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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第十章 「許された涙」
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第45話 虚飾の毒と裁きの剣

 怒りに我を忘れたヴァイアンは、充血した瞳を見開き、獣のように地を蹴った。


 手にした柄へ力を込めると、魔力が弾け、銀光の刃が実体化する。

 魔力を凝縮した半実体の剣――《魔法剣》。

 刃は揺らめき、残光の粒子を夜気に散らしながら震えていた。それは魔に干渉し、魔術すら切り裂く力を持つ代物である。

 その刃を振るい、ヴァイアンはシモンへと迫った。殺意の塊が、空を裂く。


 だが、シモンは動じなかった。

 剣を片手で持ちながら身体を捻って受け、切っ先をずらし、力を殺す。

 受けるたびに足を運び、呼吸を整えていく。

(鋭く力強い……だが、感情に振り回され、意志がない。研鑽も足りない)

 冷静な観察の果てに、シモンの瞳が、わずかに細められた。


 次の瞬間、シモンが踏み込み、一転して攻勢へと転じる。

 袈裟斬りを下段で受け流し、踏み込みざまに逆袈裟を返す。

 たじろぐヴァイアンの右腕を狙って刃を滑らせ、さらに至近へ踏み込み、回転の勢いを乗せて水平斬。

 その斬撃がヴァイアンの袖を裂き、皮膚を削った。

 鮮血が衣を濡らす。


「くっ……!」


 さらに、左脚へ斜めに振り下ろされた一閃が、太ももに浅い傷を刻んだ。


「く、くっ……!」


 焦りとともに距離を取ったヴァイアン。

 その視線が刹那、シモンの姿を捉え、戦慄する。

 明らかに驚愕した表情だったが、シモンはそれに、何の感慨も抱かなかった。


 袖に走った裂傷から鮮血が滴り、脚の傷が動きを鈍らせる。

 ヴァイアンはシモンの殺気に押され、ジリジリと後退しながら、荒い息を吐いた。

 対照的に、シモンは一切の乱れを見せず、冷めた瞳でヴァイアンを見据えている。


「随分と出力の高い、良い魔法剣だな」


 シモンが淡々と告げる。

 死闘の最中であることを忘れるほど、その声には余裕すら滲んでいた。


「持ち主の技量を、上げてくれないのが難点か?」

「なっ……!」


 挑発の言葉に、ヴァイアンの顔がみるみる紅潮する。

 唇を噛みしめ、歯の隙間から、獣じみた唸りが漏れた。


「貴様ァ……その口、今すぐ裂いてやるッ!!」


 ヴァイアンは紫の瞳を血走らせ、刃を振りかぶり、激情のままに地を蹴った。

 上段に構えた刃が空気を切り裂き、脳天目掛けて勢いよく振り下ろされる。

 魔法剣の刀身から、銀色の残光が飛沫のように散った。


 だが、シモンは半身になってあっさりと躱し、返す刀で肩口に新たな傷を刻む。

 傷口を押さえたヴァイアンは、たまらず距離を取ると、憎悪の眼差しを向けた。

 シモンは敢えて追撃せず、見下した視線のまま、それを見送る。


「落ち着け……私はペイン・アセンダンツの導師、ヴァイアン・ヴェルゴ。この私が、あんな優男に後れを取るはずがない……!」


 低く抑えた声で、ヴァイアンは同じ言葉を繰り返していた。

 だが、荒くなった呼吸と、強く噛み締められた口元が、その声音とは裏腹の感情を雄弁に物語っている。

 シモンの目には、怒りが収まるどころか、さらに内側から燃え広がっていくように映った。


「よ、よろしい……ならば、こちらも“芸術”を披露しましょう!」


 ヴァイアンが指先を広げ、魔力を籠めて術式を走らせる。

 足元がぐらりと波打ち、瞬く間に泥へと変じた地面が、シモンの脚を絡め取った。


 ――マッド・グラスプ《泥沼拘束魔法》。

 続けざまに、指が弾かれる。


 轟、と風を巻いて砂塵が爆ぜ上がり、瞬く間に辺りを覆った。

 濃密な砂嵐が夜を閉ざし、光も影も呑み込んでいく。

 ――サンド・パルス《砂煙妨害魔法》。


「動けますかぁ? んん、動けないでしょう! 見えますかぁ? ええ、見えませんでしょうねぇ!」


 砂嵐の中、ヴァイアンの高笑いが響いた。

 だが――。


「……無駄だ」


 砂嵐をものともしない、低い声が返る。

 次の瞬間、視界の外から、疾風を纏った斬撃が奔った。

 ――飛燕ひえん

 風とともに放たれた斬閃が残光を引き、砂塵を裂いて奔る。

 それは真巽流の中距離斬撃技。

 剣に纏わせた気を飛ばし、使い手の技量を映す、応用の利く多彩な刃だ。


「くっ……!」


 慌てて飛び退くヴァイアン。

 刹那、頬をかすめた斬撃が礼拝堂の石壁を縦に裂き、破片が砂煙に混じって降り注いだ。


「ま、まだですのよォ!」


 ヴァイアンは地を強く踏み鳴らし、再び術式を走らせた。


 ――テラ・リフト《地盤形成魔法》。

 轟音とともに足元が隆起し、砕けた岩塊がいくつも空中へと弾き上げられる。

 ヴァイアンはその瓦礫を足場に、軽やかに飛び移りながら宙へと逃れ、マントを大きく翻す。

 仕込まれていた粉状の物質が撒き散らされ、月光を浴びて、無数の粒がきらめきながら降り注いだ。


 一見すれば、幻想的な銀の華吹雪。

 だが、シモンの脳裏には、ジュリアのリボンが浮かんでいた。

 ――攫われた現場に残されていた、あの粉末。

 どうやら同じ、あるいは同類の毒らしい。


(……やはり、毒か)

