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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第八章「いつかの蝶の羽ばたき」
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第81話 狂気の香と男の本性

 入り口から吹き込む風が、瓦解した壁を抜けていく。

 香の煙はとうに散り、倉庫の空気は澄んでいる――はずだった。

 それでも、奴らを見た瞬間、鼻腔の奥に、嫌な甘さがこびりつくように残った気がした。

 理屈ではなく、感覚が告げている。まだ“香”は生きている、と。


 変貌した信者は前傾姿勢のまま、肩を震わせ、口角を吊り上げていた。

 ニタニタと笑う顔は、もはや人ではない。

 皮膚の下を黒く変色した血管が走り、膨張した筋が衣の継ぎ目を裂く。

 獣が笑うなら、きっとこんな顔をする――そんな、理不尽な醜さだった。


(嫌な匂いがする奴らだ。さしづめ“フューマー(香を纏う者)”ってところか。……ついでに、あの壊れた奴は“エクセス・フューマー(過剰香者)”、略してエクセスだな)

 シモンが心中で名を与えたのとほぼ同時、仮面の一団、フューマーのリーダーが一歩前に出た。

 先程までの狼狽が嘘のように、堂々とした態度で喉を震わせて叫ぶ。


「我らの理想を阻む、蒙昧なる輩を――真なる姿で打ち倒せ!」


 退路を確保するため、リーダーが裏口へとエクセスをけしかけた。

 最低限の命令を理解したエクセスは壁を蹴り、縦横無尽に飛び跳ねる。

 獣じみた脚力で床を砕きながら、巨体が一直線に裏口に突進してくる。

 その進路を遮るように、ロブの部下、ノーラが槍を構え一歩前へ出た。


「ここは通さないっ」


 足を半歩ずらし、冷静に間合いを計る。

 槍先はわずかに揺れ、息を整えると、鋭い連撃が走った。

 無駄のない動作。

 流れるような打突。

 人間を相手取るなら、それは教本に載せたいほどの正確さだった。


 だが、相手は――もう“人”ではない。

 エクセスは笑っていた。

 唇を裂けるほどに吊り上げ、目を血走らせたまま、異様な弾力で身をくねらせる。

 連撃を掻い潜り、穂先を紙一重でかわすと、懐に滑り込んだ。


 エクセスがむんずと槍の柄を掴んだ。


「は、放して……ください!」


 ノーラの声が響く。

 常識外の存在に、常識的な言葉を投げる――その声は微かに震えており、認めたくない現実に抵抗しているかのようだった。

 そして指先が白くなるほど槍を握りしめ、手放さない姿を見て、シモンはほんの僅かに眉を寄せた。

 ……悪い流れだ。

 エクセスの腕が膨張した。

 呼応するように、掴んだ槍が悲鳴のような軋む音を立てた。


 次の瞬間、ノーラの身体が床を離れた。

 エクセスは片手でノーラの槍を振り回している。

 常識では考えられぬ膂力だ。

 回転が空気を裂くたび、血が引くような風圧が倉庫の隅々まで走った。


 ノーラは必死に柄を握り、足をばたつかせる。

 だが人外が生み出す遠心力には勝てない。

 手が離れる。

 重力が戻り、彼女の体が宙を舞った。

 次の瞬間、鈍い音が響く。


 壁が揺れた。

 粉塵がぱらぱらと降り、木片が床を転がる。

 目の前に群がる住民と、壁伝いにずるりと落ちるノーラを見て、思わず歯噛みした。

 ――間に合わなかった。

