第98話 三人の帰路
ワイアースの上にかかる秋の夜空は澄み渡り、星々は冷たい光を瞬かせていた。
城壁に取り付けられた魔工灯が、門前の石畳を円形に照らし出し、その外側はすぐに夜の闇へと溶けていく。
昼間の喧騒はとうに引き、今は行き交う人影もほとんどいない。
その門のすぐ脇、街道側に背を向けるようにして、シモンは腕を組んで立っていた。
壁にもたれていても警戒を怠らず、いつでも動き出せるような、半ば癖のような立ち姿である。
門の内外を見張っていた顔なじみの兵士が、それに気づいて声をかけてきた。
「おいシモン、こんな時間に帰ってくるなんて珍しいな。街に入らないのか?」
「ん?」
シモンは軽く首だけを動かし、兵士の方へと振り向いた。いつもの緩んだ笑みを浮かべようとして、しかし、わずかにそれを抑える。
「そろそろ教え子が帰ってくる頃なんでな。……まあ、お出迎えってやつだ」
兵士は目を瞬かせ、それから呆れたように笑った。
「優しいと言うか、甘いと言うか……お前、意外と過保護だよな」
「……過保護か?」
思いもよらぬ単語に、シモンは少しばかり意外そうに眉を上げた。
兵士は槍の石突で軽く地面を突きながら、にやにやと笑みを深める。
「そうさ。わざわざ外で待つ必要なんかないだろ? ギルドで待っててもいいんじゃないか」
シモンはその言葉を聞きながら、視線だけを街道の先へと向けた。
門から伸びる街道は、魔工灯の明かりが届くあたりで闇に飲まれ、そこから先は月明かりに頼るほかない。
(確かにギルドで待っていても問題はないが……)
街道から街に戻る途中、二人の姿はすでに見つけていた。
足取りこそ重いものの、互いに肩を貸し合いながら、たどたどしくも確かな歩みでこちらへ向かってくる様子を。
街まであと少し、というところで、シモンは気配を殺して先回りしたのだ。
自分がここで立っていることを、彼女たちはまだ知らない。
「過保護ねぇ……」
思わず漏れた独り言に、自分で自分の胸の内を探るような気分になる。
(今日は特別な敵との激闘だったからな。特別だ。……俺は過保護じゃないよな? うん)
そう心の中で念を押すようにして、シモンはわざとらしく一度うなずいた。
兵士が怪訝そうにこちらを見たが、あえて何も説明はしない。
冷えた夜風が城壁の上から吹き抜け、頬を撫でる。
やがて兵士が、街道の闇を指差して言った。
「ん? あれじゃないか?」
「……そうみたいだな」
街道の先、闇の中に二つの人影が揺れている。
魔工灯の光の輪に近づくにつれ、その輪郭がはっきりと浮かび上がってくるのが分かった。
シモンは兵士に言われる前から気づいていたが、気づいてないふりをして、とぼけて見せると、ゆっくりと目を細めた。
「教え子ってのは、あの二人か?」
「……ああ」
肩をすくめてみせるが、胸の内では二人の足取りを一歩ごとに数えるような気分だった。
じりじりと近づいてくる影を、シモンはまばたきも惜しむように見つめた。
しかし――。
「……」
シモンは待った……待った……が、待ちきれなかった。
次の瞬間、シモンは駆けだしていた。
「お、おいシモン!」
背後から兵士の驚いた声が飛ぶが、聞き流す。
石畳を蹴る足音が、夜の静けさを破った。
街道側からの光に照らされ、二人の様子がはっきりと見える。
ハルカは息を切らしながらも自力で歩いており、その肩にはぐったりとしたジュリアが体重を預けていた。
ジュリアの顔色は悪く、薄く汗に濡れた髪が頬に貼りついている。
「二人とも、大丈夫か?」
距離を詰めながら声をかけると、ハルカがはっとしたように顔を上げた。
「シモン様。……こんなところで、どうして?」
その問いに答える前に、シモンは自然とジュリアの様子を確かめる。
意識はあるようで、うつろな瞳がこちらを捉えているが、足元はおぼつかず、ほとんどハルカ一人の支えで立っているような状態だ。
「二人の帰りが遅かったからな。……とりあえず、二人ともこれを」
シモンは腰のベルトから小瓶を二本取り出した。
淡い光を宿した液体が、魔工灯の下でかすかに揺らめく。
「ヒール・ポーション……ありがとうございます」
ハルカは深く頭を下げ、蓋を手際よく開けてジュリアに渡した。
手に残った小瓶をハルカが軽く掲げると、ジュリアも真似をして小瓶を持ち上げ、かちりと軽い音を立てて当て合う。
ふたりはポーションを飲み終えると、顔を見合わせて小さく笑いあった。
その仕草が、妙に楽しげで、妙に「仲間らしい」ものに見えて、シモンの胸の内にじんわりと温かいものが広がった。
(……帰ってきたな)
ハルカの頬の赤みは少し引き、呼吸も幾分か落ち着いたように見える。
足取りも、先ほどよりはしっかりしている。
一方のジュリアは、顔色こそだいぶ良くなったものの、まだ足元がふらついていた。
