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73.求めるもの


 夜明け前が一番冷える。

 コートを羽織ったリチャードとローブを纏ったカイが隣の書庫を訪れると、蝋燭の薄明かりの中、本を読んでいたらしいマヌエルが出迎えてくれた。


「やあ、おはよう。悪いね、ゆっくりさせてあげられなくて」

「いえ……ずっと起きていらしたんですか、殿下」

「夜更かしは引きこもりの義務みたいなものさ」


 そんな義務あってたまるか。彼の引きこもりに対する妙な拘りはなんなのだろう。


「……それにしてもリチャード、君は反逆者だろう? いつまで僕に敬称敬語を使ってるんだい? 昨日からずっと思っていたけれど、滑稽だな」

「それ、は……」

「あはは、そんな顔をしても苛めたくなるだけだからやめたまえよ。僕は君が嫌いだ。君自身がどれだけいい奴だろうと割り切れない。僕たち兄弟は幼いブライアンを除いてみんなそうだ。わかるよね?」

「………」


 いきなり剣呑な会話が繰り広げられてカイは戸惑う。リチャードはやはり、どこか痛そうな顔をして俯いていた。

 心配そうに見上げていたら、マヌエルが「気になるかい?」と尋ねてきた。

 気には、なる。しかし踏み入っていい話題なのだろうか。躊躇うカイにマヌエルは気にする様子もなく語り出した。


「この男とその妹が皇帝のお気に入りだってことは話しただろう? 随分と親父殿に構われていたよ。僕ら実の息子たちとは違ってね」


 単純な話さ、と第二皇子は謳う。


「親父殿は実の息子なんて興味なくて、リチャードばかり認めていたからね。子供の頃からずっとさ。嫌になるに決まっているだろう?」


 ……でも、それは。


「わかってるよ、リチャードのせいじゃない。でも割り切れないものさ。親父殿……皇帝陛下には妙な魅力があってね。凛としたあの人を前にすると……見てもらいたい、認めてもらいたいという気持ちになる。ああいうのも、魔性というのかもしれないな」


 マヌエルは目を細めて言った。

 魔性というものにはピンとこないが、認められたいというその気持ちは……わからないことも、ない。特に子供が親に認められたくて頑張るなんて、ある意味自然なことだろう。認められて、褒められればそれは大きな自信になる。


「……だが、どれだけ頑張ろうと僕たちはリチャードと違って、親父殿には見てもらえないどころか、名前すらろくに呼んでもらった記憶がないのさ。だからもう、兄上なんてグレて女に走るし、僕はこうして引きこもりになるし、弟のジェイコブは……──あの子は一番哀れだね。下手に魔術の才能なんかあったもんだから、周りは期待してしまった。いまだに親父殿に認められたくて躍起になっている」

『ジェイコブとは面識があります。魔術学園で同期でした』


 カイの文字を見たマヌエルは、「そうだったのか」と驚いた顔をした。リチャードも驚いている。……そういえば言ってなかったか。


「それは災難だったね。きっと酷い目にあったろう。……別に許す必要はまったくないが、ただあの子が……父親に愛されたいだけのただの子供だってことは、一応知っておいてくれ。下手に力があるぶん厄介だけれどね」


 彼のやったことは到底許せることではない。カイの大切なものをたくさん傷つけた。

 だが、子供だというのは……確かに、事実なのだろう。見た目通りに、体も、心も。


 リチャードと皇子たちの確執はよくわかった。しかし聞いていると、なんだかあらゆる歪みの中心にストレリチア帝国皇帝がいるような気がする。

 ずっと沈黙していたリチャードが口を開いた。


「……マヌエル殿下。あなたは皇帝陛下が絶対に間違わないと言った。それはどういう意味です?」

「はは、やっぱり口調は変えないのか。罪悪感など抱く必要はなかろうに、律儀だな。……そのことについては、うん、どう説明したものか……」


 言葉を選ぶように、マヌエルは続けた。


「たぶん親父殿本人も自覚はしていないと思うんだが……采配を、間違えないんだよ。必要な人や物を必要なところにピタリと当てはめる。一見おかしな人事でも、途中でおかしな戦況になっても、妙なものを誰かに下賜した場合でも、最後には必ず結果が伴う。──まるで神に愛されているみたいだ」


