第75話 秋の夜風
冒険者ギルドは、昼間の雑然とした喧騒を忘れ、夜に馴染んだ穏やかな賑わいだけが残されていた。
掲示板の前に立つ依頼人や冒険者もまばらで、窓の外には街灯の魔工灯が橙色の光を投げかけている。
カウンターの奥では、事務員たちが一日の報告書をまとめており、薄い紙の擦れる音とペンの走る音だけが規則正しく響いていた。
シモンたちは、討伐任務を終えてギルドに戻ってきたばかりだった。
扉を押し開けて中に入ると、ジュリアとハルカは並んで歩いてはいたものの、どちらも俯いたまま、一言も発しなかった。
先ほどの戦闘――スラッシュバニーとの交戦は、二人にとって決して満足のいくものではなかった。その沈黙が、否応なく空気を重くしている。
シモンは二人に一瞥を送り、ため息をひとつだけ胸の奥で押し殺した。
今、言葉を投げても意味はない。
彼は足早にカウンターへ向かい、報告書の提出と討伐証明の手続きを淡々と済ませた。
魔石とアミュレットを差し出し、応対に出た受付嬢――エリスが顔を上げる。
「おかえりなさい、シモンさん。……あら?」
エリスの視線がシモンの後ろに向かう。
ジュリアとハルカの顔色を見て、すぐに異変を察したらしい。心配げに眉を寄せた彼女が、何か声をかけようとした瞬間――シモンは首を小さく横に振った。“今は話しかけないでくれ”という無言の合図。
エリスは一拍置いてから、静かに頷いて業務に戻った。
報告を終え、報酬を分配すると、シモンは二人を促してギルドを後にした。
夜風が肌を撫でる。
街道沿いの灯りがぽつぽつと続く中、三人の靴音だけが響いた。
重苦しい沈黙を破ったのは、シモンだった。
「……さて、今日の振り返りをしようか」
――二人の肩が小さく揺れた。
あの戦闘の記憶が、否応なく脳裏に蘇ったのだろう。
「結果から言えば、全員無事で討伐は完了だ。だが――内容は、褒められたもんじゃない」
低く、淡々とした声だった。
責め立てるのではなく、事実を告げる声音。
シモンは足を止めずに続けた。
「まず、お前たちは強い。戦闘での実力は、お前たちのランクを超えているのは明らかだ」
ジュリアのランクはFランク、ハルカはEランク。
だが戦闘力で考えればDランク相当であり、Cランクにも届きうる実力だ。
「だが、組んで戦うと、途端に弱くなる……というより、機能しなくなる」
スラッシュバニーとの一戦は、今の二人にとって試金石となるはずだった。
しかし、結果はお粗末なものだった。
「だって、仕方なかったじゃない。ハルカが敵に接近しすぎて魔法は撃てないし、でも、危なかったんだから、撃つしかないじゃない」
ジュリアは鬱積した思いを吐露した。
不可抗力ではあってもハルカを自分の魔法に巻き込み、大事には至らなかったとはいえ、負傷させてしまったことに思い悩んでいたのだろう。
真っ赤な顔で反論するジュリアに、シモンは努めて冷静に、客観的に返した。
「……そうだな。今回のハルカは敵を仕留めることに執着しすぎだ」
「っ、……はい」
シモンの言葉にハルカはびくっと身体を震わせ、絞り出すように返事をした。
「ハルカの強みは冷静な判断力と素早い身のこなしだ。だけど……スラッシュバニー相手には、その両方が発揮されなかったな」
励ますことも責めることもなく、淡々と事実だけをシモンは突き付けた。
「相手の懐に潜り込み、注意を引き付けるまでは良かった。しかし、何故あの間合いに留まり続けた?懐から離れたらジュリアにトドメを持っていかれるとでも思ったか?」
ハルカは何も答えなかった。
答えられなかったのかもしれない。
叱られた子供のように俯いたままで、表情は見えなかったが、小柄な体が一層小さく見えた。
シモンは短く一息ついた。
「……だとしたら馬鹿げている。トドメを刺すだけが功績じゃない。敵の懐で注意を引き付け、体勢を崩すのも立派な仕事だ」
無言を貫くハルカにシモンは続けた。
