86.これが恋
遺跡と海の境目を超え、竜の墓の頂上に船を降ろされる。そこからは長い階段と廊下を、トトの後ろについてひたすら歩いて行った。
「広いのう、美しいのう……!」
「いやはや……禁断の海域にこんな遺跡があったとは……さすがルージェナお姫様、お目が高い」
「おいその手はなんだ! 今お嬢の肩を抱こうとしたな!? 許さねえぞテメェ!」
……ずっとこの調子だ。しかも天井が高く広いので、それはもう声が響く。さすがのトトも眉を顰めた。
「ここは墓所だぞ、愛し子たちよ。海の中に放り出されたくなかったらその口を閉じていろ」
「ふふ、でも賑やかでいいじゃない」
おっとりとした声が一行を出迎えた。女性体の竜人、ギギだ。
「待たせたな、ギギ」
「そんなに待ってないよ、トト。さっそくまた来てくれてありがとう、ちっちゃい愛し子!」
腕を広げて近づいてきたギギに、思わずカイはリチャードの背後に隠れた。また抱きしめられて骨が折れたらたまったものじゃない。……あとちっちゃいって言わないでほしい。
広げた手の行き場をなくしたギギは、「んー?」と首を傾げてリチャードを見つめた。
「かわりに抱きしめていい?」
「……いや、俺は結構。そっちにいる男なら喜ぶかもしれんぞ」
指差した先にはエーリクが、ぽかんと随分なマヌケ面でギギを見つめていた。……どうしたんだろう。
「この子、だあれ? 初めて見る子」
「あ、え……あの、そのっ……初めまして、エーリクと申します」
「わたしはギギラィエンギェアス。ギギと呼んで。あなたもいい匂い。いい神力。抱きしめてもいい?」
「えあっ!? ほあっ!? そ、そんな……か、構いません、けどっ……」
「……なんか顔赤くないっすか?」
ツィリルの言う通りだった。ギギが一歩、一歩と近づくたびに、その顔が真っ赤に染まっていく。まさか……まさかとは思うが、エーリクお前……。
「ふふ、かわいい」
「あ、貴女の方がかわい……ぐぎっ!? おごっ……あがっ……!」
「うへぇ……」
ギギに抱きしめられたエーリクの体から、ミシミシと聞こえてはならない音が聞こえてくる。ツィリルが怯えてルージェナの後ろに隠れた。……それでいいのか、騎士よ。
「うっ……こ、これが恋……これが天上の至福……? ぐえぇっ……おはなばたけがみえるぅ……」
「わっ、ごめんなさい! すぐ力加減忘れちゃうの」
容赦ない抱擁からようやく解放されたエーリクは、彼女の腕の中で泡を吹いて気絶していた。……彼には申し訳ないが身代わりになってくれて助かった。ちゃんと治癒はしてやろう。
「トト様とギギ様はどういうご関係なのか、訊いてもよいのかの?」
「関係、とはどういうことだ?」
「夫婦であるとか、兄妹であるとかじゃ」
「ふむ……対の墓守として造られてはいるが、考えたことがなかったな。一応生殖も可能だがそんな気にもならん。感覚としては兄妹、というのが近いかもしれん」
「きょうだい! いいね、わたしがお姉ちゃんだね」
「いや、どう考えても俺が兄だろう」
エーリクの治癒をするカイの横で、興味深い会話が繰り広げられる。造られた、ということは普通に親から生まれたわけではないということか? そういえば初めて会った時、この世に2体きりの竜人だと言っていた。
「造られた……とは、いったい誰にじゃ?」
「レオシアンだ。ガィアンジェリスンイェキトォス様が頼み、かの神が承認して墓守として我らを造った」
「ガィアン……?」
「呼びにくいからガイア様でいいよ。ガイア様はディオス様のお兄さんなの」
待て。待て待て待て待ってくれ。
ギギとトトを造ったのは女神様? 神話の竜にはお兄さんがいて、その兄竜が女神に頼んで墓守として竜人を造ってもらった……?
