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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第十一章 「師匠のお仕事」
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第97話 決意の天秤

 決意を固めた瞬間、胸の奥で何かが「カチリ」と音を立てて噛み合った気がした。

 教え子に危険が及ぶ可能性がある以上、戯れに付き合うつもりはない――シモンは静かにそう定める。


 足元の土をひと踏みし、肺に冷えた夜気を満たすと、短く息を吐いた。


「――ソニック・ステップ《瞬間加速魔法》」


 ささやくような詠唱と同時に、世界が一瞬、色を失った。

 視界の端で木々が線となり、足裏と地面の摩擦が消える。

 自分の身体だけが、風より速く前へと打ち出されていた。


 踏み出した足が土を捉えるより早く、白影の黒装束が目前へ迫った。

 懐へ飛び込むまでの距離は、ほとんど「ゼロ」へと圧縮される。

(――殺す)

 白影の忍刀が反射的に跳ねた気配を、感覚で捉える。


 首を狙った一閃は紙一重で躱された――だが、完全には逃がさない。

 刃が、白影の首筋から耳殻の付け根を切り裂いた。

 黒布の隙間から白い肌がのぞき、そこへ紅い線が走る。

 遅れて、温い血が弾け、夜気に鉄の匂いが混ざった。


「……っ」


 白影の表情が苦痛に歪む。

 歯噛みする音さえ聞こえた気がしたが、シモンは一切の興味を示さなかった。

 移動の気配、体重の乗せ方、足の置き場――態勢が整っていないことだけを冷静に観察する。


(……仕留める!)

 シモンは剣をくるりと翻し、踏み込みと同時に呼吸を切り替えた。


「――《桜颪(さくらおろし)》」


 地を蹴った瞬間、上体がわずかに後ろへ引かれ、次の瞬間――春の花嵐の如く、幾重もの斬撃が白影へと押し寄せた。


 乱撃でありながら、刃は全て急所だけを狙っていた。

 喉、こめかみ、鎖骨、腋の下、手首、股関節――

 舞うように軽やかな足裁きと、流麗な剣筋。

 だが、その一撃一撃には、標的を殺すためだけに研ぎ澄まされた殺意が宿っていた。


 白影の忍刀が、火花を散らしながらそれを受け止める。

 受け損ねれば、即死。

 受け止めても、衝撃だけで骨や筋が悲鳴を上げる。


 白影とすれば守るしかない。

 だが守れば守るほど足が止まり、逃げ場は削られ、確実に追い込まれていく。


 呼吸が乱れ、白影の肩が上下に揺れ始める。

 シモンの剣圧に押され、徐々に防ぎきれなくなってきた。

(急所だけを守り切るつもりか……ならば!)

