第56話 冒険者と証
成人祝いの翌朝。
ワイアースの大通りを馬車が進む。
乗っているのはシモンとジュリア、そしてメイドとして控えるハルカの三人だった。
「ついに、ついに私も正式な冒険者に……!」
窓の外を眺めながら、ジュリアは抑えきれぬ胸の高鳴りを言葉にした。
「お嬢様、あまりはしゃぐと、はしたないですよ」
「むっ……し、仕方ないでしょ! 今日は特別なんだから!」
隣のハルカが涼しい声で釘を刺す。
ぷいと横を向くジュリアに、シモンは小さく笑みを浮かべた。
「ちなみに、私はすでに登録済みですから。分からないことがあれば、なんでも先輩にお尋ねくださいね」
普段は控えめな彼女だが、このときばかりは胸を張り、得意げに顎を上げていた。
その姿は、年相応の少女らしさをのぞかせる。
ジュリアはジロッと軽く睨むが、ハルカは澄ました顔で、軽く受け流していた。
微笑ましい雰囲気を感じているうちに、馬車は目的地に到着していた。
石造りの重厚な建物──ワイアース冒険者ギルド。
大通り沿いに構えられたその扉をくぐると、広間は活気とざわめきに包まれていた。
依頼掲示板には札がぎっしりと並び、受付嬢たちと冒険者の声が飛び交う。
「シモンさん!」
最初に気づいたのはエリスだった。
ぱっと顔を上げてシモンを見つけると、慌てて姿勢を正す。
「ジュリア様!」
「……前にご挨拶に来られてから、もう四か月ですか」
エリスの後ろでリリーがジュリアに気づき、ぱっと手を振った。
カリナが冷静に言い添えると、ジュリアはたおやかに腰を折り、完璧な礼を返した。
「ご無沙汰しております。アーデルシアの娘、ジュリアでございます。本日は冒険者として、正式に登録をお願いに参りました」
その声は澄んでいて、立ち居振る舞いには品がある。
ギルドの面々は頷き合い、場に一瞬の静けさが落ちる。
カリナが手続きを促し、ジュリアは差し出された書類に流麗な筆跡で記入していく。
「わぉ……なんて綺麗な字!」
リリーが思わず声を漏らすと、ジュリアは当然と言わんばかりに薄く微笑んだ。
続いて、ギルド証の作成。
透明な水晶板に手をかざすと、朱色の光がじわりと広がっていった。
「……これは」
カリナの瞳が一瞬揺らぐ。冷静さを装っていたが、驚きを隠せない。
「新人どころか、一人前の魔法士の何倍も……正確な魔力量は計測できません」
引きつった声に、カウンターの内側がざわめいた。
「こ、こんな数値……あり得るんですか」
「さっすがジュリア様! お嬢様は魔力まで桁違いですね!」
エリスが小声で呟き、隣のリリーはぱっと笑顔を弾ませる。
カリナが咳払いをひとつすると、二人は慌てて持ち場へと戻っていった。
計測の結果に胸を張るジュリア。
「……さすがお嬢様」
その姿に、シモンは口元をわずかに緩め、ハルカも控えめに囁く。
(この力で……私は私の価値を証明する!)
ジュリアは表情を引き締め、胸の奥で改めて誓いを固めた。
ジュリアは事務手続きを終え、登録の完了を静かに待った。
焦りを表情には出さず、胸の奥で期待だけが静かに膨らんでいく。
やがて完成された金属製のカードがカリナから手渡される。
表面は灰色、角にはギルドの紋章。
裏には名と登録番号、そして「Fランク」の刻印が刻まれている。
冒険者としての正式な証だ。
ジュリアはカードを両手で受け取り、胸に抱いた。
(これが……私の冒険者としての第一歩)
横からそっとハルカが声をかける。
「お預かりしましょうか?」
ジュリアは一瞬考え、首を横に振った。
「大丈夫……ううん、自分で持っていたいの」
「かしこまりました」
素直に引き下がりながらも、ハルカの眼差しには微笑ましげな色が浮かんでいた。
その心の昂ぶりを察したかのように、カリナがさらに口を開く。
「今お渡ししたカードが本証である《ギルド証》になります。高ランクの契約や、身分証明に必要な正式書類となりますので、なくさないように大切に保管なさってください」
そして小さく間を置き、続ける。
「加えて、副証についてもご説明します。普段の依頼受注や照会、報酬の受け取りなどは、こちらの小型魔導具を用いるのが一般的です。形状は自由で、ペンダント・指輪・ブレスレットなどを選べます。水晶端末にかざせば、ご本人の登録情報と連動して機能します」
ジュリアは思わず小首をかしげた。
(証書があるのに、どうして別のものが要るのかしら……?)
