第58話 職人の眼と少女の相棒
仕立て屋を後にし、三人は石畳の大通りへと歩みを進めた。
午後の陽光に照らされた街路は人波で賑わい、行商人の威勢のよい呼び声や、馬車の蹄音が途切れることなく響いている。
香辛料や果実の甘酸っぱい匂いが風に混じり、時折すれ違う旅人の背には武具や荷物が揺れていた。
街そのものが生き物のように脈打ち、冒険者として歩み出したばかりの二人を迎え入れているようでもあった。
「ところで、お前の装備だが……武器も一つは持っておいた方がいい」
歩きながら、シモンが何気なく口を開いた。
ジュリアは意外そうに目を丸くする。
「武器? 私は魔法士よ? 本当に必要なの?」
純粋な疑問の響き。シモンは肩をすくめて答える。
「魔法に頼るのは構わない。だが、魔法“だけ”に頼るのは危険だ。魔力を温存したい場面もあるし、魔法が効かない相手に出会うこともある――魔法士としてではなく、冒険者として考えてくれ」
ジュリアは小さく瞬きをして、視線を前へ戻した。
石畳に影が伸びるのを見つめながら、シモンの言葉を胸の内で反芻する。
「…………」
反論は浮かばない。
なにより――シモンが言うのなら、それが真実なのだろう。
そう思えた自分に、わずかな違和感と同時に、不思議な安心感が広がっていった。
「なるほど……わかったわ」
理屈と感情の両面で納得し、ジュリアは小さく頷いた。
その反応を確かめると、シモンは歩みを進める。
ジュリアはその隣へ並び、ハルカは一歩後ろを静かに付き従った。
大通りを抜け、少し寂れた横道に入ると、古びた木の看板を掲げた一軒の店が現れた。
窓枠は日に焼け、外壁の漆喰はひび割れている。
だが、扉を押し開ければ鉄と油の匂いが立ちのぼり、壁一面に並んだ剣や槍が鈍い光を返していた。
使い込まれた棚には大小の刃が整然と収まり、年月を重ねた工房の空気が漂っている。
「ここなの……?」
不安げに問うジュリアに、シモンは小さく笑った。
「見た目はこんなだが、物と腕は確かだ」
「聞こえとるぞ、『こんな』は余計だ、シモン」
低い声が奥から響き、壮年の職人が姿を現した。
髭面に鋭い眼光を宿し、無骨な手には研ぎ石と刃が握られている。
武器屋の主人――ロペスだ。
「相変わらずだな、おやっさん。今日も頼む。この娘に武器を見繕ってやってほしい」
「まったく……いきなり来て、自分勝手な奴じゃ」
ぼやきつつも、その声にはどこか愉快そうな響きが混じっていた。
武器を語り、鍛え、扱わせること自体が、この職人の矜持なのだ。
シモンはハルカに目を向ける。
「お前の忍刀や苦無も、ここで世話になるといい。八咫の品でも、おやっさんなら扱える」
ハルカは驚いたように瞬きをし、すぐに姿勢を正すと、両手を前で揃えて柔らかく重ね、メイドらしい所作で深々と一礼した。
「……ハルカと申します。今後、お世話になります」
「真面目な子だな。ロペスだ、よろしくやっていこう」
「早速ですが、見てもらってもよろしいですか」
律儀なその言葉に、ロペスは鼻を鳴らす。
そう言うや、ハルカは意を決したように声を上げた。
スカートの内側に隠したガーターリングから苦無を一本抜き取り、両手で丁寧に差し出す。
苦無が光を受け、研ぎ澄まされた刃がきらめいた。
翻った裾に、シモンは思わず視線を取られ――すぐさま背筋に冷たい気配を感じ、慌てて目を逸らす。
ジュリアが無言で放った殺気めいた眼差しは、問答無用の圧力を帯びていた。
「……ふむ」
ロペスは受け取った苦無を掌で転がし、刃の角度や重量を確かめながら唸った。
光にかざして刃筋を追い、柄の摩耗を指先でなぞる。
「マメに手入れはしているな。刃こぼれもないし、切れ味も保たれている」
一拍置き、職人らしい低い声が続いた。
「だが……使い込みすぎて、ほんのわずかに重心が狂ってる。投げてみりゃ気づくはずだ。投擲武器でバランスの狂いは命中精度に直結する。そろそろ買い替えも検討した方がいい」
「そ、そんなところまで……!」
ハルカは驚きに目を丸くし、思わず息を呑んだ。自分でも気づかなかった細部を、ほんの一瞥で言い当てられたのだ。
ロペスはニヤリと笑い、苦無を返しながら言った。
