第55話 成人の朝
夏の朝風が、白いカーテンを揺らしていた。
昇りはじめた陽は、まだ柔らかい光を帯びながら部屋へと差し込んでいる。
鏡の前に立つジュリア・アーデルシアは、じっと己を見据えていた。
ジュリアは今日、エイル王国における成人の年を迎えたのだ。
鏡に映るのは、まだ少女の面影を残す白皙の顔。
だが琥珀色の瞳には、もう迷いのない強さが宿っていた。
純白を基調としたドレスは、成人を迎える娘にふさわしい清冽さを湛えている。
成人とは、結婚が許される年齢でもある。
貴族に生まれた以上、家の事情に翻弄される可能性は常にある。
(――けれど、わたしは自分の力で歩む。母のためにも、自分のためにも)
幼い日の誓いが胸を焦がす。
祖父テラノスのように、力で誰かを支えられる存在となるために。
そのとき、控えめなノックが響いた。
「お嬢様、皆さまがお待ちでございます」
「ええ、今行くわ」
声の主はミーナだった。
小さく答え、ジュリアは背筋を伸ばして扉を開いた。
テラノス邸の広間は、祝いの席へと整えられていた。
壁にはアーデルシア家の紋章旗が掲げられ、魔工灯が橙の光を落としている。
長卓には季節の花が飾られ、落ち着きと温かさに満ちていた。
扉が開いた瞬間、皆が一斉に立ち上がった。
拍手が広がり、主賓を迎えるにふさわしい静かな高揚が場を包む。
ジュリアが歩を進めると、テラノスが豪快に笑い、隣に立つシモンが目を細めた。
ヴァレリオは燕尾の裾を正し、深々と頭を垂れる。
ハルカは列の端で静かに礼を取り、ミーナはすぐにメイドたちの列へと戻った。
私兵やキャビンたちも不器用ながら笑みを浮かべ、場は温かな祝意に満ちていった。
「ジュリア、おめでとう!」
「お嬢様、ご成人を心よりお祝い申し上げます」
テラノスが声を張り上げ、孫を迎える。
ヴァレリオが一歩進み出て、恭しく言葉を添えた。
シモンも姿勢を正し、柔らかな声音で言った。
「おめでとう、ジュリア。……これからが本当の始まりだな」
短いが真っ直ぐな言葉に、ジュリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ご成人、おめでとうございます」
「お嬢様、おめでとうございます。本当に……お綺麗です」
ハルカは控えめながら、その声には確かな敬意が込められていた。
ミーナは微笑みながら涙を浮かべた。
長年仕えてきた思いが、言葉の端々に滲んでいた。
その後、ヴァレリオが銀盆を差し出した。
「オリヴィア様より。療養の別邸からのお手紙と贈り物でございます」
封を開ければ、優しい文字が並んでいた。
忘れもしない、母オリヴィアの字だ。
ジュリアは静かにじっと、文字を追っていく。
文字はいつしか、母の声となり、ジュリアの胸を満たしていく。
そして、結びの言葉に辿り着いた。
――ジュリア、あなたが歩むその道が、あなた自身の光でありますように。
――忘れません。いつも貴女を想います。
胸の奥に熱が込み上げ、ジュリアの目に涙が滲む。
ジュリアに言葉はなくても、両腕で手紙を抱きしめる仕草が、すべてを物語っていた。
そして、一緒に贈られた小箱の蓋を、優しく開けた。
そこには紅玉を嵌め込んだ銀のペンダントが現れる。
一礼して、そっと手に取ったミーナが、ジュリアの胸元に掛けると、紅玉は淡く輝き、彼女の魔力に呼応して温もりを与えた。
母が傍らにいるような心強さが胸に満ちていく。
「では――誓いを聞かせよ」
テラノスが促し、広間は静まり返った。
ジュリアは胸に手を当て、声を響かせた。
「本日、わたくしは成人を迎えました。アーデルシアの娘として、そして一人の人間として誓います。わたくしは、自らの力で歩みます。一人の冒険者として、一人の魔法士として力を示し、意味ある存在として立ちます。家名に恥じず、民の益であるよう、そしてジュリア・アーデルシアの名を高められるよう、この道を邁進いたします」
「はっはっは! それでこそ我が孫よ!」
「ご立派なお言葉。屋敷一同、心よりお支えいたします」
「……ご成人、おめでとうございます」
「ご立派になられました。この日を迎えられたこと、ミーナは嬉しく思います」
沈黙を破ったのは、テラノスの豪快な笑い声だった。
ヴァレリオは胸に手を置き、深く頷く。
ハルカは控えめに一礼した。
ミーナは目頭を拭いながら微笑んだ。
私兵やキャビンたちは大きな拍手を鳴らし、その音が梁にまで広がっていった。
シモンは隣で静かに頷き、優しく言葉を重ねる。
「おめでとう、ジュリア。お前が進む道を、俺も見届けよう」
胸元の紅玉がまた一度きらめき、白南風が窓辺を揺らした。
少女の決意は、母の愛と共に、確かに燃えていた。




