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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第三章 「晩夏に開く乙女たちの扉」
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第59話 鞭と羞恥と蝉時雨

 八月も下旬とはいえ、陽射しはまだ夏の力を失っていない。

 早朝だというのに、修行場の空気はじわじわと熱を帯び、立っているだけで額に汗が滲む。


 テラノス邸の裏手に設けられた広い訓練所――いや、今はもう「修行場」と呼ぶのが定着していた。

 発端はハルカの言い換えだったが、主のテラノスをはじめ、八咫文化を愛する私兵たちも面白がって真似をし、気がつけば皆が「修行場」と呼ぶようになったのだ。

 シモン自身も最初は訂正していたが、いまでは諦めて受け入れている。

 修行の間だけは、彼も「師匠」と呼ばれるのが常となった。


 その修行場の中央では、ジュリアが新しい武器――鞭を手に立っていた。まだ初心者のはずなのに、振り抜く一打は様になっている。縦打ち、袈裟打ち、逆袈裟打ち。

 いずれも基本動作に過ぎないが、その正確さにシモンは目を見張った。

(……思った以上に筋がいいな。初めてとは思えん)

 感心した矢先、ジュリアは調子に乗って地面へと鞭を打ち下ろした。

 だが勢いが過ぎ、反動で先端が跳ね返り、彼女の体に絡みつく。


「きゃっ――いったーい!」


 派手に転倒し、スカートが翻る。

 その拍子に濃紺のブルマが露わになった。

 ジュリア本人は大して気にする様子もなく、必死に鞭を解こうとしている。

(……ブルマ……か。実用性重視だろうが……妙に艶めかしく見えるは何故だろうか……)

