92.風の騎士
リチャードが魔術師たちを気絶させたのを確認して、ツィリルは見つからないようこっそりと移動を開始した。見張りの声が響き、すぐに船尾に注目が集まる。耳に入る剣戟の音に、本当に奴の師匠がいるんだ、とツィリルは顔を青ざめさせて怯えた。
窓を覗いて内部の様子を確認する。船室の扉が開き、慌ただしくクルーたちが船尾に向かっていた。するとそんな中で、とある部屋から魔術師がひとり出てくる。……あそこか。
その魔術師がリチャードの方に向かったのを確認してから、ツィリルは無防備になっている船首側の扉から船内に侵入した。素早く、足音を立てずに移動する。例の魔術師が出てきた部屋の扉を、薄く開いた。
……ビンゴだ。
緑色の巨大な魔石と、魔術師がひとり。初めて見るが、あれが神の骸ってやつらしい。とんでもないサイズである。あんなもの、本当に壊せるのかとツィリルは不安になった。しかしリチャードの言葉を思い出し、弱気になりそうな心を奮い立たせる。……いや、なんであんな奴の言葉で奮い立たなきゃならないんだ。お嬢のことを思い出そう。
ツィリルは気を取り直し、ふう、と呼吸を整えた。覚悟を決める。
魔術師は外の様子が気がかりなのだろう。そわそわと落ち着かない様子だ。その体が神の骸から僅かに離れる。──その瞬間湾刀を抜き、ツィリルは一気に魔術師へと襲いかかった。
「なっ……───」
一瞬で首を、落とす。元山賊は容赦などしない。
……彼にとって殺しと略奪は手慣れたものであった。子供の頃に捨てられて、盗みを働きながら生きて、山賊に取り込まれて。ツィリルはそれ以外の生き方を知らなかったのだ。いつだってこのクソみたいな人生を嘆きながら、嘲笑いながら、開き直って生きてきた。……彼女と出会うまでは。
当時の親分が目をつけた絶世の美女ふたり組。それがよりにもよって淫蕩の魔女と烈風姫だった。あっという間に山賊は壊滅させられた。
ルージェナは強く美しく、誰よりも自由で好き勝手で、それでいて──ツィリルをちゃんと叱ってくれる。当たり前のことを、当たり前のように。……それがなんだか、バカみたいに嬉しかったのだ。気まぐれで彼女の下僕にされたことは、人生最大の幸運だった。
ツィリルは勝手に彼女の騎士を名乗った。そして自分の正義はルージェナにあると定めた。だから彼女の敵ならば、ためらわず殺すのだ。……もし自分が間違っても、そのときは彼女が叱ってくれる。
だから、ツィリルは迷わない。
床に転がった胴体と頭にはもう見向きもせず、ツィリルは剣を振って血を払った。目の前の巨大な魔石を睨みつける。
「……さて。敵さんが戻って来る前にさっさと終わらせましょうか、ねっ!!」
助走をつけ、勢いよく振りかぶった湾刀を魔石へと叩きつける。
ガキイイィィィィン! と大きな音と共に、神の骸にはっきりとヒビが入った。
「カッッッタ!! 畜生、一度じゃ割れねえじゃねえか!」
ぶつかった衝撃が伝わって腕が痺れている。しかしのんびりしてはいられない。今の音で、確実に敵が集まって来るだろう。ツィリルはもう一度剣を振りかぶった。
「ッ、らあぁ!!」
その巨大な魔石が、四分の一ほど砕ける。もう一度。……もう一度。
「これっ……剣じゃなくてハンマー持ってきた方が良かっただろ! なに剣で斬る前提なんだあの脳筋……いや脳剣死神め!」
今さら気づき愚痴を言いつつも、手は止められない。残り約三分の一の大きさになったところで、帝国の魔術師が飛び込んできた。
「貴様、何者だ!」
「チッ……」
ツィリルの剣を止めさせたのは、闇の魔術で操られた人形だった。魔石との間に滑り込んできたため、仕方なく距離を取り、その人形の首を狙って斬りかかる。
「神の骸が……! 仲間まで! おのれ、許さん!」
「うへぇ……」
どこに隠し持っていたのか。一気に増えた人形に囲まれ、ツィリルは辟易した。手当たり次第首を落としていく……が、どうにも数が多い。完全に魔石を破壊できるまで、あと少しだったのに。
……いや、そもそも、だ。壊せと言われたから壊していたが、本当に壊す必要があるのか?
