第47話 過ぎ去る夜と迎える朝
シモンたちがギルドへ辿り着いたのは、すでに真夜中をとうに過ぎた頃だった。
建物の灯りは落ちていたが、扉を叩く音に応じて、中から現れたのはサブマスターのカリナだった。
眼鏡越しの鋭いまなざしが、血に汚れたシモンと、その背に負われたハルカを一目でとらえ、瞬時に状況を把握したようだった。
「……どうしたのですか、こんな時間に」
「毒と外傷がある。すまないが、手当を頼みたい。それと……迷惑ついでに、しばらく預かってくれ。朝には迎えに来る。報告は、その時に」
カリナの問いに、シモンは必要最低限の要件だけを告げた。
「はぁ……わかりました。――その代わり、報告は私も同席させてもらいます」
静かな圧を込めた返答に、シモンはわずかに表情を和らげる。
ハルカを託すと、彼は踵を返し、夜の街へと歩み去った。
まだ夜は明けていない。
だが、その足取りは迷いなく、ただ静かに、定めた目的地を目指していた。
シモンがテラノス邸の門扉の前に立ったとき、東の空はわずかに薄紅に染まり始めていた。
声をかけるまでもなく出迎えたのは、執事ヴァレリオ・グランツである。
背筋を正し、いつもと変わらぬ品格をまとったまま、わずかに目を細めて告げた。
「何となく……シモン様がお越しになる気がしておりました」
「俺の足音でも聞こえたか?」
「従者の勘というやつかもしれません」
真顔で冗談を返すその姿に、シモンもわずかに目を細める。
ヴァレリオは屋敷に迎え入れると、改めて向き直り、丁寧に頭を下げた。
「まずは……これまでの非礼をお詫び申し上げます。そして、お嬢様を助けていただき、誠にありがとうございます」
「礼ならいい。――爺さんが待ってるんだろう」
ヴァレリオは深く頷き、シモンを執務室へと案内した。
待っていたのは、アーデルシア家の前当主にして、この館の主――テラノス・アーデルシアである。
豪放磊落な老人は、変わらぬ朗らかな笑みで迎え入れた。
「よく来てくれた、シモン」
「ジュリアは?」
「ああ、部屋でぐっすり眠っておる。心配はいらん。捕らわれていた時の疲労と、急激な魔力消費……加えて魔血の作用もあったがな。命にも後遺症にも問題はない。若い身体には、睡眠こそ最良の薬じゃよ」
その言葉に、シモンはようやく肩の力を抜いた。
続けて、ジュリアが見せた魔法――《インファーナル・クリムゾン》について報告する。
「確かに俺は見た。今まで見てきたどの魔法よりも圧倒的だった。あれが“魔血”の力か」
「話を聞く限り、間違いないじゃろう。分からんことは多いが、とりあえず分かっていることで今後を考えるべきじゃな。魔力の生成に制御、それに精神の鍛錬も要る」
テラノスは腕を組み、静かに頷いて今後の指針を示す。
「……まあ、それは本人が目を覚ましてから相談することにしよう。説明も必要じゃしな」
「確かに……な。――じゃあ、二、三日したら、また来るよ」
ひとまず話は穏やかに収まった。
だが、そこでヴァレリオが一歩前に出て、深く頭を垂れる。
「お待ちください。わたくしから改めて申し上げます。今回の非礼に非礼を重ねた件、深く謝罪をさせて下さい。つきましては……何らかの処分を、この身に」
その言葉に、テラノスもすぐには口を開かず、静かに沈黙した。
本来、執事であるヴァレリオに処分を下すのは主であるテラノスの役目だ。
だが、ヴァレリオは視線を逸らさず、シモンを見つめている。
テラノスもまた、シモンの言葉を待っていた。
シモンはしばし黙考したのち、静かに口を開く。
「……気にするなよ。どうしてもと言うなら、これからもジュリアのために尽くしてくれ」
ヴァレリオは目を見開き、わずかに驚きを見せた。
やがて目を伏せ、ゆっくりと姿勢を正す。
「この老骨の生涯をかけ、お嬢様とアーデルシア家のために尽くします」
その肩はかすかに震えていた。だが、その声には揺るぎない力が宿っていた。
「大げさだな」
シモンが苦笑すると、テラノスは目を瞑り、口元を緩めた。
そして、満足げに椅子へ深く身を沈めた。
シモンがテラノス邸を出たとき、空はすでに白く明けていた。
遠ざかっていくその背を、ジュリアの部屋からミーナが静かに見送っていた。
「……行ってしまいましたね、お嬢様」
部屋にはお付きのメイド、ミーナが寄り添っている。
眠るジュリアの顔には、救われた安堵と、乗り越えた実感、そして守り抜けた充足が滲んでいた。
微かな寝息とともに胸を上下させながら、彼女はお気に入りの深紅のリボンを、そっと握りしめている。
静かに昇る朝日が石畳を照らす。
シモンはまぶしげに目を細め、誰もいない街路を歩き出した。
ようやく、昨日が終わり、また新しい今日が始まる。




