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「タルヴォス、あの子たちは農場に帰しておいたよ」
「感謝いたします。お手を煩わせてしまいましたね、魔女殿。アデレードさんのこともありますから、彼らにはしばらく内勤で頑張ってもらいましょう」
農場の主タルヴォスはぼそぼそと、しかし確かな親愛を滲ませて告げると、優雅に紅茶を啜った。
その向かい、三姉妹に茶菓子を用意させた鏡の貴婦人ベネトナシュが、どこか申し訳なさそうな声音で言う。
「先程はお急ぎの様子だったから言いそびれたのだけど……オーナー・タルヴォス。この前、ガドゥンが貴方の農場から仔牛を一頭攫ってきてしまって……本当に何度もごめんなさいね。ちょうど返しに行こうと思っていたところなの」
「彼は貴女のためなら何でもしてしまいますからね。どうかお気になさらず」
紳士淑女の穏やかな会話。気遣いに満ちた応酬からは、彼らの付き合いの長さが窺える。双方の風貌がもう少し見慣れたものであれば、アデレードも縮こまらずに会話に参加できたのだが……。
場の流れで二人の間に座らされたアデレードは、隣で俯いたまま殆ど呼吸を止めているオリオの手を、テーブルの下でそっとつついた。
「大丈夫ですか……?」
「大丈夫じゃねぇよ……お前は何でもう平気そうな顔してんだ……」
いや、こちらも別に平気ではない。ベネトナシュはともかく、隣にいる牛の亜人は心底怖くて堪らないし、早くオリオに席を替わってもらいたいくらいなのだが、それを言うと彼が本当に気絶してしまいそうだから控えているだけで。
「近所に住む者同士だから」とこの気まずい茶会を提案した張本人、つまりライラは一人で離れたところに突っ立って、にこにこと四人の談笑を眺めている。話しているのは主にベネトナシュとタルヴォスだけなのだが、魔女はあまり気にしていないようだった。
「なぁ、その、子爵令嬢」
「! や、やめてください、私もう子爵家の人間じゃないので」
「え」
オリオの小さな呼びかけを慌てて撥ねつければ、彼は戸惑いながら「アデレード」と言い直して。
「こいつら何なんだ? ここがスフェンダムの外ってのは分かったけど……」
「亜人族と呼ばれる方々だそうです。人間と、動物や精霊……のハーフ、みたいな」
「はあ……?」
アデレード自身もまだ理解しきれていない事実をふんわりと説明すると、やはりふんわりとした相槌が返ってくる。オリオは強張った背中はそのままに、最小限の動きで後ろを見遣った。
「あの魔女も、亜人族?」
彼が指差したのは、言わずもがなライラだ。
魔女は二人の視線にすぐに気付いたのか、ひらひらと呑気に手を振ってくる。それに会釈で応じながら、アデレードは小さく首を縦に動かした。
「はい、多分……」
亜人族が必ずしも獣の特徴を持っているわけでないことは、ネウス湖上都市で既に確認済みだ。不思議な格好をしているだけのベネトナシュや、実体感に乏しい真っ黒な姿をした三姉妹も然り、もしかしたらライラは獣ではなく精霊とやらの血を引いた亜人族なのかもしれない。
ただ、先程目撃したような変身が可能なら、亜人族を一目で判別することは現実的でないようにも思えるが……。
「そういえば、エンティア商会が人員の募集を掛けていましたね。アデレードさんのような方は適任かもしれませんよ」
「え! はい!?」
突然タルヴォスから話を振られたことに気付き、アデレードは慌てて居住まいを正した。
農場の主は帽子のつばを軽く持ち上げると、黒目がちな瞳を微かに細めて笑う。
「商会のことはご存じですか?」
「は、はい。ネウスにある大きな商会ですよね」
「ええ。そこのエージェント事業部が働き手を募集しているのです。いわゆる受付業務ですね」
「受付……ですか?」
思わぬ話に目を瞬かせると、タルヴォスは鷹揚に頷き、エージェント事業部における受付業務について軽く説明してくれた。
「市民課の窓口は業務の特性上、金属性のマナを所有していることが推奨されているのですが……エージェント事業部の受付はそういった制限を設けていません。気性の荒いエージェントもいますから応対はそれなりに大変でしょうが、その待遇の良さから人気のお仕事なのですよ」
「まぁ、そうなのですね」