たしかにこれがあるとルージェナの支援が受けられない。だが他と違って、これは風の魔石なのだ。
「そうだよ……なんで気づかなかったんだ」
ツィリルは人形を振り払いながら、残り三分の一となった風の神の骸へと手を伸ばした。
己は魔術師ではない。魔術のことなど全然わからない。──でも、世界一の風の使い手の隣で、ずっとその力を見てきた。
「……おいらはあの人の騎士だ! 世界で2番目に、風魔術に詳しい!」
触れた魔石が、淡く光る。
「なっ……!?」
「吹っ飛べええええええええええええ!!」
猛烈な風が吹き荒れる。人形も、魔術師も、転がっていた死体も。
その船室ごとまるまる、夜の海へと弾き飛ばされた。
「うおおおお、なんだァ!?」
「ツィリル!?」
甲板の上でリチャードとやたら迫力のあるおっさんが剣を向けあっていた。あれが師匠だろう。歴戦の猛者みたいな男である。……絶対戦いたくない。
ツィリルは現在魔石と共に宙に浮いている。当然目立つので周囲の注目を一身に浴びていた。
「てめぇら、その石の強奪が目的か? なかなかやるじゃねえか」
おっさんがリチャードの猛攻を凌ぎつつチラチラとこちらを見てくる。なんか余裕そうでちょっと腹が立った。
「はん、こんなオモチャ、おいらたちにゃあ必要ないね! だが竜にまつわるものはお嬢の……ペラルゴ国主、ルージェナ様のものだ!!」
ツィリルは堂々と宣言してみせた。おっさんが目を瞠る。
「ペラルゴォ!? おいリチャード、あのイカレ集団とつるんでんのか!? さすがにもちっと付き合い考えた方がいいぜ!?」
「いや、まあ……ただのなりゆきだが……」
「あいつら定期的に『竜を崇めよ』とかいうチラシばら撒くし、子供に妙なポーズ覚えさせようとするし、果ては南の宝物庫に忍び込んで竜の掛け軸盗んでいきやがったんだぞ!?」
「…………」
え? なんで死神クンにまで胡乱な目で見られてるの? おいらたち共闘中だよね!?
ちなみにツィリルはルージェナの奇行についてはお嬢が楽しそうならすべて良し! と気にしていない。別に虐殺なんかしてないし、略奪はたまにしかやらないし、誘拐だってあの第二皇子だけ。彼にとって彼女の活動はいたって健全である。
「お前たちが妨害してくる理由はよくわかった……そりゃああのイカレ集団ならしょうがねえな」
なんだかおっさんに釈然としない納得のされ方をしてしまった。しかし、もう風の神の骸はツィリルの手にあるのだ。
「……ツィリル、それに核はあるか!? あったら回収しておけ!」
「あ〜、なんか模様みたいなもんがあるんだっけ……?」
粉砕され散らばった魔石をふわりと浮かべ、目の前に並べる。よくよく見るとそのひとつに奇妙な模様がついていた。おそらくこれのことだろう。
「見つけたならそれを持って遠くに逃げろ! ルージェナとカイには近づくなよ、魔術が使えなくなる!」
「はあ〜〜〜!? 嫌だね! おいらはお嬢の騎士ですけど!?」
「黙って従え! 師匠は俺が押さえておくから!」
ひどい。ひどすぎる。お嬢と引き離された上に近づくなとは!
あまりの横暴にツィリルはギリギリと歯ぎしりした。この妙な模様の魔石を持っている限り、ルージェナには近づけないのだ。
いっそ海に捨ててしまおうかと思ったが、無責任に手放して怒られたら嫌である。そこでツィリルは、別の人間に押し付けてしまおうと思いついた。
「……よし」
「あ、おい! どこに行く!?」
リチャードの問いかけを無視して飛び立つ。風の魔術師のところには持っていくのは無理なので、残る選択肢はひとつだった。




