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「ルゴールさん、こちらの大きな建物は……?」
「エンティア商会。ネウスの心臓部だな」
賑やかな広場を抜けてやって来たのは、ネウス湖上都市において実質的な支配者でもあるというエンティア商会。
ルゴール曰く、彼らの商売は多岐にわたり、食糧品の売買から住宅建築まで請け負ってきたのだとか。あまりに手広くやっているものだから、もう市民会の開催や小難しい手続きも任せてしまえということで、商会の建物はいつの間にか市庁舎扱いとなり、どこよりも豪勢な仕上がりとなっている。
そんなことをしてネウスの住人から不満は上がらないのかと疑問に思えば、意外にも諍いは起きていないらしい。エンティア商会がそもそも複数の店によって構成された連合であることが、彼らを必要以上に増長させない大きな要因となっているのだろう、と。
「それと……商会がやってるエージェント事業は、住人全員に恩恵があるしな」
「えーじぇんと……?」
商会の入り口、扉の上部を飾る女神像を仰ぎ見て、聞き慣れない単語を反芻する。
すると、横に立つ魔女がへらりと笑って言葉を投げてきた。
「スフェンダムでいう傭兵みたいなものだね。ルゴールも商会のエージェントだよ」
「あ……! そうなのですね、商会がお仕事を斡旋しているということでしょうか?」
「うん。エージェントはネウスの住人なら誰でも登録していいし、誰でも依頼していいよ」
「誰でも……」
「腕に自信がある子は賊討伐みたいな依頼を受けて、そうじゃない子は失せ物探しとか、お店の助っ人依頼とかを受けてるよ」
だから何か困り事があれば、まずは商会に相談するというのがネウスの常識らしい。報酬は依頼の内容によって決まり、そこから経費や手数料を引いた分がエージェントに支払われるそうだ。
アデレードはついつい感心の声を上げてしまった。スフェンダムにおける傭兵と言えば、大金でなければ依頼を受けつけないばかりか、女子供が護衛に雇おうものなら逆に身の危険を感じるほどの、騎士崩れのならず者といった印象が強かったからだ。ゆえに彼らを雇うのは裕福な貴族だけで、領地戦に投入したり後ろ暗い仕事を任せたりするのが殆どだった。
一方、ネウスでは信頼できる組織が元締めを担うことで、依頼主とエージェント双方にきちんと利益を与えるばかりか、都市全体の治安すらも向上させているようだ。
「素晴らしい事業だと思います……! 商会の方々は勿論ですが、ここに暮らす皆様もネウスを平穏に保つために努力されていらっしゃるのですね」
「……あー……どうだろうな。俺含めて亜人族にそこまで崇高な精神は無いと思うが……」
ルゴールは苦々しく答えると、ふと思い立ったように商会を顎で示した。
「アデレード、せっかく来たんだし市民票を発行しておけ。ここで暮らすなら必要だ」
「は、はい! 市民票……あの、すみませんが、どなたか付いて来ていただけると嬉しいのですが……」
心許なさから恥を忍んで助けを求めれば、二人がちらりと顔を見合せ。
「じゃあ私が」
「待て、コイツを連れて行くと無駄に時間が掛かる。俺が行こう」
ヴィヴィを預かったライラにのんびりと見送られて、アデレードは商会の中へと入ったのだった。
◇
尋ねられたのは名前と性別、年齢、住んでいる場所——とりあえずルゴールに勧められるがまま城の場所を記して、それで終わりだった。
「はいどうぞ。ようこそネウス湖上都市へ」
マニュアル通りの手続きを完了した窓口の女性は、業務用の笑顔を貼りつけて市民票を差しだす。
会釈と共に受け取ってみれば、それは小さな青銅色の金属板だった。どんな技術が使われたのか、表面には先程アデレードが答えた項目が刻まれている。
右下には楕円形の模様――恐らくネウス湖上都市の紋章とおぼしきものが大きく刻印され、細やかな溝が光を淡く反射した。
「わあ……ルゴールさん、ネウスでは鍛治技術も発達しているのですか? 印字がとても綺麗です」
「ん? ああ、それも魔法だぞ」
「え!」
思わず驚いてしまうと、ルゴールが窓口の女性たちを振り返って言う。
「鍛冶屋と市民課は金属性の使い手が多いな」
「コン?」
「金属の加工に特化した魔法でな。使い道は限定的だが、何かと重宝されてんだ」