 わずかに口端を上げたが、すぐに表情を消す。

 シモンの眼差しは、すでに宙の敵を射抜いていた。


「飛燕・ひえん・つがい


 二連の斬閃が風を裂いて奔り、ヴァイアンへと殺到する。

 最初の一閃は辛うじてマントで弾かれるが、二の太刀が肩口を切り裂き、赤い飛沫を散らした。

 畳み掛けるように、さらに一手。


「飛燕・返し(ひえん・かえし)!」


 通り過ぎた斬撃が空中で弧を描き、死角から逆襲する。

 ヴァイアンは、ぎりぎりの身の捻りで直撃を避けたものの、風圧に煽られて体勢を大きく崩した。


「ま、まだァ……!」


 必死に高度を稼ごうとするヴァイアンへ、追い詰めるように次の斬撃が迫る。


「――飛燕・風切ひえん・かざきり!」


 大上段の構えから振り下ろされた、一際鋭い一閃。

 直進する閃刃は風鳴りを轟かせ、テラ・リフトで築いた足場を貫き砕いた。

 瓦礫が粉砕され、宙に逃げ場を失ったヴァイアンは、思わず顔を歪める。


「がッ……あ、ああああ……!」


 瓦礫が崩れ落ち、足場を失ったヴァイアンの身体が宙に放り出された。

 迫り来る地面に、彼は咄嗟に魔力を集中させ、衝撃を和らげながら転がるように着地する。

 黒衣は裂け、体勢も乱れていた。

 ――優雅さも、余裕も、もはや欠片すら残っていない。


 ヴァイアンは膝をつき、荒い息を吐きながら、顔を引き攣らせてシモンを見上げた。


「ま、待って……お願い、お待ちになって……!」


 その口から飛び出したのは、怒声でも罵倒でもなく――哀願だった。

 先ほどまでの高圧的な態度からは、想像もできないほどの、無様な命乞い。


「仕方なかったのです……教団に逆らえなくて……あの娘を攫ったのも、命じられたからで……ねぇ、分かるでしょう?」


 這いつくばり、地を掴みながら縋りつく。

 顔には哀れが滲み、声は掠れ、もはや虚勢を繕う余裕すらない。

 だが、それが単なる時間稼ぎであることを、シモンは見抜いていた。


 シモンは言葉を返さない。

 ただ剣を手に、一定の足取りで歩を進める。

 まるで、裁きの刃そのものが静かに迫るかのように――。


 沈黙に耐えきれなくなったヴァイアンは、手をついたまま後ずさり、逃げ出そうと身を翻した。

 だが、シモンは素早く腕を振り抜く。

 飛燕の斬閃が石床を抉り、左右の逃げ道を容赦なく断ち切った。

 ヴァイアンの足は止まり、崩れ落ちた身体から、冷たい汗が頬を伝う。


 ――だが、その瞬間。

 シモンの身体が、ふらりと揺らいだ。

 剣先がわずかに下がり、荒い呼吸が漏れる。


 その“揺れ”を、ヴァイアンは見逃さなかった。

 四つん這いの姿勢から、転がるように駆け出し、必死の形相を脱ぎ捨てて間合いを取る。


「フ、フフ……ようやく、ですわ」


 立ち上がったヴァイアンの顔に、先ほどの哀願は影もない。

 口元に浮かぶのは歪んだ嗤い。

 唇は恍惚に震え、紫の瞳は歓喜に濡れていた。


