78.レオシアン
「ディオ……? あー、ちょっと待ってくれ。それは竜の名前、でいいんだよな?」
ギギと名乗った女が「そうだよぉ」とのんびりした口調で肯定した。
「竜族の名前、長くて覚えにくいの。ディオス様でいいよ」
「こらギギ。我らのことはいいが、ディオスギトゥティエリァス様の名前を略すな」
「ええ? でもたぶん、愛し子たちは覚えられないよ」
……驚いた。神話の竜にはちゃんと名前があったのだ。ギギの言う通り、ちょっとフルネームを覚えるのは厳しそうだが。
そうなのか? と尋ねてくるトトにカイは申し訳なくなりながら頷いてみせる。
「まったく……レオシアンの愛し子のくせに……」
「その、レオシアンというのと愛し子というのは何なんだ?」
リチャードの問いに、トトは驚愕の表情を浮かべた。次いで、みるみると憤怒の形相になる。
「レオシアンの名を忘れたのか!? お前たちを生み出した神の名だろう!」
その言葉で、カイは合点が行った。……響きが似ていると思ったのだ。
おそらくレオシアンというのは、竜に恋した女神、生命を司るレーシーンのことだ。長い年月を経て、言葉が鈍ったのだろう。
未だ怒り心頭のトトを見て、カイは慌ててリチャードの耳元で説明する。なるほど、と彼は小さく呟いた。
「すまない、我々の間ではレーシーンの名で伝わっているようだ。名前は違えど、今もきちんと信仰され、大切に祀られている」
「ム? そうなのか。名前が……そういえばお前たちの寿命は短かったな。それだけ変化も早いか」
「必要とあらば正しい名を広められるよう努力する」
「うむ、そうしろ」
どうやら怒りは収まったようだ。正直めちゃくちゃ迫力があって怖かったので助かった。
レオシアンの愛し子。つまりそれは、人間のことらしい。そういえば、人間は女神によって創造されたのだという教えがあった。前世の感覚を持つカイにとっては眉唾モノだったので、子供の頃に聞いて以来すっかり忘れていたが……ここは異世界。考えを改めておくべきだろう。
……それにしても、レオシアン……か。
光の精霊の総称はレオで、闇の精霊の総称はシアンだ。偶然ではないだろう。きっとそのまま女神様由来なのだ。
神話に出てくる神様は、女神様以外だと火・土・水・風の神様。精霊の種類と同じだ。……トトは竜神号を襲撃した際、『風の神の力の残滓など連れてくるな』と言った。それを聞いた瞬間、ルージェナの魔術が意図せず途絶えた。……『風の神の力の残滓』とは、風の精霊のことじゃないか?
精霊は、神の力から生まれた存在なのか。……残滓、という言い方が気にかかるが。
だとしたら、色々と辻褄が合ってしまう。同属性の神の骸を攻撃できない精霊たち。契約してもあくまで精霊の方が人間より上位な存在であるという教え。……風の精霊が彼ら竜人に怯えていた理由は、まだちょっとよくわからないけれど。竜と神々の確執がまだ残っているのか?
「それで、竜剣の継承者がなぜここにいる? 神聖国はどうなっているのだ」
トトの言葉に、ふたりして固まった。
──神聖国。今の帝国のことだ。何百年も前の呼称を使うなんて、トトとギギは一体いつから生きているんだろう。
リチャードがマヌエル殿下から聞いた話をかいつまんでふたりに聞かせた。帝国の現状と、ここに来た目的だ。
「……なるほど。レオシアンはついに正気を失ったか。……無理もない」
「鍵が少しずつ揃っていったのは、わたしたちも把握していたの。ディオス様のお墓が暴かれるのを恐れて、動物たちがだんだんこの南から逃げていっちゃった」
……うん? それってここ数年の動物たちの異変じゃないか? 帝国が神の骸を揃えたことが原因だったのか。
「しかし、ディオスギトゥティエリァス様の首を落とすなど許容できん」
「そうだね、レオシアンも怒っちゃうよ。そうなったらみんな死んじゃう」
「……は?」
みんな、死んじゃう?
「レオシアンがその気になれば全ての命を奪うことが可能だ。生死を司る存在だからな。我らもあの神の死の力からは逃れられん。そいつのように光のと契約している愛し子なら多少は抵抗できようが、神力が保つまい」
トトがカイを指差してそう言った。……なんかやっぱり神力っての、魔力のことを言ってるっぽいな。
「いいか、奴が暴走すればこの世界、レオシアン以外のすべての命が消えるんだぞ。……それでは誰も報われん」
文字通り絶滅の話だった。……相手は本気で、正真正銘マジモンの神様なのだ。迂闊なことはできない。
「そもそも墓守である我らがいるのだ。脆弱な愛し子ごときに遅れは取らん。情報はありがたいが、さっさとお前は神聖国に戻るべきだ、竜剣の継承者よ」
「それは……」
……その通りだ。
トトとギギは人間より遥かに強い。まさかこんな存在が墓を守っているとは思わなかった。……選択肢を、間違えてしまったのだろうか。
だがそこで、ギギが「あっ!」と何かを思い出したようだった。
「トト、今は春!」
「何? ……ああクソ! そうか……神力充ちる夜が来る。タイミングが悪い」
「神力充ちる夜とはなんだ?」
「星がたくさん降る夜があるだろう。あれは神力をこの地に循環させているのだ。我らは睡眠も食事も必要としない存在だが、その夜の星が降っている間のみ、眠る。絶対に目覚めん」
……精霊祭のことだ。あの流星群にそんな意味があったなんて。
つまり1年のうちたった数時間、竜の墓が無防備になるのだ。それに合わせたかのように……いや、実際合わせたのだろう。帝国がやってくる。
「……仕方がない。竜剣の継承者よ。神力充ちる夜の、我らが目覚めるまでの数時間、可能な限りこの墓を守れ」
「……わかった。最善を尽くそう」
数時間といえど、相手は帝国選りすぐりの魔術師たち。おまけに夜で、防衛戦だ。……カイたちだけでは厳しい。ルージェナとツィリルをどうにか巻き込むとしても、人員不足は否めない。近場で一緒に戦ってくれる人を集める必要があるだろう。……精霊祭まで、2週間もない。急がなければ。
思えば1年前のあの日。カイにとって、魔術学園で風の神の骸が盗まれたあの日から、この因縁が始まったのだ。また同じ精霊祭の夜に戦うことになるなんて、なんとも因果な話である。




