第57話 大きな祝福と小さな嫉妬
石畳の路地裏にひっそりと構える老舗の扉を押し開けると、カラン、と上品な鈴の音が鳴り、魔布の乾いた匂いがふわりと漂った。
シモンたち一行は、仕立て屋《ヴェルノ・ドレス工房》を訪れていた。
内装は質素ながら隅々まで整えられている。壁際には反物が幾列も積まれ、絹糸の光沢や厚布の重みが色とりどりに並ぶ。
大きな窓から差し込む陽光が布地を照らし、赤はより鮮烈に、青は深みを帯びて輝いていた。作業台の上には裁ち鋏や木製のメジャー、半ば仕上がったドレスが整然と置かれ、熟練の手仕事が息づいている。
アーデルシア家御用達の店とあって、店主はすぐに笑みを浮かべ、ジュリアに向けて深々と礼をとる。
「ジュリア様、本日もご用命を賜り、恐悦至極にございます」
「ええ。事前に話しておいた冒険者装束の件、お願いするわ」
そのやり取りを横で聞きながら、シモンは少し肩の力を抜いた。
完全に“客”として扱われることに、どうにも慣れないのだ。
並べられた生地はどれも高級品。
炎を浴びても焦げにくい布、衝撃を分散する織物、魔石を織り込んで魔力の伝導を助ける加工布――。
「こっちは強度はあるけど重いな。長く動くなら疲れるだろう」
「なら、こっちの方が実用的じゃないかしら? 軽くて、通気性も良いって書いてあるわ」
ベテラン冒険者であるシモンと、熟練職人である店主の相談に、ジュリアも当然のように加わり、堂々と意見を投げかける。
彼女にとってはただの衣ではなく、戦場で身を守る鎧でもある。
「こちらの生地なら、魔力を纏った際の炎の広がりを抑えられるかと」
「なるほどな……」
実用性を見極めるシモン、職人の視点を語る店主、そして使う者としての意見を出すジュリア。
三者で交わされる議論は、いつしか熱を帯びていた。
やがてデザインの話題になると、店主が言葉を切り替える。
「仕立ての意匠については――」
その視線がジュリアと合わさり、暗黙の了解が交わされる。
「私とジュリア様でご相談いたします。シモン様には、完成を楽しみにお待ちいただきましょう」
「……そういうことか」
シモンは肩をすくめる。自分だけ蚊帳の外というのは、どうにもむずがゆい。
だが、ジュリアの気持ちを汲み、素直に引き下がった。
やがて基本デザインが仮決定し、採寸のため女性スタッフがジュリアを奥へと案内し、ハルカもそれに続いた。
シモンは店内に残り、店主はバックヤードへと姿を消す。
ややあって、店主は湯気の立つコーヒーを手に戻ってくると、職人らしい静かな所作で椅子を引き、シモンを席へと誘う。
「……ところで、先日は誠にありがとうございました」
店主がふいに頭を下げる。
「先日?」
「ええ、舞踏会の礼装です。あの黒の正装――覚えておいででしょう。あれが王都で大評判となりまして。『どちらのご子息か』と貴族方の話題をさらい、今ではあの黒礼装が一つの流行になっております」
シモンは眉をひそめる。
「……あの時のか」
視線を集めたことは覚えている。
だが、それが王都のトレンドにまでなっているとは……「まさか」としか言いようがなかった。
「顔を売るつもりはなかったんだがな」
口に出すと、店主は苦笑して首を振る。
「立ち姿あってこそ。布と仕立てだけでは、到底届かぬ評判でございます」
褒め言葉のはずなのに、シモンの胸には複雑な感情が残った。
「……できれば忘れてほしい話だが」
「忘れられない立ち姿というのも、世にはあります」
シモンの苦笑いに、店主は穏やかな笑顔で返した。
ほどなく採寸を終え、ジュリアが戻ってきた。
「加工を施したのち、改めてお引き渡しいたします」
「ええ、よしなに」
満足げにうなずくジュリア。
その姿を横目に、シモンはふと思いつき、ハルカに声をかけた。
「せっかくだ。ハルカ、お前のも仕立ててもらえばどうだ。新弟子のお祝いだ」
「えっ……!」
驚きに目を丸くしたハルカは、慌てて両手を振る。
「わ、私なんかにはもったいないです!」
「遠慮するな。これから命を預け合う仲間だ。費用は気にしないで、納得のいくものを作ってもらえ」
シモンはまっすぐに言った。
ハルカはしばらく視線を伏せ、やがて決意を固めたように深々と頭を下げる。
「……ありがとうございます、シモン様。必ず、装束に恥じない冒険者になります」
「大事にするより、まずは使い倒せ。傷が増えるほど、お前の歩みの証になる」
「……はいっ!」
顔を上げたハルカの表情は、真剣そのものだった。
店主がサンプルを並べ、彼女は一つひとつ丁寧に確認しながら相談を始める。
師から贈られた最初の装束――その重みを噛みしめているのだろう。
その最中、シモンとジュリアがふと二人きりになる。
「……ハルカだけずるい」
小声のつぶやきに、シモンは首をかしげる。
「ん? どういう意味だ」
「な、なんでもないわよ!」
ジュリアはそれ以上、何も言わなかった。
――それでも、分かってほしいと思っていた。
自分も祝ってほしい、そのささやかな願いを。
言葉にできないまま、ぷいと顔を背ける。
シモンはその心情を探ろうとするが、うまく形にできない。
もどかしさだけが胸に残る。
やがて、採寸を終えたハルカとスタッフが戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません。ただいま終わりました」
仕える主人と、出向先のお嬢様を待たせてしまったと、どこか申し訳なさそうなハルカ。
その姿に、シモンは思わず苦笑する。
「引き渡しは後日。魔法加工が済み次第、改めてお届けいたします」
店主の言葉に三人はうなずき、工房を後にした。
店を出て歩き出したところで、シモンはちらりと横をうかがう。
そこには、まだ頬を膨らませたままのジュリアの横顔がある。
ただの拗ね顔――なのだろうか。
妙に引きずっているのが気になる。
(……何をそんなに拗ねているんだ?)
拗ね顔の理由はわからないまま、胸に小さな引っ掛かりが残った。
シモンは頭を掻き、次の目的地に向け、石畳に靴音を響かせた。




