第73話 街道の現実
午後の陽射しが斜めに差し込み、ワイアース冒険者ギルドは昼下がり特有の落ち着いた賑わいに包まれていた。
石造りの高い天井には光がやわらかく反射し、依頼掲示板の前やカウンターでは冒険者たちが書類を手に、仲間と談笑したり受付に並んだりと、思い思いの時間を過ごしている。
扉をくぐったシモンの目にまず映ったのは、掲示板の前に立つジュリアとハルカの姿だった。
二人はすでに到着していたらしく、ジュリアの両腕には、白く丸いコロンが抱えられている。
よく見ると、コロンの長い耳の片方には、淡いピンク色の小さなリボンが結ばれていた。
その根元には、ギルドの紋章が刻まれた小さな金属製のチャームが取り付けられている。
登録済み証明を兼ねたそれは、冒険者の同行魔獣であることを示す正式な印だ。
もともと愛らしいコロンの姿に、リボンとチャームが加わることで、ぬいぐるみのような可憐さと“ちょっとした冒険者らしさ”が同居している。
次の瞬間、コロンがシモンの存在に気づいた。
「……!」
小さな身体を震わせ、嬉しそうに鳴きながら――まるで待ちきれなかったと言わんばかりに、ジュリアの腕の中から飛び出した。
「おっと」
弾かれたように飛び込んでくるコロンを、シモンは反射的に左手で受け止める。
ふわりとした毛並みと、手のひらに収まる温もりが伝わってきた。コロンは小さく体を丸めると、そのまま迷いなくシモンのコートのサイドポケットへ潜り込み、自分の居場所を取り戻したかのように顔を覗かせた。長い耳をピコピコ揺らし、満足そうに「きゅい」と鳴く。
ジュリアは一歩遅れて駆け寄ってくる。
「こ、コロンっ! ちょっと――!」
伸ばした彼女の手を、コロンはまったく意に介さず、器用にポケットの奥で身を落ち着けてしまった。
ジュリアはシモンの横に並ぶと、わずかに眉を寄せて唇を尖らせた。
コロンが自分よりシモンに懐いているのが、どうにも面白くないらしい。
シモンはその横顔をちらりと見て、苦笑を漏らした。
「……えっ、な、なんですかその子……!?」
カウンターからこちらを見た受付嬢のエリスが、目を丸くして小走りに近寄ってきた。
「シモンさん、その……その子、ルッコですよね!? え、ええ……かわいい……!」
初めて見るコロンに、エリスは明らかに心を奪われている様子だった。
両手を胸の前でぎこちなく組みながら、興味と緊張が入り混じった目でコロンを見つめている。
「ルッコで名前はコロンだ。ジュリアの連れだよ」
シモンが短く答えると、エリスはこくこくと頷き、恐る恐る手を伸ばした。
「……触ってもいいですか?」
「ああ」
ポケットからコロンを取り出すと、エリスの指先がコロンの頭にそっと触れた。
コロンは一瞬きょとんとしたあと、気持ちよさそうに目を細め、クンクンと鼻面を指にこすりつけた。
その光景を、ジュリアが少し離れた位置から腕を組んで見つめていた。
表情は読み取りづらいが、わずかに口元が引き結ばれているのが見えた。
シモンは一瞬だけ視線を向けたが、特に声をかけることはせず、静かに場の空気を見守った。
「そうだ、ジュリアさん。ギルド・アミュレット、出来上がってます」
ひとしきりコロンを愛でると、エリスが思い出したようにカウンターの奥へ戻り、小箱を取り出した。
丁寧に蓋を開けると、金細工のブレスレットが中に収まっている。
中央には淡い青色の魔石が嵌め込まれ、ギルドの紋章とアーデルシア家の刻印が繊細に刻まれていた。
「本証と魔力署名はすでにリンク済みです。これを水晶端末にかざしていただければ、受注・報告・預金照会などが可能です。ジュリアさん以外の方では反応しませんので、ご安心ください」
ジュリアは箱を受け取り、右手首にブレスレットをはめる。金の輪が午後の光を反射してきらりと輝いた。
「これで、どっからどう見ても、冒険者ですね」
エリスが穏やかに微笑むと、ジュリアは小さく頷いた。
シモンの位置からは、ほんのわずかに背筋が伸びたのが見えた。
「――ちょうどいい」
シモンは掲示板の一角に貼られた紙へと視線を移し、軽く顎に手を添えた。
「今日は東街道の巡回討伐に出る」
「街道……警備、ですか?」
エリスが首を傾げる。
「ああ。最近、東の街道で小型モンスターの報告が増えてる。前から気になっててな」
シモンは用意してきた依頼書を取り出し、カウンターに差し出した。
「この討伐依頼、俺たちで受ける」
エリスが書面を確認し、丁寧に説明を添える。
「こちらは街道警備制度の一環ですね。ノルマはありませんが、討伐数に応じて報酬が変動します。討伐証明は魔石の提出になりますので、お忘れなく。……あまり奥に入りすぎないようお気をつけください」
「了解」
シモンは短く応じ、受領の手続きを済ませた。
「いってらっしゃい。お気をつけて!」
エリスが控えめに手を振る。
シモンはコロンをポケットに戻すと、頭を指先で軽く撫で、ジュリアとハルカに視線を向けた。
三人と一匹は、東街道へ向かうためギルドをあとにする。石畳を踏みしめる足音が重なり、柔らかな午後の空気が一行を包み込んでいた。
