71.不穏な帝国
「抹消された資料も多くてはっきりとはわからないけれど、少なくとも3回。ストレリチアでは権力争いで大きな政変が3回は起きている。そのたびに教会の力は衰退していった。直近は親父殿……現在の皇帝陛下が帝位につくまでの争いだね。教会関係者もけっこう巻き込まれて死んでて、その数少ない生き残りがどうやらこの国にいた賢者様だったようだけど……」
「え、そうじゃったのか?」
「だからなんで知らないんだよ姫さん。まあ僕も調べて調べて最近ようやく知ったんだけどさ、君は知ってなきゃおかしいだろ」
第二皇子が半眼になって国主様を見つめる。しかしルージェナはあっけらかんとしていた。
「出身なぞどうでもいいわ。……しかし帝国の教会関係者じゃったのか。普通に妾たちと一緒に竜を崇めておったぞ。真剣にな」
「いやいやお嬢、賢者様どう見ても面白がってましたよ。いっつも笑いながら竜を崇めるポーズしてましたもん」
「そうじゃったか? あと姫と呼べぃ」
竜を崇めるポーズってなんだ。絶対変なポーズだろう。
それはさておき、賢者様が帝国から逃げてきたのなら身分を明かさなかったのも無理はない。まさか帝国も、こんなトンチキ宗教国家に教会関係者がいるなんて思わなかっただろう。いい隠れ蓑である。
「……賢者様の話は今は置いておこう。とにかく、政変で教会の力が弱まり、同時に闇の女神を鎮める力も弱まった……と、推測している」
「ああ……だからか? 皇帝がときどき『女神の声がする』と言っていたのは。政務に疲れすぎて幻聴でも聞こえるのかと思っていたが……」
リチャードのぼやきにぎょっとする。女神の、声? なんだそれは。
「僕もさあ、女神様なんてそれこそただの昔話で、実在なんてしないと思ってたよ。でもさぁ……ねえカイくん? 治癒術師ってのは光の女神様に祈るだろう? それはなんで?」
マヌエルに尋ねられ、カイは戸惑いながらもノートにペンを走らせる。
『祈ると治癒術の調子が良くなります。逆にずっと祈らないでいると、治癒の効果が薄くなる』
正確には精霊の元気がなくなるのだが、マヌエルはおそらく魔術師ではないので精霊のことまでは書けない。……まあ、独自に調べて知っていそうではあるが。危ない橋は渡れない。
うん、と皇子は頷いた。
「らしいね。祈れば恩恵がある。それ、どうやら闇の魔術も同じらしくてさあ。リチャードは魔術の勉強を途中でやめちゃったから知らないだろうけど、最近帝国の魔術師たちが教会でなんて祈ってると思う? ……『女神様お目覚めください、力を分け与えください』だ」
リチャードの眉間に深い皺が刻まれた。
それでは、ストレリチア神聖国と呼ばれていた頃とは真逆だ。本来なら鎮めておかなければならない女神様に、そんな呼びかけをして大丈夫なのか。
「良くない……実に良くないよ。親父殿が聴いているらしい女神の声とやらは、本当に闇の女神様である可能性が高い。実際に存在し、現実世界に影響を与えている。あの神の骸とやらを揃えてしまったのがいい証拠だ。本来帝国が鎮めておかなければならない存在の意のままになっている。よりにもよって親父殿というのが最悪だ。皇帝だってだけじゃない。あの人は有能すぎる。絶対に間違わない」
間違わない?
皇子の言葉はどういう意味なのかとリチャードを窺ってみたが、彼も真意を測りかねているようだった。……ストレリチア帝国皇帝、どんな人なのだろう。
「……それで、その闇の女神は皇帝陛下を唆して、何をしようとしているんです?」
「予想はついているがここでは言えない」
ちらりとマヌエルの目線がルージェナに向いて、すぐに逸らされた。……彼女には聞かせられない、ということか?
「とにかく、闇の女神は死を司る神だと資料にあったからね。帝国に留まり続けるのは危険だと判断して、大人しく誘拐されたんだよ。本当はブライアンも連れて来たかったが、あの子は病弱だからな……」
誰のことだろうと思っていたら、リチャードが「第四皇子のブライアン殿下のことだ」と教えてくれた。……第四皇子といえば、アマンダが結婚させられそうになったまだ幼い皇子だったっけ。病弱なのか。
「……マヌエル殿下、リリィは無事ですか」
絞り出すようにリチャードが問うた。
「君の妹か。……彼女は空っぽだと、もう知っているんだろう? 知ったから反乱なんて馬鹿なことをしたんだろう? 今更どうするつもりだ」
「それでも……それでも、あいつは俺の妹です。取り戻したい」
「……そう。君と同じくあの子も親父殿のお気に入りだからね。大事にはされてるらしいよ、お人形さんみたいに」
とりあえず、無事ではあるらしい。リチャードの妹の名前はリリィというのか。そういえば初めて聞いたな、と気づく。どんな子なのだろう。このイケメンの双子だし、やっぱりめちゃくちゃ美人なのかな。
「ふぅむ。正直なところ話の半分も意味はわからなんだが、第二皇子の予想が当たったとして、帝国が滅びるのはいつ頃になるんじゃ?」
ルージェナはいつの間にか、備え付けられていたカウチにだらだらと横になっている。質問内容に反してどうにも緊張感がない姿だ。
「さてね。そう遠くない未来だろう。……滅亡が帝国内だけで済めばいいんだが……」
何やら小声で不穏な言葉が付け足された。
帝国がどう滅びるのか、という詳細を教えてもらっていないので、荒唐無稽だと笑い飛ばすこともできるだろう。でも、マヌエル皇子から聞いたことがすべて真実ならきな臭いことこの上ない。
リチャードが俯く。……彼の妹を助けるにしても、あまりのんびりしていられなくなってしまった。
ぐうぅぅぅう。
空腹を訴える音がやけに大きく響いた。全員の視線がカイに集中する。……ああもう、どうしてこんなシリアスな場面で鳴っちゃうかな。恥ずかしい。
「……ふ。山を登って、温泉に入って、そういえばろくに食べていなかったからな。俺も腹が減った」
張り詰めていたリチャードの表情が和らいだ。
「そろそろ日も暮れてくるしのう。おいツィリル、なんか作れ。こやつらの分もな」
「え〜〜、お嬢のはいいっすけどコイツらのも〜?」
「姫と呼べ! どうせ其方が喧嘩売ったんじゃろうが。詫びじゃ詫び。ほれとっとと作らんか」
「ちぇっ……」
すごすごとツィリルが書庫から出て行く。……騎士が主人の料理まで作るのか。いや、下僕でもあるのだから当然なのか……?
「僕の分はあとで持って来て。で、君たちはさっさと出て行きたまえよ。ここは崇高なる引きこもりである僕の城だぞ」
「勝手に住み着いて何を言っておるか。ちょっとは人質らしくできんのか?」
「賢者様がいなくなった分の仕事を引き受けてあげてる僕にそれ言う〜?」
「まあそれは助かっておるがの」
なんと、賢者様の仕事はマヌエル殿下が引き継いでいるらしい。……いいのかそれは? この第二皇子にペラルゴ乗っ取られないか?
カイはハッとして、ここに来た目的を思い出す。そうだ、リチャードの身分証。彼に頼めばいいのか。
しかしノートを開こうとしたところで、マヌエルに背を押され、皆まとめて書庫から追い出されてしまった。
「……君たちとはまたあとでね」
ルージェナには聞こえないようこっそりと、そんな言葉を残して。




