表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第六章 「芽吹く花の色」
79/94

第72話 実りの秋

 早朝の澄んだ空気が、アーデルシア家本宅の訓練場に満ちていた。

 石造りの壁際に背を預け、シモンは腕を組んで二人の訓練を静かに見守っていた。


 ジュリアはミーナの投げる標的を、正確な魔法で次々と撃ち落としていく。

 空中に放たれた木製の円盤を、詠唱を最小限に抑えた炎矢で寸分違わず撃ち抜き、近距離に投げ込まれた標的には右手の鞭を閃かせて叩き落とし、即座に後退して間合いを取る。

 魔力の制御、判断の速さ、動作の無駄のなさ――春先の彼女からは想像できないほど、洗練された立ち回りだった。


「ミーナ、今度は投げるタイミングを言わなくていいわ。数も位置も全部ランダムで」

「は、はい〜……!」


 ジュリアの気迫に押されるように、ミーナが慌てて声を絞り出す。

 それでもジュリアは一切視線を逸らさず、目前に現れるであろう標的に全神経を集中させていた。右手に構えた鞭も、左手に集めた魔力も、わずかな緩みすら見せない。


 一方のハルカは、防護魔法で補強された木製の訓練人形と対峙し、わずかに腰を落として呼吸を整える。

 次の瞬間、地を蹴った。相手の反撃を想定した緩急のある踏み込みで間合いを詰め、懐に飛び込むと同時に、突きの三連撃を矢継ぎ早に叩き込む。

 最後の一撃と前蹴りを重ね、反動を利用して後方宙返り――その軌道の最中、両腿のガーターリングから苦無を素早く引き抜く。

 ふわりとスカートの裾が翻り、着地と同時に流れるような動作で構えを取ると、二本の刃を標的の足元へと正確に投げ放った。

 鋭い音を立てて地面に突き刺さった苦無は、明確な牽制意図をもって標的の動線を封じる。

 間を置かず、彼女は右へ、左へと細かなフェイントを挟み、低い姿勢で一気に再接近する。

 鋭く忍刀を抜き放ち、躊躇なく胸部へ寸止めの一撃が正確に叩き込まれた。

 そのまま標的から一瞬たりとも目を離さず、忍刀の切っ先を向けたまま、軽やかにバックステップで距離を戻す。

 静かな気迫と、一撃離脱を軸とした洗練された立ち回り――彼女の体に刻まれた鍛錬の深さが、そこに如実に表れていた。


 シモンは無言のまま二人の動きを目で追い、淡々と評価を下していった。

(……集中しているな。動き自体は悪くない。ジュリアは魔法の精度が格段に上がっているし、ハルカも間合いの詰め方が鋭い)


 だが、すぐに別の視点が頭をもたげる。

(――ただし、周囲への意識が欠けている。互いに個人の課題に没頭しすぎて、視野が狭くなっているな)


 二人の集中力は頼もしい。

 しかし、実戦ではそれが隙となる。

 シモンはしばし思案し、静かに結論を下した。

(まあいい。あとは俺自身で確かめるとしよう)


