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89.殺し文句


 パトロールと竜人たちとの情報共有は義賊『君に捧ぐ一番星』の面々に任せ、カイたちは帝国の使節団に見つからないよう、こっそりと活動することになった。

 とは言ってもやることはそこそこ多い。カイは叔父や叔母、花道楽の面々に無事の知らせを書くだけでなく、マトリカリアにも現状を知らせておいた方がいいだろうと、アマンダ女王陛下に宛ててペンタス城にも手紙を送った。……いつ届くかはわからないけれど。

 それからルージェナに修行をつけてもらいつつ、新しい呪文カード作り。風の精霊と直接相談しながら、記号や絵も使った新たなものをいくつか作った。例の石でできた紙なので、海上戦でもバッチリのはずだ。

 夜にはサンドラや義賊たちからの情報も参考に、竜の墓防衛戦の作戦会議。……なのだが。


「……なあカイ、あれどうにかなんねぇ? お前の連れだろ」


 フェリクスが苦言を呈するのも無理はない。日が経つに連れ、リチャードはいっそう張り詰め、最近では殺気まで放つようになってしまった。……正直、怖い。整った顔も相まって、近づきがたい雰囲気になっている。おまけに相変わらず昼間はずっと剣を振るっているようで、休んでいる姿をぜんぜん見ない。

 カイは覚悟を決めて、ソファに腰掛けているリチャードの正面に立った。


「なんだ? なにか用……──」


 べちん、と両手のひらで頬を挟み込んだ。驚いて目を見開いた男の耳元に出ない声で囁く。


『殺気なんか放つな。……お前はもう、死神じゃないんだぞ』


 はっとした表情で固まったリチャードは、それからしばらくしてゆるゆると弛緩した。


「……すまない、無意識だった」

『敵が敵だから、気を張るなとは言えないけど……そんなんじゃ身が保たないだろ。大丈夫か、リチャード?』

「ああ、問題は……ない……」

『……?』


 さっきから触れている彼の頬が熱いような気がする。気になって額に額をくっつけた。……あっつい! 熱が出てるじゃねえか!


「カイ……?」


 治癒術を使おうとして、思いとどまる。……治せばまたすぐに無理をしそうだ。


『リチャード、立てるか? 熱が出てるみたいだから少し休め。酷いようなら治癒してやるから』

「ね、つ……? ああ、だから体が重く……」

『おい……?』


 目を閉じたリチャードは、なんとそのまま眠ってしまった。

 ただでさえ北国育ちの男が、この南の島で日夜剣を振り続け、気を張っていたのだ。無理が出るのは当然である。……あの殺気は不調を隠すためでもあったのだろう。いや、本人も不調に気づいてなかったのだから完全に無意識か? 難儀な男だ。

 フェリクスとツィリルに頼み、一緒にリチャードを部屋のベッドまで運んでもらった。作戦会議は明日に持ち越しである。




 ふたりきりになった室内を月明かりが照らす中、寝込む男の端正な顔を見つめた。熱のせいか随分と寝苦しそうだ。


「……いや、だ……もう俺は……誰も……」


 魘されるまま、その表情が苦痛に歪む。カイは水を絞った布巾をリチャードの額に乗せた。


「ああ……また……殺した……また……また……」


 どんな悪夢を見ているのか察してしまった。──帝国の森の民を皆殺しにしたという死神。反乱分子を容赦なく粛清したと言われる死神。……マトリカリアで王を、王子を、そして英雄を屠った死神。

 外見とは裏腹に、情が深く真面目で優しい男だ。その苦悩は察するに余り有る。


「リリィ……」

『…………』


 彼の妹の代わりにはなれないが、そっとその手を握った。少しだけ、表情が穏やかになる。

 前世で放課後、面会時間が過ぎるまでずっと灯里のお見舞いをしていたときのことを思い出した。カイ……いや、真斗にとって、彼女が世界のすべてだった。彼女のことを優先しすぎて、時には怒られたっけ。特に修学旅行をサボった時はしこたま怒られた。ほかでもない、灯里にだ。……最終的に泣かせてしまった。