 桜が吹き下ろすような連撃を一つ打ち切り、シモンはすっと身を引いた。


 白影は命からがら、後方へ跳ぶ。

 地面を蹴り、転がるように着地した。

 黒装束のあちこちが裂け、露出した肌には細かい切り傷がいく筋も走っている。

 袖口からは赤がじわりと滲み出し、指先まで染めようとしていた。


 それでもまだ、生きている。

 まだ意識は落ちていない。


 シモンは一歩だけ前へ出て、剣を八相の構えに据えた。

 逃すつもりはさらさらない。


「撃ち貫く」


 低くつぶやいた瞬間、白影の足が動き出す気配が走る。

 その予兆を逃さず、シモンは刀身へ意識を集中させた。


 丹田から立ち上る精《ジン》を、細く、鋭く、ただ一点へと絞り込んでいく。

 左足を前へ送り、右肩の高さで剣を引いたまま、精を刃へと通す。

 体内を巡る精が刀身へ流れ込み、シモンは剣とひとつに溶け合った。


 次の瞬間、彼はふっと力を抜くように上段をほどき、左手だけを白影へ向けて差し出した。

 右手の剣は肩口から倒れるように傾き、切っ先が白影の心臓を捉えたままぴたりと止まる。

 刃は立たず、剣は“寝かせた”姿勢へと変わり、攻撃の気配は完全に消えていた。


 だがシモンの足元には、踏み込みのための重心が深く沈んでいる。

 右手は微動だにせず、刀身は放たれる矢のように静止し、限界まで鋭さを尖らせていった。


「――《飛燕・穿牙(せんが)》」


 言葉と同時に、待ちわびた一瞬が訪れる。

 凝縮した殺気が閃光のように爆ぜ、寝かせていた剣が地を滑る燕のように加速した。

 風切り音すら遅れて追いかけるほどの速度で、一直線の軌跡が白影へ伸びる。


 その一点を穿つためだけに放たれた――《飛燕・穿牙》。

 剣先から放たれたのは、貫手ほどの細い閃光。

 燕が地面すれすれを掠め飛ぶような高速の軌跡が、白影の心臓を目掛けて飛び立った。


「っ――が、ぁ……!」


 鈍い音がして、白影の身体が反り返った。

 僅かに体をひねり、心臓だけは守った形だ。


 左肩の布地が内側から弾け飛び、血が噴き上がる。

 閃光は肉だけでなく、肩の関節をも穿ち、貫通していった。

 白影の左腕が、糸の切れた操り人形のように力を失う。


 武器を握る右手はかろうじて生きているが――もはや攻めの選択肢は少ない。

(左肩。これで、踏み込んでの強打も封じた。だが、手は緩めない)

 シモンは淡々と状況を整理する。


 猶予は僅かに残されている。

 だが、それが長くは続かないことも分かっていた――


 血を押さえる暇もなく、白影は背後の木々へと身を滑らせた。

 幹と幹の死角を縫い、闇に溶けるように姿を隠す。

 土の匂いと樹皮のささくれの気配が、彼の気配と混ざり合い、認識しがたくなる。


 追う側の目をごまかすには、悪くない退路――だが、相手が悪かった。

(それで隠れたつもりか――)

 シモンは片眉をわずかに動かしただけで、すぐに感情を消した。


 剣を横一文字に振る。

 風が鳴り、飛ぶ斬撃が放たれる。

 白影の姿が見えない、まさにその空間へ向けて。


「――《飛燕・返し(かえし)》」


 放たれた斬撃は、虚空へと一直線に飛翔した。

 木立ちの奥へと抜けるかに見えたその瞬間、斬撃の軌道が、ありえない角度で折れ曲がる。

 直角を描いて反転した斬撃は、まるで吸い込まれるように白影を捉えた。

 

「っ――ぐぅぅっ――」


 声が終わるより早く、肉を裂く音が響いた。

 木の陰から吹き出すように、紅い筋が夜気へと散る。

 気まぐれな燕は、白影の脇腹を斜めに切り裂いていた。

 黒装束が深く裂け、その下の肌が、冷たい空気と血で濡れる。


 白影は片膝を折り、それでも倒れまいと地面に手を突く。

 指先が土を抉り、爪の間に砂が入り込む。呼吸は荒い。


 だが忍びの矜持か、双眸はシモンを捉えて離さない。

 不完全ながらも無表情を保ったままだ。


(流石忍者。しぶとい)

 それでも……とシモンは思う。

 ここまで削られてなお、まだ完全には崩れていない。

 この忍者は、やはり脅威として計算しておくべき存在だ。


 だからこそ――ここで、落とす。

 躊躇う気持ちは一切ない。

 音を殺し、無駄なく距離を詰めた。


 白影が動こうとした瞬間、シモンは既に目の前にいた。

 振り上げた剣は、殺意を包み隠そうともしない。

 刃は首筋から胸骨へと到達する軌道を描いていた。


 迷いはない。

 ここでこの男を殺す。

 それだけだ。


 ――その時だった。

 地面が、低く唸った。

 重い何かが土を蹴る振動が、足裏から脊髄へと駆け上がってくる。


「うがぁぁぁぁぁぁ!!!」


 咆哮が、空気を震わせた。

 さっきまで地面に転がっていたはずのダムドが、巨体を揺らして突進してくる。

 胸に深い傷を負いながらも、両腕だけは頭部を庇うように固く組み合わせ、真正面からシモンへとぶつかってきた。


(……もう動けるのか)