 シモンは壁から背を離すと、ゆっくりと訓練場の中央へ歩み出た。

 足音に気づいたハルカが、すぐに動きを止めて姿勢を正す。

 ジュリアも標的への集中を解き、訓練の手を止めた。


「――ハルカ、次は俺とやろう」


 一歩前に出たシモンは訓練用の木剣を腰に差した。

 声は低く落ち着いていたが、そこに漂う空気は先ほどまでとは明らかに違っていた。

 張り詰めた空気に、ハルカの表情が一瞬で引き締まる。


「師匠……はい、よろしくお願いします」


 ハルカは目を閉じ、一つ深呼吸をする。

 ゆっくりと目を開くと、黒髪が湿った風に揺れ、静かな闘志を宿した瞳が露わになった。

 対するシモンは正面に立ち、自然体の構え。だが、その何気ない佇まいには、一切の隙がなかった。


「来いっ!」

「はいっ!」


 シモンの号令に、ハルカが短く応答する。

 僅かに前傾したハルカは、前後左右に小刻みに身体を揺らし始めた。対するシモンは微動だにせず、まっすぐにハルカの眼を見据える。

 揺らぎの見えない構えに、ハルカは右回りに細かく動き始める。ときおり左へ切り返し、前後の動きも織り交ぜながら、少しずつ間合いを詰めていく。

 そして懐まであと一歩――その瞬間、ハルカはさらに低く身を沈め、一気に踏み込んだ。左右のフェイントを挟みながら、腹部めがけて突きを繰り出す。


 シモンは間合いを読み切っていた。

 半歩下がり、突きを空振りさせる。

 しかしそれもハルカの想定内。

 突きの引き際にシモンの死角へ潜り込もうと、左回りに位置を変え続け、意を決して大きく飛び込むと、顔面への突き連打を畳みかけた。


 シモンは落ち着いて身体を半身にし、首を傾げて突きを躱す。

 その瞬間――ハルカの姿がふっと消えた。

 身を屈め、両手を地面についたハルカが、水面蹴りを鋭く放つ。

 シモンは冷静にバックステップでそれを回避。

 だが、それもハルカの計算のうちだった。

 着地の隙を狙い、ハルカは低い姿勢のまま顔面めがけて二本の苦無を投げ放つ。

 体勢の整わないシモンは、身をのけ反らせながらギリギリでそれをやり過ごした。


 ハルカはさらに左へステップを刻み、一気にシモンの側面へ踏み込む。

 忍刀を模した木剣を抜き放ち、横薙ぎにシモンの腹部へと打ち込む――その瞬間だった。

 打ち込みの瞬間を見切っていたシモンは、逆にその刹那へ踏み込んだ。

 ハルカの横薙ぎを紙一重でかわし、抜き放った木剣を側頭部へ――寸止め。

 ピタリと止まった一撃に、ハルカの身体がわずかに硬直する。

 張り詰めた空気のなか、柔らかな風がハルカの前髪だけを揺らした。


「……参りました」


 弾む呼吸を抑え込みながら、ハルカは静かに降参を口にした。

 シモンは木剣を腰に差し戻し、わずかに笑みを浮かべる。


「良い動きだった。本命までを逆算して、フェイントを織り交ぜた展開は悪くない。特に――水面蹴りには驚いた。ああいう上下のコンビネーションは有効だ」

「はい!」



 寸評に対するハルカの返事は、疲労の中にも嬉しさがにじんでいた。

 しかし、シモンの声音が少しだけ引き締まる。


「……ただ、最後の動きは少し焦りすぎだな。お前は決めに掛かるとき、どうしても動きが直線的になる。その癖は早めに直した方がいい」

「……はい」


 ハルカは真剣な眼差しでシモンの言葉を受け止め、唇を噛んで俯いた。

 シモンはそんな彼女の肩を、ぽんっと軽く叩く。


「そう落ち込むな。全体的な動きは良かった。今後はもっと余裕を持って、攻め方のバリエーションを増やしていけばいい」

「はいっ! ありがとうございました!」


 真っ直ぐな礼に、シモンは満足げに頷くと、今度はジュリアの方へと視線を向けた。


 ――訓練場の少し離れた場所で、ジュリアが一人、黙々と鞭を振るっているのが目に入る。

 木製の標的が等間隔で並べられ、それらが次々と正確に打ち抜かれていく。

 右手の鞭で近距離を、左手の魔法で中距離を――一瞬の迷いもなく、標的を連続して撃ち抜くその姿には、張り詰めた集中と研ぎ澄まされた緊張が宿っていた。

(……久しぶりに、確かめるとするか)

 シモンの口元に、愉快そうな、そして少し意地の悪い笑みが浮かぶ。

 木剣を肩に担ぎ、ゆっくりと歩み寄ると、ジュリアの背後で立ち止まる。


「――よう、ジュリア」

「はぁ……はぁ……何?」


 呼びかけられたジュリアは荒い息をつきながら、視線をこちらに向けた。陽光を受けて揺れるプラチナブロンドの髪が、集中の熱を帯びた表情を際立たせる。

(さて……どう出る?)


「久しぶりに、“遊ばない”か?」


 シモンは木剣を肩に軽く打ちつけながら、からかうような声音で言った。

 “遊び”――その一言に、ジュリアの眉がわずかに動いた。

 以前の手合わせが遊び扱いされたのが引っかかったのだろう。

 一瞬だけ目を細め、厳しい表情を浮かべる。

 だが、次の瞬間には小さく息を吸い込み、呼気とともに余計な感情を押し流した。

 かつての彼女なら即座に噛みついたものだが、今は違う。

 ジュリアは不敵な笑みを浮かべ応える。


「いいわ。やりましょう」


(……ほう。挑発に乗らないか。いい傾向だ)

 ジュリアの成長を確かに感じ取りながら、シモンも口の端をわずかに上げた。


 両者は一定の距離を置いて向かい合った。

 静かな空気の中、ジュリアが一歩踏み出す。瞬間、両手に魔力が収束し、鋭い詠唱とともに炎矢が次々と放たれた。


「ファイア・ボルト《単体炎矢魔法》!」


 連続で放たれた炎矢が、矢継ぎ早にシモンへと殺到する。

 シモンは微動だにせず、次の瞬間には右へ左へと細かなステップを刻み、炎矢を寸前で躱していった。軽やかな動きはまるで、流れる風そのものだった。

(……悪くない)

 ジュリアは攻撃を止めない。走りながら角度や間合いを変え、シモンが避けにくい位置を的確に探ってくる。春先には考えられなかった“狙い”と“詰め方”だった。

 だが――連射の間に、ほんのわずかな隙が生まれる。

(……今だ!)

