第78話 依頼と再会の交差点
「とりあえず、中で話そう」
ロバート――いや、今は“ロブ・ローズ”と名乗る男が、軽く顎をしゃくって部屋の奥を促した。
彼を迎え入れ、扉が静かに閉まる。
魔工灯の白光が、ふたりの影を柔らかく伸ばす。
ロブが応接のサイドテーブルに置かれた小さな魔導具に触れると、青白い紋様が輪を描いて淡く浮かんだ。
「――よし。これで内から音は漏れんし、外からの魔力も通らない。もともと防諜構造の部屋だが、念には念を入れて……な」
「随分と厳重なんだな」
「厳重にしなきゃならん話だからな」
ロブは外套を脱ぎ、内側から深い藍色の上着を覗かせた。縫い目ひとつ乱れのない仕立てで、首元には銀糸のタイが整然と結ばれている。
控えめな装飾ながら、品の良さが滲み出ている。
そのままソファへ腰を下ろすと、室内の空気がわずかに引き締まった。
シモンも向かいに座り、背もたれに軽く体を預ける。
ロブが小さく咳払いをして、先ほどまでの芝居がかった調子を捨てる。
「まずは、依頼を受けてくれたことに感謝する」
「感謝はいいが、もう少し分かりやすくしてくれないか?」
場を引き締めようとしたのか、敢えて低く、落ち着いたロブの声色だった。
しかしシモンは苦笑を浮かべ、ぞんざいに受け取った。
「はは、“依頼人スレイ・ミラー”のことか?」
「それだ、それ。危うく断るところだったんだぞ」
ロブはニカッと笑い、軽く手を上げて謝意を示した。
「すまん、すまん。だが、お前だけに分かる符丁が必要だったんだ。それに――実際お前はそれに気づき、依頼を受けて、こうしてここにいる。つまり問題はなかった、ということだ」
「はぁ……まったく、性格の悪い言い回しだな」
「王都に長くいれば、誰だってこうなるさ」
呆れたシモンとは対照的に、ロブは全く悪びれた素振りを見せない。
だが、ロブは肩を竦めると、背を起こし、表情をわずかに引き締めた。
「さて――ここからの話は、他言無用で頼む。……すでに気づいているかもしれんが、今回の件は“あの方”からの密命だ」
シモンは眉をひとつ上げる。
「“スレイ・ミラー”か。……つまり――」
ロブは人差し指を唇に当てた。
シモンは小さく頷き、それ以上を口にしなかった。
部屋の静寂が、魔工灯の微かな揺らぎと共に沈む。
これでようやく、茶番は終わりだ――そんな空気が、二人のあいだに流れていた。
ロブは脚を組み、視線をわずかに落とした。
「“あの方”から公にできない任務――つまり密命というわけだ。そのために、私は“ロブ・ローズ”を名乗り、“特別辺境警備隊隊長”という仮初の肩書を使っている」
淡々とした言葉の裏に、慎重な重みが滲んでいる。
「立場を偽る以上、公式の記録にも痕跡は残らん。だが、あの方の命で動いている以上、正規の捜査よりも速く、静かに潜らねばならんのだ」
シモンは黙って頷き、続きを促す。
ロブは脚を組み替え、指先でテーブルを二度叩いた。
「今回、我々が追っている“ターゲット”は――精神に作用する物質を用い、住民たちを静かに蝕んでいる連中だ。恐らくブツは香木か香油、あるいは祈祷用の聖油に偽装された匂いに関する何かだ。だが、その実体は“依存触媒”だ」
シモンの瞳が、魔工灯の光を反射して鋭く光った。
「……つまり、洗脳、あるいは催眠か」
「そうだ。初期段階では既に、複数の住民が自我を薄められ、意識の底に別の“声”を宿している。表面上は穏やかだが、思考や判断が奇妙に歪められている」
静かに吐息を漏らし、シモンを見据えると言葉を続けた。
「洗脳、もしくは催眠となれば、被害者であるはずの住民たちと衝突しかねん。だからこそ――非殺傷で抑えられる戦力が必要なんだ」
ロブはシモンをまっすぐに見据えたまま、ニヤリと笑った。
「そこでお前の出番だ、シモン。……お前の腕なら、暴徒を殺さず無力化できるだろ。むしろお前程の手練れでなければ、殺すことは出来ても、非殺傷の制圧は難しい」
暴徒と化した人々を“殺さずに”制圧する――それは、単に敵を倒すよりも遥かに難しい。
武器を振るえば一瞬で沈む相手を、致命の一線で止めるには、相手の体格も、動きも、魔力の流れもすべて見極めねばならない。
手加減と呼ぶには繊細すぎる調整。
判断を誤れば、殺すか、逆に殺される。
しかも、相手は自我を奪われ、痛みも恐怖も感じない洗脳された人間たちだ。
理性のない敵ほど厄介なものはない。
だからこそ――非殺傷で抑えられる者など、ほんの一握りしかいないのだ。
「依頼の趣旨は理解した。だが、こちらからも質問してよいか」
「どうぞ」
シモンの言葉に、ロブは優雅な所作で片手を差し出した。
その仕草は現場の人間とは思えないほど、流麗で洗練されていた。