その疑問を見抜いたように、隣のシモンが自分の左手を持ち上げる。
無骨な革紐のブレスレットが光を受けてかすかに揺れた。
「これだ。街を出入りするときや依頼の確認には、こっちを使う。カードの方は正式な証明用だな」
さらりとした言い方だったが、ジュリアには新たな世界の実感として強く響いた。
「副証の申請は後日でも構いません。本日は本証の発行のみとなります」
カリナの締めくくりに、ジュリアは小さく頷いた。
そこで、カリナはさらに言葉を継ぐ。
「それと、ギルドでは報酬金を預かる《預金制度》も設けています。依頼を終えて受け取った報酬は、そのまま口座に入金可能です。ご希望ならアミュレットで照会や引き出しもできます」
ジュリアは小さく瞬きをし、興味深げに耳を傾けた。
「預金……?」
「ええ。ただし、預け入れにはランクごとに上限がございます。Fランクは三千シェルまで、Eランクは五千、Dランクで一万……上位ランクになるほど限度額は広がります」
カリナは一度区切り、涼やかな視線を横に流す。
「もっとも、ほとんどの冒険者はその日暮らしで上限に届くことは稀です。……ですが、なかには例外もおりますので」
視線の先には、静かに立つシモンの姿。
「上限を超える場合は、商会や王都の銀行に預けていただきます。ギルドではお引き受けできませんので」
遠回しではあるが、確かに釘を刺す響き。
シモンは肩をすくめただけで、何も言わなかった。
そしてカリナは、最後に少しだけ口元を緩める。
「不明点があれば、いつでもギルドスタッフにお尋ねください。……あるいは、優秀な先輩冒険者に教わっても構いません」
至極真面目な顔で、ちらりとシモンを見やる。
ジュリアは小さく吹き出しそうになり、シモンは咳払い一つで受け流した。
だがカリナの声が、再び低く強く響いた。
「最後に一つ。新人冒険者の三割は一年以内に命を落とします。さらに三割は、負傷や失望で引退、あるいは廃業。残り四割も、次の一年には半分も残りません」
冷徹な数字に、ジュリアは思わず息を呑んだ。
カリナの眼差しは鋭く、それは気迫にも似た切実さを帯びている。
「それだけ危険な仕事なんです。名誉もお金も取り返せますが、命だけは替えが利きません。貴女の命は一つだけなんです。ここを違えないでください。」
その一言一言が、胸の奥に突き刺さる。
ジュリアは唇を結び、深く頷いた。
「……肝に銘じます」
その答えは真摯で、決意を帯びていた。
説明を終えると、シモンが静かに口を開いた。
「今日は登録だけだ。あとは装備を見に行くぞ」
「……わかったわ」
ジュリアはほんの少し、名残惜しそうに掲示板へと視線を流した。
そこには依頼票のほか、通達文も張られている。
『受付嬢へのナンパ禁止──お土産歓迎、甘味推奨』
『《ミミクレア》に関する注意事項──自己責任にて開封のこと』
『定期巡回警備の募集──農村・街道を守る巡回依頼』
『ギルド主催:婚活パーティー参加者募集中』
「へえ……こんなのもあるんだ」
「依頼以外にも重要な通達事項もある。ギルドに顔を出した時は、確認する習慣になるさ」
ジュリアは思わず小さく呟く。
シモンは冒険者あるあるを披露し、ジュリアは感心して頷いた。
軽く手を振ってギルドを後にするシモンに促され、ジュリアとハルカも続く。
外に出たジュリアは改めてカードを見下ろし、ぎゅっと握りしめる。
「これが……私の冒険者としての第一歩」
静かに誓う声が夏空に溶けていく。
その姿を横目に見て、シモンは心中で呟いた。
(……ようやく始まったな)
依頼としては終わっていたはずの「冒険者指導」。
途中で思いがけないトラブルや新しい真実に直面もしたが、ようやく本当に達成できた気がした。
だが、冒険者は「なること」よりも、その後を「生き抜くこと」の方がはるかに困難だ。
それは身をもって知っている。
そしてジュリアにも、ハルカにも、いずれは身をもって知ってもらわなければならない。
それでも──。
二人が冒険者としての道の先に、ほんの少しでも幸福を見いだせるように。
シモンは、願わずにはいられなかった。




