表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第七章 「紫煙に導かれて」
87/94

第79話 歪む紫煙と切り裂く刃

 倉庫街に入ると、通りの灯はほとんどが消えていた。

 夜風が錆と油の匂いを運び、積み上げられた木箱の影が、路地の石畳を縫うように伸びている。

 案内役のロブの部下が、黒衣の裾を翻して先を行く。

 無言のまま、足取りは迷いなく、足音すら闇に吸い込まれる。


 ただ、風が吹くたびに――油の残り香と、遠くで軋む鎖の音だけが夜気を震わせた。

 息をひとつ吐くたびに、冷気が肺の奥を撫でる。

 戦いの直前にしか訪れぬ静寂が、じわりと肌を刺していた。

 やがて、通りの最奥に目的の廃倉庫が姿を現した。


 外壁は半ば崩れ、錆びた鉄扉が月明かりを受けて鈍く光っている。

 だが、その奥からは確かに、微細な魔力の流れが滲み出ていた。

(……ここか)

 物陰には、すでにロブが立っていた。

 黒の外套に軽鎧を重ね、腰には長剣。

 昨日の品の良い紳士然とした姿は跡形もなく、そこにいるのは戦場を知る男――冷徹な指揮官の顔だった。


「よく来たな。予定どおりに突入だ」


 低く放たれた声には、一分の隙もない緊張が宿る。

 その眼光には、任務に挑む覚悟と、静かな怒りの色があった。

 シモンは無言で頷き、腰の訓練用木剣に手を当てる。

 掌に伝わる真新しい木の感触に、心のざわめきが染み込んでいくようだった。


 ロブの傍らには、六名の部下が控えていた。

 男女混成。

 いずれも熟練の気配を纏い、身じろぎひとつしない。

 誰も言葉を発さず、ただ夜気の中で呼吸を整えていた。

 ロブは地図を広げ、指先で倉庫の構造をなぞる。


「外に見張りが四名。裏口は別動隊が塞いでいる。逃げ場はない。俺たちは正面から押し入り、内部へ追い込んで制圧する」


 淡々とした声が闇を裂く。


「中の様子は?」

「現在、詳細は不明。……おそらく“香”を焚いて儀式の最中だ。犯行グループの連中は十数名、巻き込まれた住民は七十から八十。――それが現時点での推定だ」


 ロブは短く息を吐き、視線を地図に戻した。

 シモンの脳裏に、ふとハルカの顔が浮かぶ。

 忍びである彼女なら、この状況でも難なく潜り込み、敵の中枢を探り出すだろう。

 かつて敵のひしめく礼拝堂に潜入し、気配を悟られず本丸の儀式場まで辿り着いたあの離れ業――これこそ八咫の忍びといった所業だった。


(……こんな時、ハルカがいてくれたら)

 胸の奥をかすめた思いを押し込み、シモンは目を細めて廃倉庫を観察した。

 風に運ばれてくるのは、錆と香の混じった匂い。

 その異様な空気を前に、片目を瞑る。




 ロブが短く指示を与えると、部下たちは影のように散開し、外周へと姿を消す。

 その動きを視界の端で捉えながら、シモンは静かに呼吸を整えた。


「最初の合図で、俺とお前で見張りを無力化する。いいな?」


 ロブの低い声が、夜気を更に重くする。

 シモンは無言のまま頷き、逆に脱力する。

 彼の意識は研ぎ澄まされ、音も、匂いも、すべての気配が一本の線となって流れ込んでくる。

 わずかな足音の揺らぎ、衣擦れ、呼吸の波――そのすべてが敵の位置を描き出していた。


 次の瞬間、闇を裂くように青色の発光魔法が打ち上げられた。

 合図と同時に、ロブが地を蹴る。

 シモンもそれに続き、音を殺して影のように追従する。


 虚を突かれた見張りの四人は、反応する間もなく沈む。

 鈍い衝撃音が三度、四度――そして静寂が戻った。

 ロブの剣筋は無駄が一切なかった。

 若き日の力強さと、年を重ねて得た緻密さが同居している。

(……相変わらず見事な腕だ)

 シモンは内心で舌を巻いた。


 一方でロブも、シモンが倒した見張りを一瞥し、わずかに口角を上げる。

 互いに同じことを思ったのだろう。

 ロブは腰からロープを取り出し、無言のままシモンへと放った。

 それを受け取るや否や、二人は倒れた見張りたちの手を素早く縛り上げる。


 作業を終えると、ロブが軽く顎を引き、シモンも同じ動きで応じる。

 短く息を整え、二人は物陰から身を乗り出す。

 視線の先――倉庫の内部を、無言のまま探った。


 倉庫の隙間から、微かな香の匂いが漏れ出していた。

 甘く、鉄のような苦みを帯びた――どこか血の記憶を呼び覚ますような香り。

 それが、“依存触媒”の気配だと直感する。


 薄明りに目を凝らすと、奥でゆらめく人影が見えた。

 住民らしき者たちが、陶酔した表情で何かを呟きながら、ゆるやかに身体を揺らしている。

 その中心には、白い仮面を被った男が立ち、香炉に炎を落とした。

 ぼう、と橙色の火が灯ると、紫煙が立ち昇り、甘い香りが周囲を巡り、やがて天へと昇る。

 そのたびに人々の瞳が淡く光り、倉庫の奥は現実とも幻ともつかぬ光景に変わっていった。


(……やはり、あいつらか)

 白い仮面を見た瞬間、シモンの脳裏に数か月前の誘拐劇が閃いた。

 奴らの目的は依然として掴めていない。

 だが、何らかの明確な目的があることだけは間違いない。

 情報源としても、ここは絶対に逃せない――。

 シモンは息をひとつ吐き、木剣を握る手に、わずかに力が籠る。


 紫煙が渦を巻き、薄暗い倉庫の中でゆらゆらと踊る。

 灯の届かぬその光景は、まるで現実の皮を剥いだ夢の断片。

 理性の輪郭が、静かに歪み始めていた。


「ロブ、奴ら――追い詰められると自害する可能性がある」


 シモンは低く声を発した。

 ロブの目がわずかに見開かれる。


「……どうしてそんなことを知っている?」

「詳しくは後で話す。今は、この状況に集中しろ」


 シモンは答えず、視線を前へ戻した。

 ロブは数瞬だけ思案し、そして頷いた。

 言葉はもういらなかった。

 今やるべきことは互いに理解している――そういう空気が、二人の間に静かに流れた。


 風が止む。

 遠くで、時計台の鐘の音が、低く響き渡る。

 その響きが夜の底を震わせ、すぐに静寂へと沈む。

 ロブは剣の柄に手を置き、わずかに腰を落とした。


「――行くぞ」


 その一言に、一帯の気配が変わる。

 シモンは木剣を構え、息を殺した。

 刹那、世界が音を失う。

 風も、匂いも、すべてが遠のく。

 残るのは、ただ一点――目の前の扉だけ。

 ロブの手が振り下ろされる。


「突入!」


 乾いた号令が夜を裂いた。

 沈黙が弾け、影が一斉に動き出す。

 倉庫街の奥で、夜風が裂けた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


再びシモンの目の前に現れた、白い仮面の集団。

これから始まるシモンの活躍に、ご期待をコメントで教えてください!


★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。

いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