第96話 風の斬撃と忍の氷撃
シモンと白影が対峙してから、どれほどの時間が流れただろうか。
互いに一歩も動かず、ただ構えだけを維持したまま、微動だにしない。
風が木々を揺らすざわめきだけが耳に届く。
呼吸の音すら聞こえず、ただ濃密な殺気だけが辺りを満たしていた。
張り詰めた空気に耐えかねたのか、枝に止まっていた野鳥がひとつ、鋭く鳴いて飛び立った。
その瞬間が合図となり、二人は同時に地を蹴った。
先に攻勢へ出たのはシモンだった。
八咫の刀を用いた長剣が、上段から大きく振り下ろされ、空気を裂いて鋭い三日月を描く。
白影は左足を半歩引き、重心を後ろへ滑らせつつ上体をひねり、忍刀を斜めに構えて斬撃の角度を殺すように受け流した。
刃と刃が短く鳴る。
シモンと白影。
奇しくもスピードと手数が武器の同タイプ。
風を切り裂き、無数の火花を散らせ、決して常人の目には止まらない刃の応酬は、若干ながらシモンが上回った。
剣圧で押し切ったシモンは止まらない。
右手の力を抜いて手首を返すと、柄を左手に持ち替え、その勢いのまま横薙ぎへと移行する。
長剣の切っ先は白影の腰元を薙ぎ払う軌道で走った。
白影はのけ反るように上体を反らし、足裏で地面を滑るように後退してかわす。
触れたのは忍装束の布一枚――切っ先が布をかすめ、わずかな繊維が宙に舞った。
(紙一重で避けるか……やはり只者じゃないな)
白影は余計な力みも動揺もを見せず、肩の力を抜き、自然体のまま低い構えを取っていた。
両足の幅は狭い。
いつでも懐へ滑り込める距離と角度を計っているのが分かる。
シモンは逆に、敢えて半歩前へ踏み込み、間合いを詰めた。
踏み込みと同時、長剣の切っ先が一直線に走り、白影の顔面へ向けて角度の異なる二連の突きを繰り出す。
初撃を避けたところに次撃が刺さるように組み上げられていた。
白影はそれに対し、首だけをほんのわずかにひねるだけで回避した。
肩も腰も動かさない。
突きが頬をかすめる距離で通過する。
そのまま前足を滑らせるように踏み込み、腰を沈め、上体を僅かに前に倒し、懐へ潜るための最速の構えだ。
シモンは、先に打った二撃で動きを誘導していた。
白影が踏み込む“瞬間”を待つ。
(来る……)
そして――その刹那に、本命の三撃目を腹部へ向けて放つ。
白影の動きが一瞬だけ硬直した。
一瞬の判断で前方への進路を捨て、前傾姿勢のまま横へ飛ぶ選択に切り替えた。
足裏で地を強く蹴るのではなく、上体を地面に突っ込ませるような動きで右方向へ躱し、突きから逃れようとした。
だが――完全には躱しきれなかった。
シモンの突きが白影の脇腹を浅く抉り、忍装束の上から皮膚を裂いた。
跳ねるように赤い飛沫が散り、長剣の刀身に沿って鮮血が薄く走った。
(……浅いな)
白影は即座に立て直し、その瞳から動揺は感じ取れない。
シモンは剣についた血を払うと、再び隙のない中段に構えた。
間合いを嫌った白影は、仕切り直しとばかりに、大きく後方へ跳躍し距離を取った。
着地と同時に左右へ細かく揺れ、緩急のついた不規則な動きで間合いへ戻ろうとしてくる。
だがその軌道は、シモンの眼にはおおよそ読めていた。
「懐に入りたいか……させるかよ」
白影が角度を変えて踏み込む素振りを見せるたびに、シモンは構えを変え、切っ先をずらし、剣を振ることなく進路を潰し、距離を一定に保つ。
その冷静で確実な封じに、白影はふっと足を止める。
次の瞬間、再び大きく間合いを外すと、忍刀を腰の後ろへ静かに納めた。
とたんに、両手を胸の前に合わせ、滑らかな動きで印が結ばれる。
「……氷霞」
白影の足元から冷気が立ち昇り、瞬く間に霜が辺りを白く染め上げる。
凍えるような気配が、肌を刺すように広がっていく。
(魔法……いや、忍術か)
シモンは目と気配で白影を追う。
白く染まる視界の中、居場所を示す気配はあまりに淡い。
白影が続けて印を組んだ。
「……氷刃」
突き出された指先から、細く鋭い氷の礫が放たれた。
高速で放たれたそれを、シモンは長剣で叩き落とす。
連射。
さらに連射。
射撃速度が二連、三連、四連と段階的に加速していく。
氷片は次々と唸りを上げ、シモン目がけて飛来した。
だが――
シモンはすべてを弾いた。
反射神経は並外れ、剣の軌跡は一分の狂いもない。
その時ふと、白影が笑ったように見えた。
白影の表情は長布に覆われて見えないはずだった。