 シモンは一歩踏み込み、飛来する炎矢を木剣で弾き飛ばした。

 爆ぜる火花の中、そのまま間合いを一気に詰める。

 ジュリアはすぐさま右手での魔法を中止し、腰の鞭を引き抜いて鋭く閃かせた。

 空気を裂く音が訓練場に鋭く響いた。

 シモンは体を捻ってそれを紙一重で避け、ジュリアも間髪入れず後方へと跳び退って距離を取る。


「……ははっ」


 思わず笑みが漏れる。

 確かに成長している――勢い任せではなく、きちんと距離と間合いを考えている。

 その姿に、ほんの少し嬉しさが滲んだ。


 ジュリアは気を取り直し、さらに魔力を高めて両手を構えた。炎矢の雨が、先ほどよりも激しく撃ち込まれていく。

 シモンは軽やかに動きながら、それを避け続ける……が、不意に片膝をつき、地面に手をついた。

(ここだ)

 その指先が、訓練場の地面に落ちていた小石をつまむ。

 ジュリアからは死角になる角度で、シモンはあえて背を向けたまま――石を投げた。

 高く弧を描いた石は、見事な精度でジュリアの額へと命中する。


「っ――!?」


 一瞬、何が起きたのか理解できず、ジュリアの動きが止まる。

 その刹那、シモンは死角から音もなく間合いを詰め、懐に潜り込み――木剣の切っ先をジュリアの喉元へ寸止めした。


「一本……だな」


 軽い口調だったが、その声音には確かな技の差が滲んでいた。

 ジュリアはきつく目を瞑ると、絞り出すように声を出した。


「……参りました」


 悔しそうな表情を浮かべながらも、きちんと現状を受け入れるその潔さは、ジュリアの美点だった。


「魔法そのものは置いておくとして、連射の角度や位置を変える工夫は見事だ。おかげで避けるのに少し手こずったぞ」

「でも……当たらなかった」


 口を尖らせ、不満げに呟くジュリアに、シモンは苦笑を浮かべる。


「簡単に当たったら修行にならんさ。それに、お前は難しい挑戦の方が好きだろ?」


 軽口に、ジュリアはそっぽを向いて黙り込んだ。


「お前の長所は、その負けず嫌いな性格からくる、一途な集中力だ。だが――集中しすぎれば、視野が狭くなる。……くれぐれもム……熱くなりすぎるなよ」


 危うく「ムキになるな」と口走りかけ、シモンは慌てて言葉を選び直した。こういうところがジュリアの繊細なところであり、扱いの難しいところもある。

 ジュリアは真剣な表情で小さく頷いた。


「それと、鞭の使い方は良かったな。魔法からの切り替えも早いし、即座に距離を取る判断も上出来だ。あとは場数を踏んで、いろんな状況に対応できるようになれば――ぐっと化けるぞ」

「……わかったわ」


 シモンの言葉を聞いたジュリアの表情が、わずかに緩んだ。

 だが、すぐにはっとしたように目を閉じ、口元を引き締め、感情を押し隠そうとしているようだった。

 その反応にシモンは思わず小さく笑みを漏らした。


 ジュリアとの手合わせを終え、シモンは木剣を腰に差し戻し、大きく一つ息を吐いた。

 充実感と、わずかな高揚が胸の内に残っている。

 二人の成長を、身をもって確かめられたという実感があった。



「――ハルカ、こっちに」


 少し離れた場所で修行を続けていたハルカを手招きする。

 すぐに駆け寄ってきた彼女の顔には、珠のような汗が浮かび、僅かに息を弾ませていた。


「今日の修行は、ここまでだ」


 短く区切りを告げると、ジュリアもハルカも素直に頷き、その瞳はどちらも真っ直ぐに輝いている。

(……よし。いい顔になってきた)

 二人の成長を目の当たりにして、シモンは小さく満足げに笑みを漏らした。


「明日は、新しい依頼を受ける。久々の実戦だ」


 告げた瞬間、ジュリアとハルカの表情が一気に引き締まる。


「だから今日は――しっかり身体を休めとけ。いいな?」

「はいっ!」


 二人の元気な声が訓練場に響いた。

 夕刻に差しかかる空の下、程よい疲労感と充実した空気が、三人の間に心地よく流れていた。

 それぞれの胸に今日の修行で得た感触を刻み込むように、しばし無言で空を仰ぐ。

 シモンもまた、二人の姿を見つめながら、確かな手応えを感じていた。

(……さて、明日は何を見せてもらえるかな)

 茜色に染まりゆく空の下、三人の胸には、それぞれが抱く小さな高揚と、明日への静かな期待が確かに芽吹いていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。

いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