第70話 見せた成長と見えない成長
鐘の音が学院に鳴り響く。
夏休みを終えた教室には、どこか浮き立つようなざわめきが満ちていた。
席についた生徒たちの表情は明るく、どこか自信に満ちている。
誰もが夏のあいだに積み重ねた努力を胸に秘め、その成果を見せたくてうずうずしているようだった。
「出席は……よし。では、授業を始めます」
教師が簡単に点呼を終えると、それだけで教室の空気は自然と切り替わる。
特別な行事も余計な前置きもない。
ただ、当たり前のように授業が再開されていく――この学院らしい、実力主義の静かな始まりだった。
女子更衣室では、制服から訓練着へと着替える生徒たちで賑わっていた。
ジュリアもロッカーを開き、整然と畳まれた学院指定の訓練着を手に取る。
ショートスカートとブルマ、白地のエルドシャツ――動きやすさと魔力循環効率、そして品位を兼ね備えた学院独自の装束だ。
袖を通すと、しなやかな布が肌に馴染み、身体の感覚が自然と引き締まっていく。
制服姿のときとは違う、実践の舞台に臨むための“戦闘モード”が心の内側に静かに灯った。
ジュリアは洗面台の前に立ち、髪を高い位置で一つに束ね直す。
編み込みを残したまま、後ろ髪をまとめたポニーテールが軽やかに揺れ、鏡に映る自分の姿は、どこか凛々しさを増していた。
実技授業が行われる室内訓練場は、学院の中でも特に厳重な施設だ。
外壁と天井には三重魔法障壁が張られ、爆裂魔法や広範囲攻撃にも耐えられる構造を持つ。
生徒たちが整列する中、ジュリアも静かに持ち場へと歩を進めた。
空気が張り詰め、魔力が微かに軋む。
「よし、始めるぞ。――気を抜くな」
中央に立った教官の号令が響き、訓練場の空気が一気に引き締まった。
魔力を纏った生徒たちが次々と詠唱を始め、鮮やかな魔法が標的へと放たれていく。
実力主義のこの学院で、夏休みに足踏みするような生徒はいない。
誰もがそれぞれに成長を遂げ、以前よりも確かな技を見せていた。
(……みんな、よく鍛えてきたのね)
やがて、ジュリアの番が巡ってきた。
彼女は周囲を一瞥すると、静かに息を吸い込む。
胸の奥にあるのは焦りではない――積み重ねてきた鍛錬に裏打ちされた、確かな自信だった。
(でも、私は――もっと先へ行っている)
その瞬間、ジュリアの周囲に淡い魔力の揺らぎが生まれた。
以前の彼女なら、膨大な魔力を力任せに叩きつける“豪腕”の魔法が主だった。
春先の実技では、制御の粗さがしばしば魔法陣を歪め、撃ったあとに呼吸を乱すことも少なくなかった。
だが今は違う。
詠唱は必要最小限に抑えられ、魔力は滑らかに無駄なく流れ、炎矢は標的へと吸い込まれていく。
一発ごとの精度が高く、発射の間にわずかな間すらない。
連射の合間に姿勢がぶれることもなく、魔法を放ったあとも呼吸は乱れず、立ち姿は凛としたままだった。
魔力変換の滑らかさ、術式の展開速度、制御力――どれを取っても、春先の彼女とは別人のようだった。
標的が次々と正確に撃ち抜かれ、訓練場の空気がわずかに揺れる。
教官が目を細め、生徒たちの間に小さなどよめきが広がった。
だがジュリアは動じない。
ただ淡々と、次の術式を紡いでいく――まるでそれが呼吸であるかのように。
「ジュリア様、すげぇ……!」
「……夏休み前とは別人みたい」
思わずこぼしたミレイナの声は、訓練場の喧騒に紛れきれず響いた。
レティシアが小さく呟き、驚きと感嘆の入り混じった視線をジュリアへ向ける。
その視線を背に受けながらも、ジュリアは振り返らなかった。
ただ、凛とした背中で応えるように、次の魔法陣を静かに展開していった。
ジュリアは確かな実力を余すことなく示し、実技授業は滞りなく終了を迎えた。
教官の終了の号令が響くと、生徒たちは次々と訓練場を後にし、再び更衣室へと戻っていく。
更衣室の中は、授業を終えた生徒たちの談笑と汗の匂いで満ちていた。
ジュリアは鏡の前でポニーテールをほどきながら、ほっと一息ついた。
