第74話 二人のアヴォイド・ノート(不協和音)
陽は西へ傾き、街道の並木が長い影を落としていた。
足取りは軽い。昼過ぎからこれまでの道中で、一行は二度の小競り合いを制してきた。
一度目は、草むらの陰から現れたコボルトの小集団だった。
犬に似た顔をした小柄な獣人たちは、粗末な棍棒を振りかざし、三体がかりで前方の旅人を包囲しようとしていた。
俺の合図と同時に、ハルカが音もなく側面へと回り込む。
旅人とコボルトの間に滑り込み、冷静な牽制で相手の注意を引きつけ、逃走の猶予を作り出した。
その一瞬を逃さず、ジュリアが炎矢を二連射する。
燃え盛る矢は空を裂き、二体の胸を正確に貫いた。
残る一体が狼狽して後ずさったところへ、ハルカが踏み込み、忍刀で迷いなく斬り伏せる。
――結果だけを見れば、見事な連携に見えるだろう。
だが、二人の間に視線のやり取りも、呼吸を合わせる動きもなかった。
各々が最速で敵を仕留めた結果、偶然噛み合っただけの勝利だった。
二度目は、街道脇に転がっていたラフバインだ。
最初はただの死骸に見えたが、近づいた途端、裂けた口が人の笑い声を模して鳴り響き、飛びかかってきた。
ハルカは素早く反応し、襲いかかってきた顎を拳で跳ね上げ、怯んだ隙に追撃を重ねた。
だが、仕留めきる前に一歩退いて距離を取る。
その退き際を狙い澄ましたかのように、ジュリアの炎矢が炸裂し、獣の胴を穿ってトドメを刺した。
どちらの戦いも手際は良く、技量の高さは十分に示されていた。
だが――あくまで「結果的に」噛み合ったに過ぎない。意図的に互いの動きを合わせたわけではない。
(……このままでは、いずれ綻びが出る)
シモンは胸の奥に、微かな不安を覚えた。
戦果という意味ではなく――“トドメ”という観点に限れば、ジュリアのほうが上だった。
炎矢が敵の急所を射抜くたび、爆ぜる火花の奥で、彼女の瞳には確かな自信が宿っていく。
その姿は、戦場に立つ者として頼もしくもあった。
一方で、ハルカは相変わらず無表情を崩さない。
だが、ジュリアのファイア・ボルトがトドメを刺した瞬間、握られた拳がわずかに震えた――ほんの一瞬の、感情の揺らぎ。それをシモンは見逃さなかった。
(……二人とも、自分の役目を本当に理解しているのか? 大切なのは仕留めた数だけじゃない。囮も援護も、全部が噛み合って初めてチームになるんだ……)
シモンはその懸念を、あえて言葉にしなかった。
(できれば、自分たちで気づいてほしいもんだが……これは、俺のエゴか)
腰の袋には、討伐証明となる魔石がずっしりと収まっている。
シモンはそこで一度、足を止める。
依頼の達成としては十分。
旅人たちも、護衛付きの商隊に同行させてもらい、ワイアースに向かっていった。
「そろそろ戻るか」
並んだ二人の視線が、同時にこちらを向いた。
「……もう少しだけ、お願いします」
口を開いたのはハルカだった。
表情は変わらないが、声には抑えきれない熱がこもっている。
ジュリアも、ほんの一瞬遅れて鼻を鳴らすように頷いた。
「私だって、まだまだ行けるわよ」
意欲自体は悪くない。シモンは小さく肩をすくめ、うなずいてみせた。
(結局は実戦で、自分たちで、知るしかないのかな)
夕刻の風が頬を撫でる中、一行は再び街道を進み始めた。
石畳は次第に土道へと移り変わり、人通りもまばらになっていった。
日没直前の冷たい風が並木の葉をさらさらと鳴らす。
それからしばらく――小型魔獣の姿は見えず、街道にはひっそりとした静けさが満ちていた。
討伐延長を申し出たハルカも、先ほどより一層注意深く周囲を見回している。
ジュリアも警戒を緩めることはなかった。
陽はさらに西の地平に傾き、空の端が淡い朱色に染まり始める。
そんな折――街道脇の林が、ざわりと風に鳴った。
「――来た」
地面を蹴る音は驚くほど軽い。
二メートルを超える巨体が、林の中を縫うような跳躍で疾走し、一気に間合いへ飛び込んでくる。
耳の縁に刃を宿し、前肢は鋭利な刃のごとく光る――スラッシュバニー。跳躍特化の凶性獣。
「散開!」
言葉が終わるよりも早く、ハルカが前に出た。
低く滑るような足運びで一気に正面へ踏み込み、巨体の注意を自分へと引きつける。
囮としての判断も、動きの切れも申し分ない。
一方、後衛のジュリアは両手に魔力を収束させ、すでに魔法の発動態勢に入っていた。
だが、シモンの視線は険しい。
(……踏み込みすぎだ)
シモンの目には、ハルカの位置取りが明らかに危うく映っていた。
懐へ潜り込みすぎている。
確かに敵の注意は完全に引けているが、ジュリアの射線は潰れ、自身の逃げ道も狭い――自らを危険に晒しすぎている。
反射的に、シモンの手が剣の柄へと伸びた。
このままでは、ジュリアが撃てない。
「ハルカ、どいて! それじゃ魔法が撃てない!」
ジュリアの叫びが響く。
だが、ハルカの耳には届いていない。
スラッシュバニーの耳刃が風を裂き、足元の草を無軌道に薙ぎ払う。
嵐のような斬撃の中で、ハルカはそれを紙一重で掻い潜り、間断なく忍刀を振るっていた。
逆袈裟、突き、薙ぎ払い――連撃を畳みかけるように忍刀を振るうが、手応えは薄い。