「気づいていませんでしたか? この空間は、今や私の毒で満たされているのですよ……ふふふ」


 マントを大仰に広げ、舞台俳優のような仕草で両腕を掲げる。

 ――あのテラ・リフトで宙に逃れた際、アース・ヴェノム《粉毒散布》を密かに撒き散らしていたのだ。


 なおも無言で歩を進めるシモン。

 だが、その歩幅は明らかに鈍っていた。

 足取りは重く、動きの切れも、わずかに衰えている。


「嘘つきでごめんなさいねぇ……でも、期待なんて、しちゃいましたか? お・ば・か・さん」


 陶酔に濡れた声が夜空に響く。

 紫の瞳には、嗜虐と歓喜の光が宿り、つい先ほどまでの焦燥は跡形もない。


「では――攻守交替と、参りましょうかァ!」


 ふと、ヴァイアンは自らの頬を、指でなぞった。

 そこには未だ、あの少女――ハルカの拳痕が、かすかな熱を宿して残っている。


「……あの娘のように接近されたら、危険。ええ、距離を取らねばなりませんわね」


 独白とともに、マントの内側へと手を滑り込ませる。

 指先から零れ落ちるように、幾本もの銀のナイフが掌へ収まった。

 奇術師さながらの手並みである。


 間を置かず、それらは次々と宙へ放たれた。

 反応が鈍っているはずのシモン――


 だが彼は、迫る刃をすべて弾き返す。

 剣閃の残光が空中に弧を描き、飛来するナイフを正確に逸らした。

 その一連の動作に、一切の淀みも、無駄もない。


 だが、それすら、ヴァイアンの愉悦を深めるだけだった。


「動けば動くほど、毒が巡る……!さぁ、お頑張りなさい!」


 高らかな声が夜空に木霊する。

 ついに、シモンの膝が地を叩いた。

 礼拝堂の石床に鈍い音が響く。


 荒く波打つ呼吸。

 肩が上下し、剣を支える腕に、わずかな震えが走っていた。

 その姿は、まるで毒に蝕まれ、今にも崩れ落ちようとしているかのようで――。


「そろそろ、よろしいでしょうか。――ええ、結構。あなたを“芸術”に仕立てて、差し上げますわ」


 勝利を確信したヴァイアンは、恍惚の面持ちで深く息を吸い込み、高らかに詠唱する。


「テルス・バインド《重圧拘束魔法》!」


 床が震動し、空気が鉛のように沈む。

 シモンを中心に、見えぬ力場が展開し、全身を押し潰すような重圧がのしかかった。

 骨が軋み、肺が締め付けられ、立ち上がることすら許されない。

 ――まるで、見えぬ巨人の両手が、彼を地へ縫いつけているかのようだった。


「さぁ、フィナ~レのお時間ですわ」


 ヴァイアンは陶酔の声を上げながら、《魔法剣》を両手で掲げる。

 切っ先が静かに宙へ浮かび上がり、月光を浴びて妖しく煌めいた。

 狙うは、ただひとつ――シモンの頭上。


 その鈍い光は、落下の瞬間を待ちわびるかのように、小刻みに震えている。


 そして――

 膝をついたままのシモンは、ただ重苦しい沈黙の中で、動かなかった。


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