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「セシリアはこう望んだ。『王家の宝珠』が砕けたとき、然るべき手段でアデレード・ラヴィンを助けてほしい、とね」
ひび割れ、半分に砕けた緑の宝石。宝珠と呼ばれているわりに材質は脆く、まるで最初から砕くことを目的としたかのような繊細さだった。
トランクに括り付けられていたそれを凝視したアデレードは、ゆったりと前を歩く黒い背中に視線を移す。
「事情を話してないから君はとても混乱するだろうけど、気にせず連れ出せだってさ」
「……では何故、私の望みを聞いてくださったのですか?」
「君が望んだから」
あっけらかんとした答えが寄越され、閉口してしまった。
少し、いや、かなり居心地が悪かったのだ。アデレードは自分の望みを口にするのが昔から苦手だった。強いられて言葉にしたとしても、それは後回しにされて当然で、自分自身も叶える必要性を感じないような上辺だけのものばかり。
今だって、アデレードは本心から会場の様子を知りたいわけではなかった。ただ、この魔女の素性をセシリアの口から語ってもらうことで、自分の行く末を僅かながら想像できればと──そんな拙い時間稼ぎのためだけに言い出したことなのだから。
魔女は、その取るに足らない望みを叶えると言った。それがひどくアデレードの不安を刺激したことなど、彼女は知りもしないだろう。
「ここが良いかな?」
会場の二階へと続く外階段を上り、バルコニーの扉をひょいと開く。橙色の光が溢れ出し、その眩しさに目を眇めていれば、魔女が笑顔でこちらを振り返っていた。
「ほら、下にセシリアがいるよ」
扉を背で押さえながら、魔女が中へ入るよう促す。アデレードは小さく頷き、小走りに扉をくぐったが。
「──こちらが現場で発見された、アデレード・ラヴィンの香水瓶です! 殿下の侍女に毒を盛ったのは、彼女で間違いありません!」
目に飛び込んできたのは、見覚えのある香水瓶を掲げ、声を張り上げる貴族の姿だった。
「……え……?」
アデレードが掠れた声を漏らす傍ら、同じように欄干に凭れ掛かった魔女がのんびりと階下を窺う。
「そっちじゃないよ、セシリアはあっち」
やんわりと頬を押されて鼻先の向きを変えたなら、なるほど確かにセシリアがいる。近衛騎士を伴った王女は、騒がしい貴族を冷ややかに睥睨しており、口を開く兆しはない。
その態度を肯定と取ったのか、貴族は香水瓶を強調するように振りながら熱弁を続ける。
「王女殿下、ご存じでしたか? アデレード・ラヴィンは殿下と公子の間柄を訝しみ、悋気を起こしては妹君に八つ当たりをしていたのですよ? ゆえに今宵、貴女様を毒殺しようと企てたとしても、何ら不思議ではありません!」
「ああ、そうでございます。あの子はいつもキャンディスにつらく当たっておりました」
デタラメな訴えに同調したのは、子爵家の当主──アデレードとは何の血の繋がりもない父親だ。
彼は憔悴しきった顔でキャンディスの肩を抱き、王女の前に崩れ落ちる。床に額を擦りつけるような姿勢で、子爵は涙声で告げたのだった。
「申し開きのしようもございません……! 恐れ多くも公子様の婚約者となったばかりに、あの子は毎日贅沢三昧で……先妻を早くに亡くしたからと、私が甘やかしたせいでございます」
何を──彼らは何を言っているのかと、アデレードは怒りや悲しみを通り越して呆然としていた。
王女の前で嘘を垂れ流す子爵、その隣で白々しく泣き咽ぶ義妹。問題児を抱えてきた子爵家へ同情の眼差しを注ぐ貴族たち。何もかもが受け入れがたく、吐き気を催す光景がそこに広がっていた。
混乱のあまり口を覆ってしまえば、魔女がおもむろにセシリアの後方を指差す。そこには人集りが出来ており、医師とおぼしき男がメイドたちに忙しなく指示を出しているところだった。
「あそこで倒れてるのがセシリアの侍女だよ。死んでないと思うけど」
「ご無事なのですかっ!?」
思わず魔女の手を掴んで問えば、朝焼けの瞳がきょとんと瞬いて、やわらかく笑う。
「うん。毒を盛られるのは知ってたからね」
「知ってた……?」
「ああ、うん、何だっけ。前々から、貴族派の子たちがセシリアを殺そうとしてたみたいだよ。今夜が暗殺の決行日で……」
魔女は触れた手を戯れに握り返しては、絶句するアデレードを指差した。
「彼らは君を犯人にするつもりだったんだって」
「な……」
「セシリアはそれを防ぐために、君を内密に隠すことにしたんだ。でも暗殺自体は使えそうだから、侍女が身代わりになるって。そんな感じの話をしてたかな?」
何がそんなに楽しいのか、魔女はへらへらと王女の計画を話し、アデレードの青褪めた顔に気付いては「大丈夫かい?」と呑気に尋ねる。
「国のあれこれについてはよく知らないけど、とりあえず──君は王女の暗殺計画に巻き込まれていたみたいだね」
魔女のざっくばらんとした説明を聞いて、心臓が反発するかのように鼓動を速めた。
アデレードの心の奥底、今までずっと抱えていた小さな疑問が、思考を止めろと警告している。これ以上進めば、二度と引き返すことは出来なくなる──そんな震えた声が聞こえても、アデレードの視線は勝手に動いてしまった。
ざわめく階下。セシリアに、子爵家の面々、顔見知りの貴族たち。彼らの顔をなぞるたびに呼吸は浅くなり、縋る気持ちで人混みの中を探る。
三年前、赤い花々と共に出会い、将来を誓い合ったその人は──。
「……ティ、ム……」
据わった瞳で王女を一瞥し、踵を返したのだった。