白い腹を覆う毛並みは、まるで鉄線を束ねたように密で硬い。
刃が滑り、浅い傷を刻んでも、血は一筋も流れない。
(……耳で撹乱して、前肢で仕留める気か)
ハルカは、まさにその爪の間合い、死地に留まっていた。
反撃を避けながら何度も斬りつけるが、決定打には至らなかった。
「くっ……!」
焦りが滲む。
このままでは押し切れないと判断したハルカは、狙いを腹部から首へと切り替える。
首元の毛は腹よりも短く、刃が通る可能性が高い――そう踏んで仕掛けた瞬間だった。
スラッシュバニーが前肢を踏ん張り、ぬるりと立ち上がる。
その動きに誘われるように、飛び上がり首を狙ったハルカの刃は空を切った。
間合いを外されたハルカは、一瞬、無防備になる。
赤い瞳がぎらりと光る。
右の前肢が振り上がり、刃のような爪がハルカを薙ごうとした――その刹那。
シモンは飛燕を構えたが、それよりも早く、ジュリアが詠唱を終えていた。
「――これでも食らいなさい!」
ジュリアの手から炎矢が二連射で放たれる。
顔面狙いの一矢はスラッシュバニーの跳躍でかわされ、二矢目は足元へ突き刺さった。
炎矢が地面に炸裂し、爆風が周囲に巻き起こる。
「――っ!」
爆風から生まれた衝撃波が空中のハルカに直撃し、身体が弾かれるように吹き飛んだ。
草原に転がる音が、遅れて響く。
衝撃波の余韻が草原に残る中、スラッシュバニーはふわりと着地した。
赤い瞳がギラリと光る。
向けられた先は――倒れたハルカではない。ジュリアだ。
(……脅威の優先順位が変わったな)
スラッシュバニーは火属性への耐性が低い。
だからこそ、倒れたハルカよりも、ファイア・ボルトを放ったジュリアを真っ先に脅威と見なしたのだ。
シモンは視線の端でハルカを確認する。呼吸はある――大怪我ではない。
(衝撃で気絶しているのか? 恐らく大怪我には至っていないだろうが……)
シモンの思考をよそに、白い巨体が、地を蹴る。
右に、左に――短い跳躍を繰り返し、狩人のような蛇行軌道で一気に距離を詰めてくる。
「くっ……!」
ジュリアは反射的にファイア・ボルトを放つ。
だが、相手は一撃目を見ている。
軽快な跳躍で軌道をずらされ、集中の甘い炎矢は虚空を焼くだけだった。
さらに間合いを詰められ、ジュリアは腰に備えた鞭を抜き放つ。
普段なら、一閃で空気を裂き、敵の動きを止められた。
だが、今は違う。
焦りが集中を乱し、平常心を保てていない。
ハルカを巻き込んだ魔法の余波。
想定外の接近戦。
それらが重なって、いつもの冴えを失っていた。
振るわれた一撃は鈍い。
白い巨体が止まらない。
土を蹴る音が、真っすぐに迫る。
スラッシュバニーの射程にジュリアが入った。
右腕が大きく振り上げられる。
夕陽を反射して、爪がギラリと光った。
――ジュリアは動けない。
空気が止まる。
音が消える。
風の粒子まで見えるほどに、世界が引き延ばされる。
時間が……止まった。
ジュリアの脳裏に、鮮明に浮かんだのは――自分の死。
スラッシュバニーの右腕が振り下ろされる、その刹那――突風が、横から吹き抜けた。
シモンだ。
音もなく、影のように側面から切り込み、風を巻き上げて駆け抜ける。
一閃。
スラッシュバニーの首が、宙を舞った。
少し遅れて巨体が草の上を二度、跳ねて転がる。
血の匂いと風が混ざり合い、夕刻の空気を濁らせた。
斬撃の余韻が残る中、シモンは素早く剣を収め、振り返った。
風に揺れる草とシモン以外、全てが止まったかのように静かであった。
「……ジュリア」
声をかけると、彼女はわずかに肩を震わせ、はっと我に返ったように顔を上げた。
つい数瞬前、明確に「死」を覚悟した彼女だったが、外傷はない。呼吸も荒いながら、意識ははっきりしている。
「だ、大丈夫……」
いつもの気の強さはなりを潜め、震えるような声が返ってきた。
ショックの余韻が色濃く残っているのが一目でわかる。
「そうか。じゃあ、周囲の警戒を頼む」
短く告げると、シモンはすぐさまハルカの元へ足を向けた。
地面に倒れたハルカを抱き起こし、頬を軽く叩いて呼びかける。
しばらくして、彼女の睫毛が小さく震え、目が開いた。
「……シ、モン様……?」
幸い、大きな外傷はない。
爆風の衝撃で一時的に気を失っていただけのようだった。
状況を理解したハルカは、眉を寄せ、すぐに俯いた。
「……申し訳、ありません……」
震える声が、草原の静けさに吸い込まれていく。
「無事でよかった。それだけだ」
シモンは短く告げ、まだふらつくハルカの身体を抱え、ジュリアの元へ戻った。
ハルカを預けると、二人は同時に視線を逸らし、言葉を交わさないまま、気まずそうに並んだ。
シモンは黙ってスラッシュバニーの死骸に歩み寄り、慣れた手つきで胸を割って魔石を取り出す。赤みがかった純白の魔石が夕陽を受けて鈍く光った。
「――街に帰るぞ」
その言葉に、二人は無言でうなずいた。
覇気を失ったその肩は、いつもより小さく見える。
西の空に残された夕陽はわずかで、草原を橙に染める光も、俯いた二人の顔までは照らしてくれなかった。
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