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車輪の跡が残る土道を、萌黄色の樹冠がまばらに覆う。日影を流れるやわらかな風は、図らずも重労働を課せられたアデレードの汗を優しく冷やした。
ようやっと手足の怠さも取れてきた頃、先導する黒いケープが翻り、朝焼け色の瞳がフードの下で笑う。
「アデレード」
「は、はいっ」
「あれがネウス湖上都市だよ」
魔女がゆるりと指差した先を追うと、眩い光が視界を塗り潰した。林道が終わったことを察したのも束の間、目の前に広がった光景に思わず息を呑む。
アデレードの視界を占領したのは、海と見紛うほどの広大な湖と、果てしなく続く空の青色。
そして真正面から伸びる白い石橋の向こうには、まるでそれ自体が一つの山であるかのように巨大な都市が聳え立っていた。
ネウス湖上都市——その名の通り、透き通った湖面から露出した岩盤を礎とする、複雑怪奇な美しい街である。
「わあ……!」
スフェンダムの大都市は、いずれも宮殿や家屋を大きな城壁で囲んだものが殆どだった。ネウスはああいった街並みを、城壁の代わりに湖で囲み、縦方向にぎゅっと凝縮したような印象を受ける。
玄関口と見られる中央広場から視線を上へずらしていくと、市庁舎らしき建物や、いくつもの変わった形の鐘楼に見慣れない形式の家屋など、とにかく様々なものがあった。
そうして都市の頂上に目を凝らしてみれば、そこには一本の高い塔が立っているようだった。
「すごい街ですね……!」
「スフェンダムの都もこんなのじゃなかったっけ?」
「え!? い、いえ、さすがにこれほど空高く伸びてはいませんでしたよ」
「そっか」
ライラは淡白な相槌を返すと、慣れた足取りで石橋を進み始める。貴族の振る舞いとは程遠い、されど真っ直ぐに通った背筋が織り成すその佳麗な後ろ姿は、湖上都市の青い景色に不思議と馴染み、職人が手掛けた一枚の絵画でも眺めているようだった。
「……ずっと思っていましたが、ライラ様ってお美しい方ですね……」
「え」
ぽろりと感嘆をこぼしてしまえば、アデレードを抱える腕に動揺が走る。はたと顔を上向けると、ひとつも共感を得られなさそうな空気を醸し出すルゴールと目が合った。
「アデレード」
「は、はい」
「あの外見も『魔女』の由来の一つだ。気を付けろよ」
「……??」
魔女とはつまり、単純に魔法使いを指す単語ではなかったのだろうか。まずもって魔法がどういったものなのかも不明だが――。
アデレードが目を瞬かせる傍ら、歩みを再開したルゴールはぼそりと呟いたのだった。
「こりゃ良くねぇモンを寄せ付けそうだな……」
まるで同調するかのように、眠っているはずの少女ももぞりと動いて。
◇
ネウスの広場に到着すると、まずその活気に圧倒された。
中央の噴水付近を行き交う人の多さは言わずもがな、四方をぐるりと囲む建物はみな背が高く、宿や居酒屋とおぼしき店がずらりと立ち並ぶ。隆起した岩山に沿って増築を繰り返したのか、それらを繋げる外階段があちこちへ無秩序に伸びていた。
地面には砂浜を彷彿とさせる淡いベージュのタイルが敷かれ、広場の奥——恐らくは上層へ向かう主要な大通りも同様の舗装がされているようだった。
慣れていないとすぐに迷子になってしまいそうな雑然とした街並み。されど別世界へやって来たような新鮮な感覚は、確かにアデレードの胸を高揚させた。
「あ、魔女だぁ」
「やぁ、久しぶりだね」
すると、先を行くライラの元に小さな人影がわらわらと集まる。見れば皆、その頭に犬の耳が生えていたり、長い尻尾が衣服の下から伸びていたりと、さまざまな獣の特徴を有していた。ちょうど今、アデレードの腕で眠りこけている少女と同じような塩梅で。
周囲の通行人にも意識を向けてみると、肌に鱗のような艶を持つ者、引きずるほど大きな翼を持つ者もいる。想像以上の多様さを示す亜人族たちに、アデレードは驚きを禁じ得なかった。
(ライラ様とルゴールさんみたいに、人間と変わらない方も結構いるみたいだけど……みんな亜人族だと考えた方がいいのよね)
遺伝的な要因か、はたまた別の理由があるのかは不明だが——少なくともアデレードがこの中を一人で歩いても、すぐさま人間だと見抜かれるような事態には陥らなさそうだった。
ほっとした彼女が、再びライラの方へ視線を戻すと。
「昨日ママが怒ってたよ。魔女がパパの手紙をうわきあいてに届けた! って」
「うん? そうなんだ」
「あのね、あのね。野菜の下ごしらえ、おてつだいしてくれたでしょ? 切るだけじゃ、だめだったみたい……お客さん、おなか痛くなっちゃって」
「ああ、そういえば皮剥いてなかったかな」
「この前捕まえてくれた虫がさぁ、父さんに噛みついてさぁ、なんか指がパンパンに腫れちゃってさぁ」
「大変だね。毒があるから箱から出しちゃいけないよ」
「ねぇ魔女! 弟が魔女に結婚してほしいって言ってた!」
「姉ちゃん何で言うの!? 馬鹿アホまぬけ!! わーーーーん!!!!」
カオスとはこのことを言うのだろうか。
いろいろと問題発言があったような気もしたが、まるで耳が追いつかない。アデレードが頬を引き攣らせていると、彼女の心境を察したであろうルゴールが溜息をつく。
「いろんなとこで問題起こしてんだよ。日課みたいにな」
「に、日課……」
「今聞いた話はまだマシな方だ。……悪い、一旦降ろしても大丈夫か」
「あ、はい! ありがとうございました」
地面に足を伸ばそうとするアデレードの動きを制し、ルゴールは自身の曲げた膝を椅子代わりにして彼女を立たせた。
そのあまりに自然な気遣いに溢れた仕草に固まってしまう傍ら、一方の彼は羽織るだけだった外套のフードを深く被り直した。そうしてどこか人心地ついた様子でヴィヴィを回収すると、不思議そうにこちらを見て。
「どうかしたか?」
「い、いえ、なにも……騎士道物語に憧れていたご令嬢の気持ちを、今更ながら理解しただけで……」
「は?」
色恋は元婚約者で懲りたはずなのに、免疫が無いばかりに逐一ときめいてしまう自分が心底情けない。先が思いやられると、アデレードは深い深い溜息をついてしまった。




