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82.彼の楽園はどこにもない


 翌日も快晴だった。

 サンドラは帝国の使節団を受け入れる準備のため忙しく、フェリクスはさっそく例の義賊に交渉しに行ってくれるようだ。……というわけで、本日は4人である。


 サンドラに簡単な町の地図をもらったので、午前中はそれぞれ自由に過ごすことになった。とりあえずカイはひとり買い出しだ。商店街は道が広く、風通しがいい開放的な店が立ち並んでいた。客足はまばらで、どこかのんびりとした空気が流れている。

 この南方諸島は暑いだけでなく、湿度も高い。カイは涼しげなシャツを買って、その場でさっそく着替えてしまった。魔術師や治癒術師のローブはある程度体温調節をしてくれる優れものだが、それでも限度がある。

 あとは、フニャフニャになってしまった紙類の買い直しだ。しかし、竜の墓防衛戦は海の上が舞台になるだろう。何度も濡れて買い直す羽目になるのは困る。防水加工できればいいのだが、と考えながら雑貨屋を覗いた。

 ノートの横に、何種類かの紙類がまとめて置かれている。その中に、少し灰色っぽい見慣れない紙があった。気になって眺めていると、店員のおじさんに声をかけられる。


「異国の人かい? 珍しいだろう、その紙。石を砕いて固めて作られてるんだよ。ちょっと高いけど、水に濡れても平気なんだ」


 なんですと? まさに求めていたものだ。

 試しに一枚手に取ってみると、予想に反して柔らかめの紙だった。手触りもいい。やや重みがあり、それだけがこの紙が石から作られているのだという証明のように感じた。

 これを呪文用のカードに使いたい。カードにできそうな一番厚みのあるものを見ると、なるほど普通の紙の3倍以上のお値段である。少し迷ったが、買うことにした。一方で筆談用のノートは普通の紙のものを買う。あとは、レターセットも。随分長く手紙を出せていないから、叔母さんたちは心配しているだろう。


 買い物を済ませて、教会に立ち寄る。カリン島の教会は中規模で、他の建物と同様に開放的で風通しがいい造りだ。礼拝堂に向かうと、お馴染みの女神の像が出迎えてくれる。

 ……女神レーシーン。いや、レオシアン。

 足元で、久々の礼拝にシロがご機嫌で尻尾を揺らしている。神話について、精霊について。気になることが増えたな、と思いながらカイはお祈りを済ませた。


 露店で昼食を済ませ、一旦サンドラたちの家に荷物を置きに戻る。呪文カードを作り直したり手紙を書いたりするのは後にして、午後からはさっそくルージェナに稽古をつけてもらう約束になっていた。

 待ち合わせはこの屋敷の裏手にあるひとけのない浜辺だ。普通に開放されている場所らしいが、国長やその親族が使うこともあるため、実質プライベートビーチのような扱いで一般人が近づくことは少ないらしい。ありがたく使わせてもらうことにした。

 砂浜に降りると、リチャードが素振りしているのが見えた。暑いからか上半身裸である。筋肉フェチのリンダが見たら大喜びしそうな引き締まった体だ。


「ん? ああ、カイか」


 ぐっしょり汗をかいている。一体いつから素振りしていたのかと尋ねれば、「朝から、昼食を挟んでずっとだな」と言われた。リチャードも当然、しっかり帝国に備えるつもりらしい。それにしても、せっかく南国に来たのにどこにも行かず朝から素振りとは……ちょっとくらい町で羽目を外してもいいのに、とは思うのだが。


 青い空。透き通るような美しい海。眩しいくらいに白い砂浜。ここはまさに理想のリゾート地だ。


 そういえば、新婚旅行はハワイに行く予定だった。辿り着くことはできなかったけれど、こうして灯里の生まれ変わりと一緒にこの景色を見ていることに、不思議な気分になる。


「……どうした?」


 なんでもない、と首を横に振って水筒を手渡した。マトリカリアで購入した水魔石付きの水筒だ。リチャードは礼を言い、慣れた様子で口をつける。一緒にいるうちにおなじみのやり取りになっていたのだ。

 それをぼんやり眺めていたら、頭上から能天気な声が聞こえてきた。


「はっはっはっは! 待たせたのぅ!」


 ぶわりと風が吹く。相変わらず空から優雅に現れたルージェナが、ツィリルとともに降りてきた……のだが。


「……おい、なんだその格好は」

「ふふ、どうじゃ。セクシーじゃろう?」

「お嬢ステキッ! でもおいら以外にそんなに肌見せないでッ!」

「姫と呼べい!」


 なんとルージェナは水着姿だった。黒のビキニが彼女の白い肌を際立たせている。下半身にはこれまた黒いレースの腰布……パレオをつけており、優雅な印象を与えていた。鍔の広い帽子を被っているので、本当にどこかのお嬢様のようだ。……いや、国主様ではあるのだが。

 ツィリルは一応剣を持っているようだが、こちらも水着姿でシャツを羽織っている。リチャードとは反対に、このふたりは南国を満喫する気まんまんのようだった。


「カイの修行をするんじゃなかったか?」

「もちろんやるとも。じゃが、こーんな綺麗な海で遊ばぬのは海に失礼じゃろうが! 鍛錬もしつつ南国も楽しむ。当然じゃろう? それが人生というものじゃ」

「そんな場合……いや……そうか。そうだな……お前たちはそれでいい」


 リチャードはどこか乾いた声で言い、なぜか俯いてしまった。……どうしたのだろうか。

 つい覗き込もうとしてしまったカイの頭を、リチャードの手が鷲掴みにする。ちょっと痛い。そのままルージェナの前に押し出されてしまった。


「俺は少し木陰で休んでいる。修行なり遊ぶなり、存分にやっててくれ」

「其方は遊ばんのか? もっと楽しむがよい」


「……俺にその資格はない」


『!』


 振り返るが、リチャードはもうカイたちに背中を向け歩き出してしまっていた。


「なんじゃ、あやつは」

「あ〜……ほっときましょ、お嬢」

「だから姫と呼べ」


 カイは唇を噛み締める。……知っていたじゃないか、あいつの責任感が強いことくらい。


 灯里の生まれ変わりには幸せでいてほしい。幸せにしたい。その傲慢な願いは一度打ち砕かれ、それでもリチャードという男を知った今、彼は彼として幸福になってほしいとは思っている。

 ……でもきっと、本人はそれを望んでいないのだ。下手をすれば生きている限り、その罪を背負い続けるつもりなのだ。

 ひどくもどかしく感じる。しかしカイには、リチャードのその重い覚悟を覆せるだけの言葉を紡ぐ自信などない。


 南国の海は残酷なほど美しく、暴力的なほど鮮やかにカイたちを彩っていた。


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