「調査はどこまで進んでいる? いつ、どこで踏み込むつもりだ」
問いに応じて、ロブは背筋を伸ばし、足を組み替える。
その動きは静かだが、指先まで計算された無駄のない美しさがあった。
「良い質問だ。実は奴らの集会の目星は既についている。だが、お前が来るまでは踏み込むのを控えるつもりだった」
「つもり……だった?」
シモンの声がわずかに低くなる。
ロブは片眉を上げ、音を立てずに指を鳴らした。
「そう、“だった”……だ」
彼は軽く人差し指を立て、唇の端に余裕ある笑みを浮かべた。
「ああ。お前が想定より早く到着してくれたおかげでな。決行は――明日に前倒しする」
「そうか。それなら夜通し走らせた甲斐がある」
シモンは肩を軽くほぐし、深く息をついた。
「感謝する。無辜の民が、知らぬまま心を蝕まれていると考えると……一刻の猶予も惜しい」
ロブの瞳に宿る光は、昼下がりの陽を映しながらも、燃える怒りを隠していなかった。
その強い眼差しを見て、シモンはふと微笑を零した。
出会った頃と、何も変わっていない――民を想う正義の心は、若かりし頃のままだ。
「やつらの目的は、判明しているのか?」
シモンの問いに、ロブは小さく息を吐き、背を椅子に預けた。
次いで、両手のひらを上に向け、軽く肩を竦める。
「すまん。そっちはほぼお手上げだ」
わずかに苦笑を浮かべる表情は、諦観と優雅さが、不思議に同居していて、何故かとても絵になった。
「唯一分かっているのは、どうも“宗教絡み”らしいということだ。潜入した者が教義らしい一節を耳にしたが……連中の警戒が固くてな」
(宗教?……まさか)
シモンは胸の内で思考を巡らせたが、口には出さなかった。
早計な言葉は、相手の推測を縛る。
「だからこそだ。住民だけでなく、奴らも生け捕りにして、背後関係を洗い出す。絶対だ」
ロブは立ち上がり、窓際に歩み寄る。
昼の陽に照らされた横顔は、驚くほど険しい。
彼の視線の先には活気に沸く住民たちの姿がある。
だが、その活気が歪められた仮初であることが許せないのであろう。
「分かった。明日か……それまでの具体的な行動はどうする?」
シモンが問いかけると、ロブは静かに振り返り、ソファーに置いた外套のポケットから折り畳まれた地図を取り出した。
「明日の夕刻、部下をこの部屋に迎えに来させる。それまでに体調を整え、周辺を軽く下見しておいてほしい。細かな指示は不要だろ?」
その声音には、確かな信頼が込められていた。
シモンは頷き、地図を受け取る。
「了解した」
ロブは再び外套を手に取り、軽く肩へかけた。
「悪いが、これ以降は当日まで同行できん。一緒に動けば、余計な目を引く。……すまんな」
「気にするな。目立たないほうが、むしろ都合がいい」
ロブはふっと目を細め、軽く息を吐く。
「助かる。それじゃあ――全てが終わったら、久々に祝杯でもあげよう」
その声音は、緊張を束の間やわらげるような明るさを帯びていた。
シモンは口の端をわずかに上げ、応じる。
「場所は任せる。……酒の趣味は変わってないだろう?」
「もちろんだ」
ロブの口元に、短いが穏やかな笑みが浮かんだ。
ふと、シモンが一歩前に出る。
ロブは動きを止め、静かに視線を向けた。
「最後に、ひとつだけ聞かせてくれ。今回の件、“彼”が関わっているということは……王都でも、何かが起きているのか?」
短い沈黙が落ちた。
目を閉じたロブに僅かな苦みが見え、やがて低く答えた。
「その質問には、YESともNOとも言えない。…………申し訳ない」
その声音には、言葉を濁すための曖昧さではなく、立場ゆえの苦悩が滲んでいた。
シモンはそれを理解していた。
「構わんさ」
短く答え、軽く口角を上げる。
その笑みは、旧知としての信頼と、空気が重くなりすぎない為の配慮でもあった。
ロブも同じように微笑を返し、指先でサイドテーブルの魔導具に触れる。
淡い光が揺らめき、防諜の術式が静かに解除される。
「では、また明日」
軽く手を上げて一礼すると、ロブは静かに部屋を後にした。
扉が閉まると、室内に再び静寂が戻る。
(……王都で何かが起きている、か)
窓の外では、昼の喧騒がまだ続いている。
だが、その音が、どこか遠くに感じられた。
事件の影は、すでにこの街だけにとどまらないのかもしれない。
ロブの眼差しと、その背に映る陽光を思い返しながら、シモンは小さく息をついた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明かされた依頼内容に、不吉な陰謀の匂い。
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