 その冷静な言葉が、頭の奥で硬く鳴った。


 ノーラは、衝撃のせいか意識こそ保っているようだったが、身体は細かく痙攣し、起き上がることもできなかった。

 倉庫の床を爪で掻きながらも、指先には力が入らない。

 その彼女に、エクセスがゆっくりと歩み寄る。


 殺意を隠そうともしない歩幅――だが、あえて“ゆっくりと”近づいているように見えた。

 獲物の恐怖を確かめるための間合い。

 生きたまま弄ぶような、悪意の緩慢さ。

 肥大化した手が持ち上がり、ノーラの顔の前で静止する。

 指がゆっくりと開閉し、反応を試すように頬を撫でた。


 次の瞬間、エクセスはその顔を掴み上げた。

 そして――敵にも味方にも見せつけるように、頭上高く掲げた。

 ノーラの脚が宙でばたつく。抵抗する力など、もう残っていない。


「は、はな……せ、は……な……」


 掠れた声が空気に散る。

 エクセスはニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、腕の筋が隆起していく。

 締め付けている。握力で、ゆっくりと。


「ノーラっ!!」


 ロブの怒声が響く。

 だが、洗脳された住民たちが壁となり、踏み込むことができない。


「いや……いやぁぁ!!」


 ノーラの悲痛な叫びが、倉庫の天井を震わせた。

 一拍。

 その手足が、糸の切れた人形のように力を失う。

 足元に小さな音。

 足を伝い滴る液体が、床に小さな水溜まりを作った。


「貴様ぁぁっ!」


 裏口を守っていたダリオが、咆哮とともに動いた。

 鍔迫り合いをしていたフューマーを拳で吹き飛ばし、振り返りもせずエクセスへと突撃する。

 エクセスはその気配を捉え、怒気を孕んだ目で一瞥をくれた。

 途端に口端が吊り上がる。――あの、嫌らしい笑み。

 次の瞬間、動かなくなったノーラの身体を、そのままダリオへ向けて投げ放った。


「っ――!」


 避けることは出来なかった。

 ダリオは咄嗟に両腕を広げ、ノーラを受け止めようとしたが、人の身で受けられる衝撃ではない。

 空気が弾け、二人まとめて床を転がる。


 エクセスはわずかに首を傾け、次の獲物を探すように視線を巡らせた。

 倉庫に残った者たちの呼吸が止まる。


「ロブ、住民たちは任せるぞ」


 短く言い残し、シモンは一歩踏み出した。

 住民たちの間を風のように掻い潜り、エクセスの正面へ躍り出た。

 足元の瓦礫を踏む音が、静まり返った空間に冷たく響いた。

 ロブはシモンの意図を理解したのか、瞬時に状況を把握して指示を飛ばした。


「“奴”はシモンに任せろ! 住民は俺がやる! 別班は裏口を死守しろ、絶対に逃すな! 他の者は倒れている住民を急いで外へ避難させろ!」

『了解!!』


 一斉に返る声。

 命令は的確で、部隊の動きに迷いはなかった。


「よし、全員の奮戦を期待する!」


 ロブの鼓舞に、部下たちがそれぞれの持ち場へ散っていく。

 彼自身も、先ほどよりも荒々しく、洗脳された住民を次々に無力化していった。

 シモンも、その意図を読み取る。

 ――つまり、自分が“時間”を稼ぐ役目だ。


「遊んでやるから、かかってこいよ」


 右手に木剣を構え、左手をクイクイと煽るように差し出す。

 理性を失ったはずのエクセスが、その挑発を理解したのか、猛然と飛びかかってきた。

(住民の避難が完了するまでは、こいつを暴れさせるわけにはいかない。……ここで止める)