立っているのも辛そうで、ハルカの肩から完全に体重を離すことができていない。
「よし」
シモンは短く息を吐くと、ジュリアの前に回り込んで背を向け、その場にしゃがみ込んだ。
「え?」
「乗れ。門まではすぐだが、無理して倒れられても困る」
不意を突かれたジュリアは、ハルカの肩から体を離しかけて、あわてて言葉を返した。
「い、いいわよ。一人で歩けるわ」
その言葉と同時に一歩踏み出したジュリアの足が、石畳の上でぐらりと揺れた。
油断か、疲労か、あるいはその両方か。
ハルカが慌てて支える。
「ジュリア……こんな時ぐらい、素直になったほうが良いですよ」
ハルカの声は、責めるというより、柔らかく諭すような響きだった。
シモンは背中越しにそのやり取りを聞きながら、ふと気づく。
ハルカの口調はいつもの敬語のままだが、その呼び方は、もはや「ジュリア様」ではなく、ただの「ジュリア」だ。
(……変わったな)
その変化に気づきながらも、シモンはあえて何も言わない。
二人が自分の口から話してくれるまで、余計な口出しはしないと決めていた。
「おんぶがお気に召さないなら、お姫様抱っこのほうが良いか?」
わざと軽口めかしてそう言うと、背後から空気の震える気配が伝わってきた。
「や、やめてよ。……わかったわ」
ジュリアは観念したように小さくため息をつき、それから渋々といった様子で、そっとシモンの背中に身を預けた。
肩越しに伝わる体温が、思ったよりも軽くて、それがまた彼女の消耗の深さを物語っているようだった。
シモンはジュリアの膝の裏に手を回して支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「言っておくけど、変なこと考えたら許さないわよ」
背中越しに吐き出された警告に、シモンは思わず盛大なため息をついた。
「はぁ……考えるわけないだろ」
まったく、と肩をすくめながらも、足取りは自然と穏やかなものになる。
城門へ戻る道は、さほど長くない。
ジュリアを背負ったシモンの隣を、ハルカが歩く。
ポーションのおかげで、彼女の足取りはだいぶしっかりしていた。
「そう言えば……」
しばらく沈黙が続いた後、ハルカが何かを思い出したように口を開いた。
「私を背負った時は、『役得』って言ってたような」
「っ!」
シモンはぎょっとして足を止めそうになり、寸前で踏みとどまった。
背中のジュリアが、その一言に反応してガバッと上体を起こすのが分かる。
「ちょ、ちょっと、変なこと考えたら許さないって言ったわよ」
耳元で響くジュリアの声は、怒っているというより、半分以上は照れに染まっている。
「お、お前なら大丈夫だ」
慌てて口をついて出た言葉に、シモン自身が「あ、やらかした」と悟るのと、ジュリアの声が一段階高くなるのは同時だった。
「それってどういう意味よ」
背中越しに、真っ赤になったであろうジュリアの気配が伝わってくる。
次の瞬間、首元に柔らかな腕が回されたかと思うと、ぐいぐいと締め付けられた。
「や、やめろぉぉ……っ!」
シモンの悲鳴が、澄んだ秋の夜空へと突き抜ける。
門番の兵士が呆れ顔でこちらを見ているのが視界の端に映った。
(……無事に帰ってきたんだから、これくらいは、まあ、いいか)
首を締め上げられながらも、シモンの胸の内は、不思議と軽かった。
――今日の討伐依頼について詳しく聞けたのは、それからギルドで任務達成の報告を終えた後のことだった。
受付のカウンター脇、いつものテーブル席に三人で腰を下ろした。
リリーが気を利かせて、温かい紅茶を運んできてくれた。
その湯気を眺めながら、ようやく三人は一息つく。
さっきまでの賑やかなやり取りが嘘のように、今のギルドは、遅い時間帯特有の落ち着いた空気に包まれていた。
ジュリアは、しきりにハルカの奮闘を称賛した。
自分の失敗や足りなかったところを隠すでもなく、むしろ笑い飛ばすように話しながら、その横で戦い抜いた仲間のことを、まるで自分の自慢話のように誇らしげに語る。
シモンはそれを黙って聞きながら、カップの中身を一口、また一口と口に運んだ。
「魔血覚醒」についての話は――その長い報告の中では、ほんの「おまけ」のように添えられた程度だった。
(そういう順番で語れるようになったんだな……)
シモンは、誰にも気づかれないように、静かに口元を緩めた。
二人の笑い声が、夜のギルドに優しく溶けていく。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
それぞれの戦いを終え、ようやく三人で帰ることのできたシモン、ジュリア、ハルカ。
少しずつ変わっていく三人の距離感や、久しぶりの賑やかなやり取りをどう思いましたか?
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