 シモンは剣の軌道を、咄嗟に変えた。

 振り下ろしていた刃を、ダムドの突進の中心へと叩きつける。


 ダムドのリストガードが砕け、重い破砕音が鳴り響いた。

 衝撃を受け止めたダムドは横へと弾き飛ばされた。

 同時に、衝撃を逃がすために、シモンも後方へ飛び退いた。

 土を滑るように着地しながら、舌打ちを漏らした。


「チッ……時間切れか」


 目の前で転がるダムドの胸はまだ上下を繰り返し、塞がりかけていた傷が再び開き始めていた。

 完全に仕留め損ねた。

 白影も、重症こそ負わせたが、まだ死んではいない。


 しかし、だからといって取り乱す理由にはならない。

 思い描いていた「決着の形」からは、わずかに外れたに過ぎない。


 シモンはすぐさま目的を再設定した。

(一人が二人になったなら――)

 視線が、ダムドと白影の間を素早く往復する。

(――まとめて殺るだけだ)

 戦意は、いや……殺意は、少しも衰えていなかった。

 むしろ、消費した時間の分だけ、冷たさが増している。


 白影が、ふらつきながら立ち上がる。

 忍装束の隙間から覗く肌は、もはや血と土で汚れきっていた。


 首から耳にかけての傷は乾ききらず、鮮やかな血の滴が顎を伝って落ち続けている。

 左肩は《飛燕・穿牙》に貫かれ、関節の周囲が不自然に膨らみ、腫れ上がっていた。

 脇腹の傷は深く、裂け目から破れた布の向こうに、白い肌と赤黒い血が入り混じった色が覗いている。


 動くたびに、その切り口がわずかに開閉し、血がにじむ。

 それでも、白影の瞳の奥には、まだ消えぬ光が宿っていた。


「……退くぞ」


 押し殺した声で、そう告げる。

 隣で息を荒げているダムドが、体を起こし、胸の傷を気にしながら白影を見やった。


「……良いのかよ」


 まだやれる、と言いたげな顔だ。

 白影は、シモンから目を離さぬまま、小さく頷いた。


 ダムドと白影が、じりじりと後退を始める。

 焦りの気配など欠片も見せない。

 慎重でありながら、堂々とした退き方だったが――シモンにとっては、敵が距離を取ろうとしているという事実だけで十分だ。


「……逃げられると思っているのか?」


 底冷えするような声が、夜の森に落ちた。

 白影の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

 血で汚れた唇が、僅かに吊り上がった。


「我らが二人だけだと思うのか?」


 シモンは目を細めた。

(……はったりだ)

 理屈では、そう結論づけられる。


 だが同時に、別の計算も頭の中で進んでいた。

(はったり――だが、賭ける価値はない)


 ここでなお追撃し、もし本当に「二人以外」が潜んでいたとしたら? ジュリアたちを付け狙う別の敵がいたら?

 自分一人なら、どうとでもなる。

 多少の傷を負おうが、押し通すことは出来る。


 だが――ジュリアとハルカは……。

 シモンは、静かに優先順位を確認した。


 目の前の二人をここで仕留めること。

 教え子たちを、確実に守ること。

 天秤にかけるまでもない。


 殺意をいったん、胸に納める。

 代わりに、冷たい計算だけを残した。


 張り詰めた空気の中、両者の間の距離が、少しずつ、しかし着実に開いていく。

 やがて、白影たちの気配が、闇の中へと溶けていった。


 シモンは、最後まで追わなかった。

 追い払っただけだ――そんな生温い言葉は、自分に向けるつもりもない。

 ただ、今回はそういう手札を切ったというだけの話だ。


「……」


 短く一息だけつく。

 それは、休息というよりも、気持ちを切り替えるスイッチに過ぎない。

 シモンは剣を納め、一度だけ肩を回した。


 そして、風を追い越した。

 ――教え子たちが向かうワイアースへ、一気に駆け出す。

 足元を掠める枝葉は、シモンに煽られ宙を舞う。


 背後には、局所的な台風と冬の嵐に晒されたかのような、無残な木々だけが残された。

 斬撃に裂かれ、風に叩き折られた幹。

 削がれた枝葉が、ひゅうひゅうと寒々しい音を立てる。

 その破壊の痕跡こそが――この場に「何」が存在していたのかを、雄弁に物語っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


白影を追い詰めながらも、最後には教え子たちの安全を優先したシモン。

敵を仕留めることと二人を守ること――迷わず後者を選んだ彼の判断を、どう思いましたか?

印象に残った技や場面、台詞があれば、ぜひコメントで教えてください。


★評価やブックマークで応援いただけると、とても励みになります。


いただいたご感想は、今後の執筆の参考として大切に読ませていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

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