「もし買い替えるなら相談してくれ。重さも切れ味も、手に馴染むまで付き合ってやる。手と目で積んだ経験は嘘をつかん。職人の仕事は、そういうもんだ。」
「は、はい。その折には、どうぞよろしくお願いします」
ハルカは畏まって深々と頭を下げた。
律儀で真面目なその姿に、ロペスの目がわずかに柔らかくなる。
ハルカのやり取りが一段落すると、今度はジュリアの番となった。
ロペスが棚を指さし、無骨な声で促す。
「さあ、お嬢ちゃん。気になるもんを手に取ってみな」
「ジュリアと申します。以後、お見知りおきを」
お嬢ちゃん呼びに、わずかに眉が動く。
にこりともせず、貴族らしい落ち着きで名乗りを返した。
その凛とした態度に、ロペスはニヤリと笑みを浮かべる。
挑発を込めた軽口を、臆せず受け流したのが面白かったのだろう。
ジュリアは剣、杖、槍と順に手に取ってみた。
だが、どれもしっくりこない。
重さの偏りに振りが乱れ、握りは指先に馴染まない。
ひと通り試したところで、ジュリアは小さくため息をつき、不満げに首を振った。
「違う……どれも、なんだか体に合わない」
諦めかけてふと視線を巡らせたとき、棚の端に掛けられた一本の鞭が目に留まった。
長さは一・五メートルほど。
革のしなやかな編み目が光を帯び、手に取ると指先に馴染む。
軽く振ると、空気を切り裂く鋭い音が室内に響いた。
その瞬間、ジュリアの瞳がわずかに見開かれる。
ダンスで鍛えた身体感覚が、自然と応答していた。
しなりが体の延長となり、まるで自身の腕が伸びたかのような感覚を覚える。
「……これなら」
呟きとともに、鞭を構えてもう一度振る。
軽快な音が響き、動きがしなやかに体へ呼応する。直感的に分かった――これは、自分の武器になり得る。
だが、ロペスは苦い顔をした。
「そいつに目を付けるとは、お目が高いな。少々値は張るが、逸品と呼ぶに相応しい掘り出し物じゃ。じゃがのぉ……鞭は扱いが難しい。中途半端に使えば自分を傷つける。おすすめは出来んわな」
ロペスの言葉に、工房の空気が一段重くなった。
だが、シモンは静かに首を横に振った。
「いや、気に入ったならやってみろ。使って、使って、使い込んで……それでも駄目なら、そのとき考えればいい。失敗を糧にするのも悪くないしな。無駄を作らない――それが冒険者だ」
ジュリアはシモンを見つめる。
短い言葉の奥に、彼の確信と経験が滲んでいるのを感じた。
胸に迷いが残っていたが、その一言が背中を押す。
「……分かったわ。これにする」
ジュリアは真っ直ぐにうなずいた。
その声音は凛として揺らぎがなかった。
選ばれたのは、飾り気のない無骨な鞭。
だが革の質は極めて高く、編み込みの緻密さが耐久性を物語っている。
無駄を削ぎ落とした実直な作りが、むしろ存在感と力強さを漂わせていた。
ジュリアはグリップを握りこむと、鞭自体が応答するような不思議な感覚を返していた。
ロペスはやれやれと楽し気に溜め息をつき、「お代は――」と口を開きかけたところで、シモンが財布を差し出す。
「冒険者の第一歩の祝いだ。俺からの贈り物にしておけ」
「えっ……」
一瞬、ジュリアの表情が揺れる。
つい先ほどまで拗ねていた自分を思い出し、胸がちくりと痛んだ。
それでも僅かに目を逸らし、控えめに言葉を絞り出す。
「……あ、ありがとう」
ロペスは目を細め、ハルカは微笑ましげにその姿を見つめた。
素直になりきれないその一言こそ、ジュリアらしさを映していた。
買い物を終えた三人は、夕暮れの大通りを歩いて馬車乗り場へ向かった。
赤く染まる空の下、街の喧噪も次第に落ち着きを見せていく。
(明日からの訓練に、鞭を組み込むか……)
シモンはそんなことを考えながら、横を歩くジュリアをちらりと一瞥する。
彼女は新しい武器を抱きしめるように持ち、どこか誇らしげに歩いていた。
装束を誂え、武器を手に入れた――その二つが揃い、彼女は『冒険者』としての形を備え、また一歩、冒険の道を進んでいった。あとは踏み入るだけだ――冒険の深みへ。
夕暮れに染まる街路の中で、その背中は確かに、未来へと歩み出していた。