 ぞわりと背筋が冷たくなる。闇の女神の声を聞いているという皇帝陛下。それと関係があるのだろうか。


「だから、リチャード」


 マヌエルはひたりとリチャードを見つめた。……正確には、彼が背負っているその黒い大剣を。


「国宝であるその剣がお前に与えられたことには、きっと意味がある。……覚悟しておきたまえよ」

「っ……!」


 リチャードが息を飲む。……というか、国宝って言った……?

 竜の牙で作られた大剣だという話だったが、なるほど確かにそれが事実なら国宝でもおかしくない。普通に使っているようだが一体どれほどの価値があるのだろう。……触るどころか振るっちゃったことあるな、とカイは少し気が遠くなった。


「……さて、と。随分前置きが長くなってしまったが、昨日話せなかった闇の女神の目的についてだ」

「ここの国主に話せない理由があるんですよね?」

「あー……まあ、そんなの、さ。わかるだろ? 女神様の目的だぜ? 神話くらい知ってるだろう」


 リチャードはよくわからないといった顔をした。カイは神話という言葉から、この自称国とも関わりの深いワードにふと行き着く。

 ……まさか。


「竜、だ。女神は己が愛した竜を求めている」

「な……」


 竜。一度だけ遭遇したことがある、あの巨大な、美しい生き物。魔術を学んだ今でも、人間なんかが敵うとは思えない圧倒的な存在。

 ……それを、求めている? いや、そもそもあの神話で女神と竜はハッピーエンドではなかったか?


「どういう……ことですか? 竜というと、帝国の北の山脈に棲んでいるとは聞きますが……」

「いや、そこじゃない。どうやら女神の愛した竜は墓に埋葬されているらしい」

「埋葬? 死んでいると?」

「そう。神話が事実だとしても大昔の話だろう? 死んでいてもおかしくはない。そしてどうやらその墓を暴くのに必要な鍵が、あの神の骸っていう巨大魔石みたいなんだよな」


 墓を暴く? そんなことをしてどうなるというんだろう。だってもう、死んでいるのに?


 ──いや。いや、待て。墓には……まさか今も、死体がある、のか?


『……リチャード。闇の魔術では、どれだけ大きい動物の死体を動かせる……?』


 たまらず男の胸倉を掴み寄せ、カイはその耳元で尋ねた。質問の意味を理解したリチャードが目を見開く。


「竜はかなりの大きさだと聞く。普通ならまず無理だろう。帝国中の魔術師を集めても魔力が足りるかどうか。だが……」

「近年帝国では闇の魔石がいーっぱい作られてるねえ。ま、それがなくても相手は神様らしいから、どうなるかわかったもんじゃないよ」

『!』


 なるほど、これは……かなり、マズい状況じゃないか。


「闇の女神を封じ続けていたストレリチアが、竜を手に入れた女神に何もされないと思うかい? 滅びるだろうという予想はそんなところさ」

「それは……帝国だけで済む問題なのですか?」

「さあ? 世界中が大混乱に陥るのは想像に難くないけどね。女神だの竜だのこうして色々調べたところで僕の手には余る」


「で、その竜の墓とやらはどこにあるんじゃ?」


「ああ、それなら……って、え!?」


 聞こえるはずのない、いや、聞こえてはならない涼やかな声が響いた。

 マヌエルだけでなく、カイもリチャードもぎょっとして声がした方向に目を向ける。


 うっすらと明け始めた空。淡い紫のグラデーションを背に、窓の外に浮く彼女はぞっとするほど美しい。

 ペラルゴ国主ルージェナ。風の魔術を自在に操るその女は、どこかうっとりとした瞳で室内の3人を見つめていた。


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