 シモンはブルマを凝視しながら、つい考え込んでしまった。


「ちょっと、黙って見てないで、手を貸しなさいよ!」

「い、いや、見てない、見てないぞ!」


 必死に言い訳するシモンに、ジュリアは怪訝な顔を向ける。


「はぁ? 何を訳の分からないこと言ってるの」

「いや、何でもない。……ハルカ、助けてやってくれ」

「は、はいっ、承知しました」


 ジュリアの言葉に取り合わず、シモンはハルカに救出を任せた。

 呼ばれたハルカが駆け寄り、絡まった鞭をほどいてジュリアを立ち上がらせた。

 二人とも、シモンの慌てぶりが腑に落ちないようだったが、深くは追及しなかった。

 シモンは取ってつけたように咳払いし、目を逸らす。


「さて……次はアイツらの様子でも見てくるか。ハルカ、付いてきてくれ」


 ひと呼吸置き、気を取り直すように修行場を見渡す。

 そこには、和気あいあいとした空気を寄せつけぬ、気迫と気迫の激突から生まれる熱気が渦巻いていた。


「はぁっ!」

「引くな、踏み込め!」


 剣と剣がぶつかり合い、砂埃を舞い上げながら互いを押し合う。

 彼らはジュリアの身辺を任されるアーデルシア家の精鋭であり、並の兵士では太刀打ちできぬ猛者揃いだった。

 やがて決着がつき、兵士たちが木剣を下ろしたところで、シモンが隣の少女に目を向ける。


「ハルカ、次はお前の番だ」

「はい! よろしくお願いします!」


 凛とした声で返事をし、前へ進み出るハルカ。


「はじめ!」


 シモンの合図に反応した兵士が木剣を突き出す。

 その一撃を、ハルカは身をひねってかわし、素早く踏み込む。

 兵士もただでは退かず、横薙ぎの斬撃を返してきた。


「……ふっ!」


 鋭く懐に潜り込んだハルカは腕を抑え込み、体重を乗せて押し返す。

 だが兵士も鍛え上げられた体幹で踏み止まり、容易には崩れない。

 砂を踏みしめ、互いに力を込める。

 短い拮抗の後、ハルカは足をすくい取るように踏み込んだ。

 兵士の重心が揺らぎ、その体勢を崩した瞬間――軸足を刈り取りダウンを奪うと、間髪入れず打ちおろした拳は、眼前でピタリと止められていた。


「……参った!」


 兵士が声を上げ、勝敗が明らかになった。

 その場にいた私兵隊の隊長ガレスが、唸るように低い声を漏らしながら前に出る。


「……さすがにやるな。――一手、お手合わせ願おう」

「よし、いいだろう。ハルカ、やれるな?」


 シモンが腕を組んだまま、ちらりとハルカに視線を向けて問いかけると、ハルカはこくんと頷いた。


「両者構えて――はじめ!」

「おぉっ!!」


 シモンの号令にガレスは気勢を上げ、木剣を大きく振り下ろしてきた。

 斬撃は重く鋭く、さすが精鋭を束ねる男とあって、一合ごとに地を揺らすような迫力があった。

 徒手空拳のハルカは防戦一方に追い込まれ、後退しながら間合いを保ち、何とか躱し続ける。


「くっ……!」


 体力も気力も充実したガレスの攻勢を、ハルカはギリギリの身のこなしで裁き、機を窺う。

 攻め手を見つけられないハルカだったが、揺らぐことなく冷静に対処した。

 反対にガレスは一気呵成に攻め込むも、紙一重で躱され続け、その連撃は次第に大振りになり、隙が生まれた。

 その瞬間、ハルカは腰へと手を伸ばす。

 忍刀を模した木剣を素早く抜き放ち、すれ違いざまに鮮やかな胴抜きを打ち込んだ。


「そこまで!」


 シモンの声が修行場に響いた。

 ガレスはこれが真剣だったらと考えたのだろうか。

 正確に捉えられた剣閃を思い出し、しばし瞑目しながら立ち尽くすと、深く息を吐いた。


「……俺の負けだ。鮮やか過ぎてため息が出るぜ」


 唇を噛みしめながらも、次に見せたのは真摯な笑みだった。


「ジュリア様の護衛が君なら……確かに心強い。悔しいが、頼もしいな」


 その言葉に、ハルカは照れくさそうに眉を下げ、深々と頭を下げた。

 私兵たちが息をのむ中、シモンは腕を組んで静かに二人の様子を見届けていた。

 やがてガレスが向き直り木剣を収めると、シモンは口を開いた。


「ガレス。お前は力も経験も十分だが……戦うときは、何を目的にするかを常に考えろ」


 鋭い視線が突き刺さり、ガレスは思わず背筋を伸ばした。


「ただ力任せに斬り伏せるだけでは、相手に付け入る隙を与える。自分の強みをどう活かすか、頭で組み立てて戦え」

「……心得ます」


 シモンより年長でありながら、その確かな実力に敬服し、ガレスもまたハルカと同じように彼を師と仰いでいた。

 悔しさを噛み殺しながらも、ガレスの声には確かな敬意がにじんでいた。


 続いてシモンは、視線をハルカへ向ける。


「よし、今度は俺とやるぞ」

「はいっ!」


 気合を入れ直したハルカが、真剣な眼差しで向かい合う。

 審判役を買って出たガレスの合図と同時に飛び込み、拳と蹴りを織り交ぜて一気に攻め立てた。


 しかしシモンは表情ひとつ変えず、最小限の動きで全てを受け流す。

 木剣の切っ先で牽制し、打撃をかわし、時に軽く押し返すだけ。


「はっ――やっ!」

「どうした? 間合いが甘いぞ!」


 軽い押し返しに、ハルカの体が大きく揺れる。

 それでも食い下がるように再度踏み込み、低い蹴りを放つ。

 だが、それも寸前で受け止められた。


「むきになるな。突っ込むばかりでは読まれる。――崩す工夫をしろ。フェイントでも、引きでもいい」

「……はい!」


 必死さを滲ませながらも、ハルカの返事は力強かった。

 ハルカは一度短く息をつくと、構えを取り直した。


 そして無闇に攻めるのではなく、狙いを顔面に定めた。

 一歩で大きく間合いを詰めると鋭い突きを二発。

 シモンは首を右、左と傾げながらバックステップで後退。

 ハルカはそれを追うように右のハイキックで頭部を狙う。

 それを読んでいたシモンは後ろに身体を逸らし、スウェーで避けようとするが、ハルカはここから奇襲をかける。


 ハイキックのために振り上げた右足を、体幹と柔軟性にモノを言わせ、強引に”標的”を変えた。”標的”は――地面だ。

 地面を蹴ったハルカは、小柄な体をさらに低くして、爆発的な加速をもって鋭くタックルを仕掛けた。

 だが、体格で劣るハルカは一気に押し切ることができず、逆にシモンは重心を下げ、タックルを潰しにかかった。


 ここが勝負所だった。

 タックルが潰されるところまで読み切っていたハルカは、シモンの重心が下がったところで素早く腕を抑えこみ、身体を反転させると、自分の背中にシモンを背負い、渾身の脚力で跳ね上げた。

 ハルカは投げを確信し、投げた後に打撃か、あるいは関節を極めるか、瞬間的に思案した。

 その刹那、空中を舞っているシモンから重さが消え、一瞬で手応えを失った。

 シモンは投げられる瞬間に、自分から飛び、ハルカの上で体勢を捻るとそのまま両足で地面に着地した。


 「良い工夫だったな。だが、詰めが甘い。もう3~4手は詰めないと、一本はやれないな」


 優しく語りかけながら、シモンは軽いチョップをハルカの頭にお見舞いした。


「……ま、参りました」


 ハルカは痛みの無いチョップに、自分とシモンの実力差を痛感した。


「……今のどうなってんだ」

「さすが師匠だ……」


 私兵たちは、自分たちが歯が立たなかったハルカ相手に、余裕の立ち回りで御したシモンに驚きを隠せず、驚嘆や尊敬を口にした。

 ざわめきを余所に、シモンは朝の修行を締めくくりにかかる。


「よし、そろそろ時間だな。締めの素振り行くぞ」

「「「「「「――おおっ!!」」」」」」


 シモンの号令に、ハルカを含め、私兵隊全員が一列に並ぶ。

 木剣を握る手は力強く、立ち姿は一糸乱れぬほどに揃っていた。

 振り下ろされる剣が一斉に風を裂き、規則正しい音が蝉時雨に重なって修行場を包む。

 陽光に舞った汗の粒が、きらきらと夏の空へと弾け飛ぶ。

 そこには、燦燦と輝く陽光に並ぶほどの眩しさが広がっていた。


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