第69話 夏の終わりと始まる日常
一筋の朝日が窓辺から差し込み、静かな部屋に淡い光を満たしていく。
鏡の前に立つジュリアは、制服のベストの裾を整え、胸元の深紅のリボンを指先で軽く弾いた。
金糸の刺繍が施されたミニスカートは、あの日と変わらず気高く――けれど、纏う空気はどこか違っていた。
プラチナブロンドの髪は頭頂部で編み込み、クラウンブレイドとして上品にまとめられている。
凛とした背筋の奥には、夏の冒険を経た今、確かな光が宿っていた。
「お嬢様、そろそろお時間です」
背後から控えめな声が響く。
いつもと変わらぬ落ち着いた口調のハルカだった。
ジュリアは軽く頷き、扉に手をかける。
朝の空気を吸い込み、ほんの少し口元に笑みを浮かべた。
石畳の道を、ジュリアとハルカは並んで歩いていた。
初秋の空気はまだ夏の名残をとどめつつも、澄んだ香りを含んでいる。
通学路の両脇に並ぶ街路樹がやわらかく枝を揺らし、登校する生徒たちのざわめきが遠くから響いてきた。
「ジュリア様ーっ!」
明るい声とともに、道の向こうから一人の少女が駆けてくる。
袖を少し捲ったブラウス姿のミレイナが、茶色のショートヘアを跳ねさせ、眩しい笑顔で手を振っていた。
レティシアは、ブレザーの裾をきちんと整えながら少し後ろを歩いていた。
そのさらに半歩後ろを、ミレイナに付き従う専属メイド――リサンドラが静かな足取りで進む。
リサンドラ――ミレイナ付きの専属メイドであり、その立ち居振る舞いには凛とした品と実務的な鋭さが漂っている。
三人の制服や衣装の着こなしが、それぞれの性格を自然に映し出していた。
「おはよう、ミレイナ、レティ。……リサンドラも」
「おはようございます、ジュリア様」
「おはようございます、ジュリアちゃん!」
リサンドラは深々と一礼し、レティシアは柔らかく微笑む。
ミレイナは駆け寄る勢いのままジュリアの隣に並び、瞳をきらきらと輝かせながら一歩身を乗り出した。
「ジュリア様、今日もすっごく凛々しいですね!」
いつもの明るさに、尊敬の色が自然と滲む。
「……ふふ、ありがとう」
そこへハルカが一歩進み出て、三人に向かって丁寧に一礼した。
「初めまして。ジュリア様の従者、ハルカと申します。以後、お見知りおきを」
澄んだ声に、三人は自然と姿勢を正した。
「えっと……僕はミレイナ・バルネラ! よろしくお願いします!」
「レティシアです。ジュリアちゃんのクラスメイトです……八咫の方なんですね。お会いするのは初めてです。よろしくお願いします」
「リサンドラと申します。お嬢様――ミレイナ様にお仕えしております」
明るく人懐っこい笑顔で、ミレイナが勢いよく手を挙げる。
レティシアは柔らかな笑みと共に丁寧に会釈し、ハルカの立ち居振る舞いにふと目を瞬かせた。
リサンドラは静かに一礼し、落ち着いた声で名乗った。
ハルカは三人を順に見回し、穏やかな微笑みを浮かべて一礼を返した。
「そういえばジュリアちゃん、今日……歩きなんだね」
レティシアが少し不思議そうに問いかけた。
「うん、馬車はやめたの。これからは歩いて通うわ。いい運動になるし、朝の空気も悪くないの」
「へぇ〜! ジュリア様が徒歩通学なんて、ちょっと新鮮かも!」
ジュリアは穏やかに答えた。
レティシアは頷き、ミレイナは「なるほどねぇ」と妙に感心した顔で腕を組む。
三人は並んで学院へ向かい、ハルカとリサンドラは一歩下がって静かに付き従っていた。
通学路の道すがら、それぞれの夏休みについての話題が自然と広がっていく。
「私は郷里に戻って家の手伝いをしてたの。畑仕事ばっかり」
レティシアが少し照れくさそうに笑った。
「帰る途中で、ずっと行ってみたかったパワースポットに寄って……まぁ、それが一番の思い出かな」
「レティってほんとそういうの好きだよね〜」
ミレイナが笑い、ジュリアも口元を緩めた。
「僕はね! 前半は補習でみっちり、後半はリサンドラにしごかれてたんだ!」
胸を張るミレイナの顔はどこか誇らしげだ。
「しごかれたなどと、聞き捨てなりませんね」
「い、いやいや、良い意味で! 良い意味でだからっ!」
背後から、リサンドラの静かな声が飛んできた。
慌てて両手をぶんぶん振るミレイナ。
「見ててくださいよ、ジュリア様! こうやって――はっ!」
ミレイナは通学路の真ん中で、空気を切るように軽やかに身を翻し、拳を素早く突き出した。
連続する動きは素人離れしていて、周囲の生徒たちの視線がちらほら集まる。
――その瞬間、背後に静かな気配が忍び寄った。
リサンドラが音もなく間合いを詰め、冷静な表情のまま、正確な手刀を脳天に振り下ろす。ごすん、と小気味よい音が響いた。
「いだっっ!! な、なにすんのさリサンドラ!」
「お嬢様、公衆の面前ではしたない真似はおやめください」
淡々とした一言に、ミレイナは脳天を押さえてしゃがみ込み、レティシアが見ていられないといった態でため息をつく。
その様子を見ていたハルカが、わずかに目を瞬かせたのがジュリアの視界に入った。
きょとんとした表情――どうやら、こうした主従のやり取りは珍しいらしい。
ジュリアは内心で小さく笑いながら、二人のやり取りを眺め続けた。
「ジュリアちゃんは、夏休みどうしてたの?」
「……少し、魔法の勉強と、軽い鍛錬をしていたわ」
修行や冒険者デビューのことは、今はまだ言わない。
ジュリアはさらりと答えた。
「やっぱりジュリア様は違うな〜!」
ミレイナが感嘆の声を上げる。
ジュリアは苦笑でそれを受け流した。
やがて学院の壮麗な校舎が見えてきた。
石造りの高い壁と尖塔、魔導の紋章が刻まれた正門。
朝の鐘が鳴り響き、生徒たちの活気ある声が重なり合う。
「では、ここで失礼いたします」
「また放課後にお迎えにあがりますね」
ハルカとリサンドラが足を止め、一礼する。
ジュリアたちは軽く会釈を返し、三人で正門をくぐった。
その瞬間、ジュリアはふと立ち止まり、空を仰いだ。
清らかな鐘の音が響く。
学院を包む朝の光が、プラチナブロンドの髪を柔らかく照らし出した。
――また、ここから始まる。
冒険者としてではなく学生として、己の力を高め、己の力を提示する生活が。
胸の奥に静かな決意が灯る。
ジュリアは小さく微笑むと、仲間たちの後を追って歩き出した。
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