 我ながら重い男だ。彼女を支えながら、同時に彼女に依存していた。今ならそれがわかる。……でも、じゃあ他の生き方ができたかと言えば、たぶん無理だったろう。……重い男なのだ。前世も、今も。

 ぬるくなった額の濡れ布巾を絞り直す。リチャードを看病しながら、カイはうとうとと微睡んだ。




「……カイ?」


 まだ夜も明けきらぬ時間だ。目を覚ましたらしいリチャードの声に、カイも起き上がる。熱を確認すると、だいぶ落ち着いたようだが、まだ少し熱い。


『微熱だな……治癒はしない。1日休め、リチャード』

「いや、そういうわけには……俺たちには時間が、」

『休め。おれも休むから』

「………」


 不服そうな顔しやがって。

 飲み水を差し出すと、彼は無言で受け取り、飲み干した。まだ寝ていろ、とジェスチャーしてみせると、横になったものの睨みつけてくる。カイは溜め息をついた。それから、耳元に唇を寄せる。


『……なぁ、おれの世界一大切だった人のこと、話していいか?』


 リチャードは虚をつかれたようだった。驚きで機嫌の悪さは吹き飛んでくれたようだ。

 それに安心して、カイはゆっくりと音にならない吐息で語り出した。


 幼馴染で初恋だったこと。治らないかもしれない特殊な病気だったこと。奇跡的に治ったけれど、その後事故で失ってしまったこと。……もちろん、前世の知識に該当する部分は曖昧にぼかしている。

 世界が違うので、治らないかもしれない病気だというところでリチャードは少し首を傾げたが、真剣に話を聞いてくれた。


『今でも思うんだ……おれといて、彼女は幸せだったのかなって』

「……愚問だな。もう少し自信を持っていい。……お前に愛される奴は幸せだ」


 珍しくリチャードが微笑んでいた。……そうか。そう言ってくれるのか。……そうだよな。そうだ、ならば。


『じゃあ、お前にも幸せになってもらわないとな』


「……は? …………はあ!?」


 数泊遅れて意味を理解したらしいリチャードが、顔を真っ赤にして飛び起きた。


「おまっ……なんっ……はああああああ!?」


 おお、照れてる照れてる。新鮮だな。美形を翻弄するというのは中々悪くない気分である。

 しかしまだ夜も明けていないので大声は控えてもらいたい。カイが人差し指を唇に当てて静かに、とジェスチャーすると、彼は少し落ち着いたようで、ようやく声をひそめた。


「よくそんな恥ずかしいセリフを堂々と……」

『ちゃんと伝えられる時に伝えておかないと、後悔するかもしれないから』

「…………それはわからんでもないが……」


 ああもう、とリチャードは顔を手で覆ってしまった。その耳がまだ赤い。


『リチャード。おれはお前を苦しめたくて命を助けたわけじゃないんだ』

「そう、だな……。たしかに恩人のお前の前でずっとこんな調子でいるのも失礼なんだろうが……まったく、難しいことを言う……」


 男は困ったように、それでも笑ってくれた。

 罪を忘れろとは言えない。苦しむなとも言えない。もしかしたら、幸福になることは彼をいっそう苦しめるかもしれない。それでも……それでも、ささやかでもいいから、幸せになれるチャンスがあるのなら手を伸ばして欲しいと思う。諦めないで欲しいのだ。


「十分カイには救われているんだがな。下心ひとつなく殺し文句を言われてはたまったものじゃない……俺が女だったら今ので嫁入りを決めてたところだ」


 こっちはお前が男で心底良かったと思ってるよ。もし女だったら、きっといつまでも灯里の幻影を見続けて、いつか取り返しのつかない間違いを起こしていた。


 結局のところ──それが恋愛であれ、親愛であれ、カイは変わらないのだろう。せいぜいこの想いの重みで、相手に負担をかけてしまわないよう気をつけなければなるまい。


「……努力はしよう。この件を片付けてリリィを助けだしたら、自分の幸福についても……ちゃんと、考えてみるさ」


 ……うん。今はそれで、満足しておこう。


リチャード「お前のせいで熱が上がった……」

カイ(…………知恵熱?)

リチャード「おい、なんか失礼なこと考えてるだろう」

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