ギルドを出発したシモンたちは、石畳の続く東街道を順調に進んでいた。
午後の陽射しはまだ高く、空気は少しずつ秋の乾きを帯び始めている。
街道の両脇には手入れの行き届いた並木と低木が続き、ときおり馬車や旅人が行き交っていた。
ワイアース近郊の街道は王国でも比較的安全とされる区間であり、冒険者や商隊、巡回兵の姿も珍しくない。
だからこそ、歩き始めて一時間ほど経っても、モンスターに遭遇する気配はなかった。
もっとも、「安全」といってもそれはあくまで王国の中では、という相対的な話だ。
前を行く馬車には二人の護衛冒険者が付き従い、脇には槍を携えた巡回兵の一団がゆっくりと並走している。
商隊も例外ではなく、荷馬車の前後には剣や弓を持った護衛たちが警戒の目を光らせていた。
街道は整備され、人も多いが、それでも油断はできない――それがこの世界の現実だった。
(……まあ、当然か)
シモンは歩調を崩さぬまま、周囲に目を配りつつ思考を巡らせた。
モンスターは人の生活圏には棲みつかない。
死ねば肉体は霧散し、魔力は魔素に還って環境に溶けるらしい。で、しばらくすると元いた場所に戻って、また魔素が結晶化し魔石になる。その魔石を核として新たなモンスターが新生される――とか、そんな話だったか。
ただ、人の多い場所じゃ魔力の質が合わないのか、新しいモンスターは生まれないらしい。
少なくとも、人里で新しいモンスターが自然に湧いたなんて話は聞いたことがない。
もっとも、発生しないからといって、外から迷い込んでこないとは限らない。
だから街道や村には「モンスター避け」の魔石が設置されている。
ルッコの“他の魔物に狙われにくい魔力”を研究したもので、微弱な魔力を常時放出し、周囲の魔獣を寄せつけない仕組みだ。
(だからこそ、街道沿いで出会うのは……せいぜい、彷徨ってきた小型くらいか)
シモンは空を仰ぎ、少し眩しそうに目を細めた。
任務の目的は、まさにそういった「道沿いに迷い出た連中」の間引きである。
一行がさらに一時間ほど進んだころだった。
林の縁を横切る小柄な影が、シモンの視界の端をかすめた。
「……いたな」
立ち止まって指を差すと、数十メートル先の草むらがざわめき、五体のゴブリンがぞろぞろと姿を現した。
手には粗末な棍棒。警戒する様子も巣の気配もなく、街道沿いをうろついている――典型的なはぐれモンスターの小規模群体だ。
「ジュリア、ハルカ。行くぞ」
シモンの短い合図に、真っ先に反応したのはハルカだった。
彼女は音もなく草むらを踏み越え、影のように側面へ回り込むと、腰背に佩いた忍刀を一閃。刃が喉を貫き、ゴブリンが短い痙攣を残して崩れ落ちる。
その勢いのまま二体目へ踏み込み、逆手の一撃で心臓を穿った。返り血を浴びることもなく、二体を一瞬で沈黙させる。
一方、少し遅れて前に出たジュリアは、詠唱を短く区切って炎の矢を連射した。
「ファイア・ボルト!」
矢は空を裂き、二体の胸を正確に貫く。
爆ぜる火花とともに、ゴブリンたちは続けざまに地に倒れた。詠唱と放出のテンポは見事なもので、実戦慣れした動きが見て取れる。
残る一体が状況を悟り、後方へ逃げ出す。
ハルカが素早く追撃に移るが、その頭上をかすめるように、ジュリアの炎の矢が先に飛んだ。
矢は逃げるゴブリンの背を射抜き、火花とともに焼き倒した。
悔しげに足を止めるハルカと、してやったりとばかりに胸を張るジュリア。
二人の間に短い沈黙が走る。
その様子を少し離れた位置から見ていたシモンは、表情を変えずに周囲の警戒を続けながらも、内心で状況を整理していた。
(実力はある。反応も速いし、躊躇もない……が――)
二人の戦い方は、明確に“別々”だった。
呼吸を合わせる視線も、役割分担の意識もなく、ただ各々が最速で敵を倒した結果としての勝利にすぎない。
最後の一体を仕留めたときの競り合いは、その象徴のようなものだった。
ジュリアが満足げに髪を払うのを、ハルカは一瞬だけ視線を逸らして見ないふりをした。些細な仕草だったが、シモンの目はそれを見逃さなかった。
(今はいい。相手がゴブリンだからな……だが)
胸の奥に、微かな不安が残った。
実力は十分だ。
だが、互いの呼吸が噛み合わない――精巧な歯車の隙間に、砂粒が入り込んだような違和感だった。
それは、今は小さな引っかかりに過ぎない。
だが、戦場では一瞬の齟齬が命取りになる。
シモンはその感触を、あえて言葉にせず、心の内に沈めた。
その時、ポケットの中でコロンがもぞもぞと身じろぎした。
ぴょこっと顔を出し、物憂げなシモンの横顔を下から覗き込む。丸い瞳に映るシモンの表情は、どこか案じるような色を帯びていた。
シモンは視線に気づくと、ふっと微笑を浮かべ、指先でコロンの頭を軽く撫でた。
柔らかな毛並みの感触が、不安の残滓を静かに和らげてくれたが、消えてはくれなかった。
討伐を終え、魔石を回収したあと、一行は再び街道を進み始めた。
空は少しずつ傾き、草原に長い影が落ち始めている。
街道警備任務は、まだこれからだ。
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