その背後から、レティシアとミレイナが駆け寄ってきた。
「ジュリア様、今日のあれ……本っ当にすごかったです!」
ミレイナが興奮気味に声を弾ませる。
頬を紅潮させ、目を輝かせながら、手振りまで大きくなる。
「……うん。乱れがないっていうか、凄く静然としてた」
レティシアは静かに言葉を添える。
驚きと尊敬が入り混じった眼差しでジュリアを見上げていた。
ジュリアは少し肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべる。
「まあ……少し、修行したから」
さらりと答えるその口調はあくまで控えめだが、内心ではしっかりとした手応えを感じていた。
「やっぱり修行してたんですね!? ね!? 誰と!? どんな!?」
ミレイナが一気に距離を詰め、ジュリアの腕をがしっと掴んで食いついた。
“修行”という単語に過剰に反応するあたり、いつも通りだ。
「……夏の間、少し人に教わっていたの」
ジュリアは控えめに言葉を選んだ。
レティシアが顎に人差し指をあて、記憶をたぐるように視線を上へと泳がせる。
「もしかして……前に言ってた、確か……シモンさん、でしたっけ?」
静かな口調ながら、核心を突く問いだった。
ジュリアがわずかに沈黙しただけで、レティシアは小さく頷く。
「やっぱり! ダンスパーティーの時の護衛の方でしょ!」
ミレイナが勢いよく前のめりになり、目を輝かせた。
「なんでも、とんでもなく整った顔立ちの方だって、お母様が言ってたんですよ! あの夜、貴族の間でもずーっと話題で……!」
「……そんな話まで広まっているのね」
ジュリアは苦笑を漏らした。
シモンには「しばらくはあまり言わないでくれ」と言われていたが、今ではもう噂が社交界を駆け巡っているらしい。
ミレイナがケラケラと笑い、レティシアは興味深そうに二人を見比べた。
「……シモン様って、そんなに有名な方なんですか?」
庶民であるレティシアにとって、貴族の噂話は未知の世界だ。
「まあ……目立たないわけがない、かしら」
ジュリアは一瞬だけ目を伏せ、そしてほんの少し誇らしげに口元を緩めた。
ふと視線の先――ミレイナの胸元が目に入る。
濃紺のメッシュ素材がぴたりと肌に沿ったスポーツブラ。
活発な彼女らしい、実用本位の下着だ。
(……うん、まだ勝ってる)
胸の内で小さく安堵の息が漏れる。
次にレティシアへ目を向けると、ラベンダー色のブラジャーが目に入った。
控えめな白い花の刺繍があしらわれた、清楚な印象の一枚だ。
(……レティとは……いい勝負、だと思う)
周囲に悟られぬよう、そっと自分の胸元に視線を落とす。
淡いクリーム地に夕陽色の刺繍を施した、お気に入りの下着。
だが、どこか物足りなさも否めない。
(……いや、成長の余白を残している、と言うべきね。うん)
――この夏、魔法の実力は見違えるほど伸びた。
制御も精度も、春先の自分とは比べものにならない。
けれど、女子同士でこうして並んでみると――。
(……まぁ、三人ともこの夏で決定的な差がついたわけじゃない、か)
そう結論づけかけた瞬間、ふと脳裏をよぎるハルカの姿。
ミレイナとほぼ同じ背丈ながら、控えめな物腰に似つかわしくない、あの豊かな胸元が鮮明に蘇る。
(くっ……チートだわ)
無意識のうちに小さく息を吐いた、そのとき。
キーンコーンカーンコーン、と予鈴が鳴り響いた。
「わ、もうこんな時間!?」
「急がなきゃ!」
ミレイナとレティシアが慌ててボタンを留め、ジュリアもスカートの裾を整えながら、三人は一斉に更衣室を飛び出した。
軽いドタバタと笑い声が、廊下に心地よく響いていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。
いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。
これからもよろしくお願いいたします。