とんでもない情報に、カイだけでなくリチャードもツィリルも目を丸くしている。
「なんと……! 神話の英雄にはお兄様がおったのじゃな!」
「そう。ガイア様、やさしいの。いつか会いに行ってあげて。きっと喜ぶから」
「ご存命なのかえ!? そ、それは絶対に会いたいのじゃ!!」
「北の山にいるよぉ。でも寝てることが多いかも」
「さすがにもうお歳だからな」
……信じられない。
北の山というと、間違いなく竜の国ストレリチア帝国の北の山脈だろう。噂通り、本当にそこにいるのだ。……それにしても神話時代の竜の兄だなんて、いったい何万歳なのだろう。
「はっ……僕は……ここは? 運命の人を見つけた気がしたんだけど、夢……?」
「あ、起きた。さっきはごめんね。だいじょうぶ?」
治癒を終え目を覚ましたエーリクが、覗き込んだギギを目にしてみるみる顔を赤らめる。
「はわっ!? 夢じゃなかった!? お嬢さん……ギギさん、その……貴女はすごく、み、魅力的な方、ですね」
おや? ルージェナ相手には口説き文句をすらすら言っていた男が、妙にどもっている。せわしなく目線を右往左往させているし、発汗もすごい。
「そう? ありがとう、嬉しい」
「あ、うう……笑顔が、素敵です……綺麗でかわいい……」
「あなたもかわいいよ?」
「はうっ!! こ、こんな……こんな気持ち初めて……これが本当の恋……」
これ……まさか本当に、ギギに惚れたのか? ちょっと信じられない思いでカイはエーリクを見つめた。だって彼女は見るからに人間ではないし、凡人からすると身がすくむほど恐ろしく感じる存在なのだ。
「本命にはああいう顔をするんじゃのう。可愛いところもあるではないか」
「ええ……いやお嬢に目がいかなくなったのは良いっすけど、ええ……!?」
「ある意味大物だな……」
しかしこうして見ると一目瞭然だ。ルージェナが熱烈に口説くエーリクを歯牙にも掛けないわけである。なんてことはない、きっと彼女は彼が本気でないことなど、最初から見抜いていたのだ。
トトがふたりの様子を見て小さくため息をつく。
「まったく不毛なことだ……。おい、ディオスギトゥティエリァス様に会いにきたんだろう。さっさとついて来い」
「こっちだよ」
「ひゃ、ひゃい……」
ギギに手を引かれたエーリクは、目の中にハートマークが浮いていそうな表情になっていた。
トトとギギに連れられ、前回と同じ扉を通ってディオス様の遺体と対面する。
その巨大さと圧倒的な存在感に、ルージェナもツィリルもエーリクも絶句していた。
「では、修復の続きを頼む」
こくりと頷き、カイは先日の続きに取り掛かった。
「す、すごい、すごいのじゃ! なんと神々しいお姿じゃ……ああ、この目に焼き付けておかねば。あわよくば鱗の一つくらい欲しい……」
おい何言ってんだ国主様。そんなの墓守たちが許すわけ……
「1枚くらいなら、いいかも?」
「そうだな、ディオスギトゥティエリァス様を信仰している奇特な愛し子だ。特別に進呈しよう」
いいんだ……。
なんと本当に鱗を貰ってしまったルージェナは、それはもうおおはしゃぎだった。鱗といっても、竜のサイズがサイズなので1枚が人間の顔よりも大きい。
「本当に感謝する! これを教会の本尊にするのじゃ! ああ、今日は人生最高の日じゃ……!」
「うむ、大切にしろ」
トトがすごく満足そうにしている。それを見たツィリルが「まさかあのナンパ男よりこっちのヤバい方が強敵だなんて……」と親指の爪を噛んでいた。この男の敵認定、ちょっと余裕がなさすぎないか?
エーリクの方はさっきからずっとギギのそばでモジモジしている。正直ちょっと気持ち悪い。百戦錬磨と見せかけてこれが初恋なのか、この男は……。
「……トト、よければ俺に稽古をつけてくれないか?」
「ほう? 面白い。いいだろう、竜剣の継承者よ。手加減はしてやる」
「助かる。ひとりで剣を振るだけでは限界を感じていたんだ」
リチャードはなんとトトを稽古相手に選んでしまった。……まあ確かに、彼の実力についていける人間はこの中にはいないのだろう。魔術すら斬る竜剣に、卓越した剣技。……遠い。届かないとわかっていても、カイの中に妙な焦燥感が生まれる。
──彼の隣に並び立ちたいのか、おれは。
己の中にある願望に驚きながら、稽古のため部屋を出て行くふたりを、カイはしばし治癒の手を止めて見送るのだった。