「お前がトドメを刺せるなら、それも構わない。やれる時にやるのは鉄則だ。だが、それが通用しないのであれば、次善の行動に移るのも鉄則だ。……無謀に攻め続け、それで自分が窮地に陥っては話にならない」
「…………はい……精進……します……」
ここまで話したところで、ようやく消え入りそうな声で返事をした。
ハルカを追い詰めるのは本意じゃない。
それでも言わなければならないのが、今のシモンだ。
胸の痛みに気づかないふりをしてでも、戒めなければならない。
そして、ここで終われないのが、シモンの辛いところ。
「……次にジュリア」
「……え?」
自分に話が振られるとは思わなかったジュリアは、気の抜けた声を出してしまった。
「まず、あそこでファイア・ボルトを撃ったのは仕方のないことだと思う」
あの時は撃たざるを得なかっただろう。
事実、シモン自身も飛燕を放つ構えを見せ、剣の柄に手をかけていた。
「だが、何故あの場所で撃った?」
「…………っ!」
まるで冷や水を浴びせられたかのように、表情を強張らせた。
「ジュリアと敵の間にハルカがいて、射線が確保できなかったのは事実だ。だったら何故、自分が動いてハルカを巻き込まないように射線を探さなかった?」
ジュリアの反論に先んじて、シモンは突き付けた。
「ハルカが命を張っているのは、お前の為でもあるんだぞ。魔法に集中しすぎると、周りが見えなくなり、足が止まるのは悪い癖だ」
「だって……」
「だって……何だ?」
シモンが視線を向けると、ジュリアは何も言えず、悔しそうにそっぽを向いてしまった。
それっきりシモンが何も言わずに帰途に向かうと、二人はそれぞれの思いを抱えながらも、黙ってその背に付いていくだけだった。
人影の少なくなった大通りに、乾いた風だけが、物悲し気に三人の間をすり抜ける。
秋の夜風は殊の外寂しい。
身体の火照りよりも、心の熱を冷ましていくようだった。
やがて一行は、ジュリア邸の前へと辿り着いた。
夜空には淡い月が浮かび、庭の魔工灯が静かに屋敷の門を照らしている。
門扉の前でシモンは立ち止まり、二人に向き直った。
シモンはポケットからコロンを取り出すと、黙ってジュリアに手渡した。
「……」
言わなければならない言葉を前に、シモンは無言を噛みしめた。
「最後に二つ、お前たちに言っておく」
俯き加減のハルカと、口を一文字に結んだジュリアが同時にシモンを見つめた。
「あのままだったら、ジュリア……お前は死んでいた」
唐突な言葉に二人は同時に顔を上げた。
苦い表情を浮かべたのはジュリアだった。
一方ハルカはジュリア以上に動揺していた。
顔を青ざめさせ、自分を抱きしめるように両肩に手をやったが、震えは止められなかった。
「そしてもう一つ……今のお前たちに、俺は背中を預けられない」
二人は動くことも、声を出すことも出来なかった。
「今日のことは忘れるな。二人ともよく考えるんだ」
ジュリアは耐えるように何かを噛みしめた。
その表情には、先ほどまでの反発とは違う、複雑な色が浮かんでいる。
ハルカは俯きながら、乱れた呼吸を整えようとし、胸に手を当てて佇んでいた。
シモンは二人に背を向け、屋敷の前から歩き出した。
胸の奥に、重たいものが残る。
だが――あの二人なら、きっと乗り越えられると信じている。
だからこそ、甘やかすわけにはいかない。
(……立ち止まるなよ、二人とも)
夜の街に足音が遠ざかっていく。
シモンの影は、灯りの中に溶けていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回のシモンは指導者としての厳しさを言葉にしました。
一方、ジュリアとハルカはかなり落ち込み気味です。
ジュリアとハルカを励ますエールを、是非コメントに!!
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