しかし、そのわずかな仕草の機微から、シモンには確かに“笑った”と感じ取れた。
(やれやれ……何が面白いか分からんが、面倒なタイプだな)
白影が両手構えになり、円を描くように走る。
地面を滑るように移動し、緩急のついた動きで攪乱してくる。
氷の礫は横から、斜め上から、背後からと、次々に死角を突いて飛来する。
シモンは剣で弾き、時には身体をひねり、なんとか躱し続けるが、ついに肩や頬をかすめたものだけが浅く傷を刻んだ。
気づけば、刀身に薄氷がびっしりと張り付いていた。
冷気が肺にも入り込み、呼吸のたび痛みが走る。
「……やってくれるな。だったら、こっちも一つ見せてやる」
追い詰められているはずのシモンだったが、その口元は不敵に吊り上がった。
シモンは丹田に意識を集中させると、自身の精を活性化させ、体中に精を巡らせた。
剣を握る手に余計な力を抜き、刃を自身の腕の延長として意識に溶かし込む。
すると刀身が淡い緑色のオーラを纏い、一振りすると、凍り付いた刃の氷が一気に砕け散った。
さらに頭上へ剣を掲げると、刀身は風そのものを孕み始める。
振り下ろした瞬間、暴風が巻き起こり、白い冷気の幕を一掃した。
白影の目がわずかに見開かれる。
しかし驚愕は一瞬だけ。
すぐに無表情へと戻り、再び氷刃を連射してきた。
「この距離はお前だけのものじゃないんだぜ」
シモンは足を止め、腰を落とした。
「――真巽流剣術《飛燕・群翔》」
乱撃が空気を切り裂き、飛ぶ斬撃となって白影へ襲いかかる。
氷の礫と斬撃が空中で激突し、拮抗した。
「うぉぉぉぉぉっ!」
「…………くっ!」
押し切ったのはシモンだった。
白影は数発の斬撃を受け、後退する。
そのうちの一つが長布を切り裂き、白影の素顔を露わにした。
シモンより少し若いだろうか。
八咫の民であることは間違いなく、端正な顔立ちをしている。
無表情のまま、揺らぎのない瞳だけがシモンを見据えていた。
(……なるほど、こいつは厄介だ。実力は拮抗してる。強引にいけばカウンターがあるかもしれない)
シモンは考えを切り替える。
(奴の狙いはジュリア……なら、俺がすべきは時間稼ぎだ)
「なかなかの二枚目じゃないか。顔が傷つくのが怖ければ、逃げてもいいんだぜ」
粗暴なダムドとは違い、白影のようなタイプは挑発すれば慎重さを増す。
シモンは敢えてそう仕向けた。
だが――その読みは裏切られる。
白影は構えを解き、道具袋から小瓶を取り出すと、躊躇なく明後日の方向に放り投げた。
いや、その方向には明確な目的があった。
小瓶は仰向けに倒れていたダムドの体に当たり、蓋が外れ中身が吸い込まれるように染み込んでいく。
「ヒール・ポーション……!」
みるみるうちに、ダムドの傷が塞がっていった。
(やられた……!)
油断ではない。
だが、シモン優位に戦況が進んだせいで、ほんの僅かに隙が生まれてしまった。
状況は一変した。
ダムドが復帰した場合を瞬間的に想定した。
自分が白影に釘付けになれば、ダムドはジュリアたちを追うかもしれない。
(今のジュリアたちじゃ、ダムドには勝てない……逃げ切れもしない)
ダムドを先に斬る……?
(いや、白影相手に隙を作るのは致命的だ)
ジュリアたちと合流する……?
(二人がかりで来られたら守り切れない)
残された選択肢はひとつ。
(――白影を、先に仕留める)
時間稼ぎを試みたつもりが、今は時間そのものに追われている。
皮肉以外の何物でもない状況だった。
「怖ければ逃げてもいいんだぞ」
寡黙だった白影が、さきほどの挑発をそのまま返してきた。
(……頭のキレる奴はこれだからタチが悪い)
ダムドが復帰するまで、猶予はどれほどか。
いつ訪れるか分からない、その短い刻の中で、白影を倒す。
シモンは、静かに呼吸を整えた。
(殺るしかないなら――殺るだけだ)
決意が剣先に宿り、風が再び静かにざわめいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
氷の忍術を操り、シモンと互角に渡り合った“白影”。
寡黙ながら最後には挑発まで返してきた彼を、皆さまはどう思いましたか?
白影への第一印象やお気に入りの攻防があれば、ぜひコメントで教えてください。
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