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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第三章 「晩夏に開く乙女たちの扉」
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第61話 未来の礎

 しつこく追い回してくるジュリアを何とかやり過ごし、修行場を抜け出したシモンは、庭を横切り、屋敷へと続く回廊に足を踏み入れた。

 いったい何が彼女を怒らせたのか、正直なところ理解に苦しむ。


 だが、あのひたむきな執念は悪くない――むしろ立派なガッツだと認めざるを得なかった。

(もっとも、あれを発揮しながら冷静さを失わずにいられるかどうか……課題はそこだな)

 こんな時でも教え子の指導を考えてしまう自分に、シモンは肩をすくめた。


 磨き込まれた大理石の床が靴音を澄んだ響きに変え、壁には代々の当主の肖像や家紋入りのタペストリーが整然と並んでいる。

 華美すぎず、由緒ある気品を湛えたその空間は、アーデルシア家の歴史そのものを物語っていた。

 そんな廊下の先で、ヴァレリオが姿を現した。


「シモン様、ちょうどよろしいところで。旦那様がお呼びです」

「爺さんが?」

「ええ。少しお話があるとのことです」


 軽く会釈するヴァレリオに頷き返し、シモンはその案内に従った。

 重厚な扉が開かれると、そこはテラノスの私室だった。

 壁一面に書架が広がり、古今の魔導書や地誌がぎっしりと並んでいる。

 その合間に、八咫の国から取り寄せた掛け軸や陶器、和綴じ本が静かに調和していた。

 異国情緒と学究の気配が交じり合い、主人の人となりを映し出す空間である。

 窓際の椅子に腰掛けていたテラノスが、豪快な笑みを浮かべて迎えた。


「おう、シモン。よく来た。ヴァレリオも一緒に腰を下ろせ」

「旦那様のお言葉ですので」


 ヴァレリオは静かに従い、シモンも遠慮なく席につく。

 三人が揃ったところで、シモンは背筋を正した。


「今更かもしれないが、本題に入る前に、一つ言わせてくれ。――まず、執事殿。あの時、ハルカとの主従契約で取りなしてくれたこと、感謝している。そして爺さん、執事殿。修行の名目で、あの娘を屋敷に置いてくれたことにも礼を言いたい」


 真摯な眼差しを向けるシモンに、ヴァレリオは一瞬言葉を選ぶように目を伏せた。

 やがて静かな声音で口を開く。


「ハルカさんは呑み込みが早く、勤勉な娘です。何よりも、シモン様のためにという献身が大きい。私にとっても学ぶところが多い存在ですよ」


 彼の表情には、単なる義務ではなく、真摯な評価と情のこもった色が浮かんでいた。

 シモンは満足げに頷き、口元を緩める。


「執事殿に任せておけば、何の不安もないな」


 言葉の重みに応えるように、ヴァレリオは軽く背筋を伸ばし、誇らしげに微笑んだ。


「ええ、お任せください」


 二人の間に交わされたやり取りは、形式ばった礼辞を超えたものだった。

 互いの信頼が言葉となって響き、重苦しさのない温かな空気がその場を満たしていった。

 やがてテラノスが身を乗り出し、声を潜めるように問う。


「では本題なんだが、シモン……ジュリアの修行の進みはどうだ? 冒険者としてやっていけそうか」


 シモンは腕を組み、しばし沈黙した。

 目を閉じ、考えを整理してから口を開く。


「順調ではある……だが、いずれ“現実”を知ることになるだろうな。ジュリアはまだ、本当の意味で世の中の悪意を知らない。人を騙す者、陥れる者、平然と人を傷つける者……善人の仮面をかぶって悪意を振りかざす奴もいれば、隠そうともしない剥き出しの悪意の人間もいる。そうした生々しい現実を知らなければ、冒険者の世界では生き残れん。甘ちゃんのままでは、せいぜいカモにされるのがオチだ」


 そこまで告げると、シモンは短く息をつき、言葉を選ぶように視線を落とした。


「……だが、だからこそ俺は、あの娘に見極める目を持ってほしいと思っている」


 テラノスは顎に手をやり、ゆっくり反芻するように呟いた。


「善人の仮面をかぶりながら悪意を振りかざすもの、か……まるで貴族じゃな」


 口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。


「……そういう意味じゃなかったんだが。爺さん、失礼した」


 シモンが頭を下げると、テラノスは手を振って笑った。


「気にするな。世俗の垢など、貴族なら知っていて当然じゃ。それを知る年になったというだけよ」


 その声音には、諦観とも達観ともつかぬ響きが漂っていた。

 シモンは小さく息をつき、言葉を継いだ。


「ジュリアは一途で優しい娘だ。その分、現実に苦しみ、傷つくこともあるだろう。だが同時に、強くて賢い娘でもある。――たとえ倒れても、必ず立ち上がってくれるさ」


 テラノスは目を細め、やがて豪快に笑った。


「ははは! そうじゃな。あの子なら、何度だって立ち上がるじゃろう。――それに」


 笑いを収めた彼は、意味ありげに視線を送りながら、ニンマリと口角を上げる。


「シモンが付いておるんじゃ。そう思わんか、ヴァレリオ」

「仰せの通りかと。シモン様にお任せすれば、何の不安もございません」


 ヴァレリオは主人の意を正確に読み取り、澄ました顔で先ほどの意趣返しを放った。


「おいおい……あんまり期待されても困るが――俺に出来る最大限を尽くそう」


 シモンもまた二人の趣向に応じ、ニヤリと笑みで返すと、場は穏やかな笑い声に包まれた。


 笑い合った後に残ったのは、年長者たちの揺るぎない決意だった。

 ジュリアとハルカ――二人の少女が、やがて自らの足で立ち、望む未来を切り拓いていくために。

 大人たちはただ、その背に託せる限りの知恵と強さを授け、未来への礎とならんとしていた。

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