アデレードは目を瞬かせると、小さな市民票をそっと小袋に収納した。
市民課の窓口付近は人でごった返しているため、置いて行かれぬようルゴールの傍を歩きながら、いそいそと小声で尋ねてみる。
「魔法にはその、いくつも属性があるのですか?」
「ああ。基本属性が五つ、そこから更に派生属性がいくつかある。後者は滅多に見ないがな」
簡潔に説明した彼は、エントランスにある高い円天井を見るよう促した。
そこには五角形の紋章が描かれ、それぞれの角に異なる模様が据えられている。
「木、火、土、金、水。あれが基本属性で、自然の基盤とも呼ばれてるマナの名称だ」
「すみません、ええと、マナとは……?」
「あー、何て説明したもんかな。マナは……魔法の源、って言えば分かるか?」
曰く、マナはあらゆる命に宿っているものらしい。
アデレードやルゴールといった生物は勿論、草木や海水、火や地中の鉱石に至るまで、マナはどこにでもあるのだとか。
そしてマナは、浸透するものによって属性を変質させる。その特性ゆえに種族ごと、あるいは個々人が扱える魔法に差異が生じるということだった。
「窓口の方々は生まれつき金属性のマナを持っていて、それを使うことで加工が出来たのですね」
「そういうことだな。だから、あんたにも何かしらのマナが宿ってるはずだ」
「私にも……」
不思議な気分で手のひらを見つめていると、ルゴールが言葉を付け足す。
「……ただ〈永久の晩餐〉以降、無条件で魔法を使うことは出来なくなった。俺たち亜人族が二度と暴れ散らかさないよう、女神が施した枷ってやつだ」
「!」
アデレードが何かを言うより先に、彼は「妥当な処分だと思うぞ」と苦笑混じりに肩を竦めた。
「だから市民課で安定して魔法を使ってる奴は、ああ見えてかなりのやり手ってことだ」
「そ、そうなのですね」
「ああ。荒くれ者を撃退してるところを何度も見た」
なぜ市民課で暴力沙汰が起きるのかは甚だ見当もつかないが――とにかく、窓口の女性たちは凄腕の魔法使いで、尊敬される立場にあるようだ。
アデレードはもう一度だけ窓口の方に小さく会釈をして、ルゴールの後を追おうとしたのだが。
「……?」
そこで彼女の目にとまったのは、壁に飾られた一枚の肖像画。
凛とした眼差しが印象的な、如何にも聡明そうな女性が描かれている。頭の真ん中で二つに分けた空色の髪を編み込み、後ろでキツく結い上げる様は、彼女の厳格な一面を表現しているかのようだった。
しかし――アデレードは女性の面差しをじっと見詰めて、首を捻る。
(この方……ライラ様に、似ているような……?)
何度も絵の具を塗り重ねた瞳は、あの不思議な朝焼けの色をしていた。
「市民票は貰えたかい?」
「は、はい! おかげさまで」
「それは良かった」
――やはり似ている。
ヴィヴィを片腕で抱えながら、へらへらと笑う魔女。髪の長さや雰囲気はまるで違うが、肖像画の女性と双子か姉妹と言われても何ら不思議ではないほど、よく似ている。
アデレードが商会の方をちらりと見てしまったなら、不意にライラが口を開いた。
「じゃあ、これからアデレードも立派なネウスの民だね」
「!」
はたと意識を前に戻す。
魔女はいつもと変わらぬ様子で微笑み、ポカンとしているアデレードを不思議そうに見返した。
「あ……えっと、その、改めて、よろしくお願いいたします……!」
「うん」
ネウスの民。
スフェンダムを慌ただしく出発してから今に至るまで、アデレードはずっと空中で足を動かしている気分だった。それが魔女の言葉でようやっと、硬い地面に足裏を乗せることができたような。
小袋に入れた市民票を布越しに握り、そっと顔を上げる。ライラとルゴール、それから魔女に抱かれて眠るヴィヴィ。
彼らとは何となく、長い付き合いになるような気がした。
……と、感慨に耽る時間はそう長くは続かず。
「市民票があれば、攫われたときに商会に捜索願を出せるからね」
「え」
「持ってねぇ奴は、ネウス外の連中に好き勝手されるからな。身分証にもなるから、ちゃんといつも持っとくんだぞ」
「え」
ライラとルゴールはそれぞれ不穏な忠告をしておきながら、平然と「そろそろ戻るか」と言って歩き始める。
二人の背を唖然と見つめてしまったアデレードは、すぐさま小袋を両手で固く握り締め、顔面蒼白で後を追ったのだった。