「……。お前、働いたことあんのか?」
説明を興味深く聞いていたアデレードは、オリオの投げやりな問いかけにひくりと頬を引き攣らせる。私生児といえど確実に平民より良い暮らしをしてきた自覚のある彼女は、お世辞にも苦労人とは言えない真っ白な手を引っ込めた。
「な、ないですけど……。タルヴォス様、その、魔法も使えない人間でも、大丈夫なのでしょうか……?」
「ええ、人間は少し目を惹くかもしれませんが、商会が守ってくれるはずです。興味が湧いてきましたか?」
「はい」
体力は無いし、得意なことがあるのかも不明。しかし、こんな体たらくでも働き口があるのなら挑戦してみたい、というのがアデレードの正直な気持ちだ。
スフェンダムでは「公子の婚約者」という偽の役目しか与えられず、ひたすら窮屈な思いをするばかりだったが――。
『それでもわたくしは、アデルに本当の幸せを見つけてほしい。何にも縛られない、新しい世界で』
別れ際、セシリアに告げられた言葉がよみがえる。
もはやアデレードは、誰かの顔色を窺いながら生きる必要などない。彼女の決断を妨げる者も、嘲る者も、外界にはいないのだから。
アデレードは逡巡の末、有益な話を聞かせてくれたタルヴォスに頭を下げた。
「ありがとうございます、タルヴォス様。一度商会に赴いてみますね」
「どういたしまして。私の農場をおすすめしたかったところだけど、彼らと顔を合わせるのは気が進まないだろうからね」
「あぁ、ええと……」
傭兵たちとの間に何があったのかは魔女から聞き及んでいるのか、タルヴォスは静かに微笑むだけだった。
彼がゆっくりと腰を上げたなら、客人の帰宅を悟ったベネトナシュも静かに立ち上がる。
「そろそろお開きね。オーナー・タルヴォス、仔牛と一緒にお茶もお持ち帰りになってちょうだい」
「いやいや、私の従業員がご迷惑をお掛けしたのだから、お気持ちだけで。――オリオくん」
弾かれたように顔を上げたオリオが慌ただしく席を立ち、「何ですか」と農場の主の元に駆け寄った。
「後でネウスに行きましょうか。君は市民票を持たせておいた方が良さそうだから」
「……?」
オリオが怪訝な表情で、こちらを振り返る。
すでにライラとルゴールから市民票の重要性を説かれていたアデレードは、「発行しておいた方がいい」と身振り手振りで訴えた。
オリオ以外の粗暴な傭兵たちには、市民票を発行する気がなさそうなタルヴォスの口振りに、少々震えながら。
◇
「さて、今日はごめんなさいね。また今度ゆっくり遊びにいらっしゃい、レディ・アデレード」
「は、はい。お茶、ご馳走様でした、ベネトナシュ様」
屋敷の門前で深々と頭を下げれば、ベネトナシュは静かに笑った。
貴婦人の後ろにはこちらを窺う三姉妹と、つまらなさそうに地べたに座り込んだガドゥンがいる。
三姉妹はただ見送りに来てくれただけだろうが、あちこちで誘拐を繰り返しているらしいトラ男は――がっくりと肩を落としてアデレードを見つめていた。
連れて来た人間が薬にならない事実を知った彼の、明らかに落胆した眼差しからそっと視線を外せば、ベネトナシュがおもむろに口を開く。
「さっきオーナー・タルヴォスが言っていたことだけど、私もエンティア商会の受付はおすすめしておくわ」
「あ……やっぱり待遇がよろしいのですか?」
「それもあるけれど……貴女はまだネウスに慣れていないみたいだから、多くの亜人族に触れる良い機会になると思う」
「!」
鏡面はアデレードのはっとした顔を映したまま、やわらかく傾いた。
「怖がる必要はないわ。困ったら誰かを頼りなさい。私でも、魔女でもね」
「ベネトナシュ様……」
「貴女の新しい生活が満ち足りたものになるよう、隣人として祈っているわ」
その心遣いに言葉を詰まらせながら、アデレードはもう一度頭を下げておく。
スフェンダムを出てからというものの、まるで一生分の優しさを受けたような気分だ。……なんて言ったら、セシリアに呆れられてしまうだろうか。
低すぎる自己肯定感を友人に咎められる想像が頭を掠め、苦笑混じりに後ろを振り返ったなら。
「………………あ、帰る?」
また完全によそ見をしていたであろうライラが、へらりと笑った。
この無関心さに早くも慣れを感じてきたアデレードは、おかしげに笑って「はい」と頷いたのだった。