 エクセスの猛攻を受け止めながら、シモンは足を止めたまま動く。

 その場での体さばき、木剣の受け。

 本来の強みであるフットワークを封じたうえで、重心移動と木剣だけで力を流す。


 真巽流《巽返し(そんがえし)》。

 相手の力を正面から受けず、わずかに角度をずらしながら、流すように受け流す技だ。

 打ち合いではなく、力の通り道を見極める感覚。


 だが、相手の膂力は常軌を逸していた。

 いなしきれず、木剣が軋むたびに腕に痺れが走る。

 防ぎ切れなかった拳圧が肩を裂き、頬に血が滲む。


「虫の息の相手だ、早く仕留めろ!」


 リーダー格のフューマーが叫ぶ。

 シモンは片目を細め、鼻で笑った。


「理性を捨ててこの程度じゃ、割に合わんだろう」


 嘲るような声。

 次の瞬間、エクセスが突進した――。

 だがシモンの背後で、裏口を守っていたロブの部下が倒れ込んでくる。

 このままでは、踏み潰される。


 シモンは反射的に体を横にずらし、エクセスの軌道を変えた。

 完全には躱しきれない。

 木剣を斜めに構え、受け止める。


 轟音。

 衝撃。



 次の瞬間、シモンの身体が壁まで吹き飛んだ。

 木剣が悲鳴を上げるように砕け、破片が散る。


「シモンっ!!」


 ロブの声が飛ぶ。

 壁に叩きつけられた衝撃で生まれた痺れを悟られぬよう、シモンは壁に背を預けたまま、背を滑らせて立ち上がった。

 突進を受けた瞬間、無理に踏ん張らず、自らも後方へ跳んでいた。

 派手に吹き飛んだが、致命的な打撃はない。


「大丈夫だ。……それより、そろそろコイツ、仕留めてもよさそうだな」


 不敵に呟き、視線を巡らせる。

 倉庫の奥では、最後の住民が避難のため外へ運び出されていた。

 邪魔のない“戦場”が整う。

 シモンは砕けた木剣の柄を放り、腰の真剣を抜いた。

 刃が光を受け、静かに鳴る。


 その気配に、エクセスの動きが一瞬止まる。

 理性を失っているはずなのに――本能が警鐘を鳴らしているのだろう。


「来ないのか? “出来損ない”」


 侮蔑の言葉。

 挑発を理解したのか、エクセスが再び唸り声を上げ、突っ込んでくる。

 シモンは一歩も退かず、軽やかに右へ、左へと流れる。


 先ほどまでの防戦とは違う。

 足場を確立し、呼吸の流れが変わっている。

 エクセスの拳が掠ることすらできない。

 躱すたびに、刃が閃く。

 斬撃は一つひとつ浅いが、確実に通っていた。

 やがて、エクセスの全身は血に染まり、動きが鈍る。


 怒号とともに、業を煮やしたエクセスが吠える。

 そして渾身の踏み込み。

 人外の腕が振り下ろされる。


 だが、シモンは避けようともしなかった。

 刹那。

 彼の姿が、霧のように掻き消えた。


「真巽流《霞斬かすみぎり》」


 気配を断ち、残像を残す。

 エクセスの背後に回ったシモンの刃が、静かに閃いた。

 膝窩、足首、上腕。

 狙いすました刃が腱を断つ。

 音すらない。


 巨体が膝から崩れ落ちる。

 四肢は残るが、もう暴れない。

 否――暴れられない。

 エクセスは生きたまま、完全に無力化された。


 静寂が戻る。

 むせ返る血の香りが、倉庫に漂っていた。

 シモンは短く息をつくと、背後を振り返った。


 大勢は、すでに決していた。

 住民たちは全員、倉庫の外へと連れ出され、暴れていたエクセスは生きたまま動けず、ロブの部下によって縛り上げられている。

 フューマー達もすべて打ち倒され、裏口も押さえられていた。

 残るは――リーダー格の一人だけ。

 シモンは剣を下ろしたまま、ゆっくりと歩み寄った。



「情報なら、そこらで寝ている奴らで十分だろう――だったら……一人くらい殺しても、問題ないよな?」


 ロブは短く目を細め、シモンの声音の底を読んだ。


「……まぁ、一人くらい構わんさ。死んでもな」

「た、助け――助けてくれ、わたしは、私はただ――!」


 フューマーが命乞いを始める。仮面越しでも、動揺が手に取るように分かった。


「自害がしたいなら、待ってやってもいいぞ」


 弱まりつつある《ルミノア》の光が、シモンの顔を淡く照らす。

 素顔のまま、何の感情も浮かべず、冷淡に告げたその声は、石のように硬かった。

 いつまでも命乞いを続けるリーダーに、シモンは視線を落とし、ほんのわずかに肩を傾ける。


「今まで他人に好き勝手やってきた、その報い」


 壊れた壁の隙間から、月光が差し込む。

 上段――刃が白い。

 世界が細くなる。


「――死ね」


 音のない一閃。

 刃が引かれ、遅れて空気が震えた。

 仮面が床に転がり、身体が沈む。


……

…………


「……やったのか?」


 察しているかのようなロブの声。

 シモンは短く息を吐き、剣を振り血を払う。


「やるわけないだろ」


 カチャンと剣を鞘に納めると同時に、転がった仮面が真っ二つに割れる。

 命は残され、この夜に一つの区切りが付けられた。


 月は何も語らない。

 ただあるがままの現実を、柔らかな光が照らしていた。

 沈黙の倉庫に、夜風が差し込み、血の香りを空へと飛散させていった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


猛威を振るい、ノーラを一蹴したエクセス。

真剣を抜いたシモンは格の違いを見せつけ、エクセスを無力化しました。

最後の処刑フェイントは、シモンらしさとして伝わったでしょうか?

印象に残った場面や台詞があれば、ぜひコメントで教えてください。


★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。

いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

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