは彼女を見つけると、足を止めた。


「傷の具合はどうだ?」


 問いかけに、ノーラは小さく笑って首を振る。


「生命魔法で癒してもらいました。体調も問題ありません」

「そうか。無理はするなよ」

「はい……それより、情けないところをお見せしました」


 ノーラは自嘲気味に笑う。


「気絶して、任務を放り出してしまって……恥ずかしいです」


 シモンは軽く顎を上げ、彼女の背にある護送車へ視線をやった。


「ここにいるってことは、先行調査班に?」

「はい。昨夜の失態を取り戻したくて、志願しました」


 しばしの沈黙。

 ふと、シモンは夜の戦いを思い返し、静かに口を開いた。


「……怖かったか?」


 ノーラは目を伏せたまま答えなかった。

 その沈黙に、否定も肯定もできない迷いが見えた気がした。

 かすかに震える唇が、その心の揺れを物語っていた。

 シモンは穏やかに続けた。


「死に直面すれば怖い。きっと誰でもそうだと思うし、俺も怖いと思う。そんな経験、今まで何度もあったさ」


 ノーラの肩が小さく動く。


「だが――怖いと思っても、それでも前に進もうとする。それが勇気だと思っている」


 言葉は静かだったが、確かな力があった。


「恐怖を感じることは、恥じゃない。今の君が恐怖を認めても、それでも一歩先に進もうとしているなら……それは立派な勇気だ」


 驚いたように、ノーラは顔を上げた。


「君の勇気で助けられる命がある。そのことを、忘れないでくれ」


 ノーラの瞳が、微かに揺れた。

 いつもは凛々しい表情を浮かべる彼女の頬が、ほんの少し緩む。


「……ありがとうございます。必ず、やり遂げます」


 その目には確かな光が宿っていた。

 その時、シモンの背後から柔らかな声が落ちてきた。


「シモン、うちの隊員を口説くのはよしてくれないか」

「そ、そんな、口説かれてなんかありません! ……時間なので、失礼します!」


 振り返ると、書類束を抱えたロブが立っていた。

 ノーラは顔を真っ赤にしたまま、否定するように両手を振る。

 早口でまくし立てると、最後に慌ただしく一礼し、そのまま足早にその場を後にした。


「お前なぁ……」

「天然女たらしは変わらないんだな」


 シモンが眉をひそめると、ロブは口の端を上げて笑った。

 先行調査隊を乗せた馬車がゆっくりと動き出し、やがて視界の彼方へと消えていく。

 その背を見送りながら、シモンは小さく息を吐いた。

 昼の陽射しの中に、昨夜の香の残滓が、まだ微かに漂っている気がした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


恐怖を乗り越えようと、一歩を踏み出したノーラ。

シモンの励ましや、最後の「口説いている」ように見えたやり取りをどう思いましたか?

印象に残った場面や台詞があれば、ぜひコメントで教えてください。


★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。

いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

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