66.きみのことを愛している
「そっちに行ったぞ!」
リチャードに追い立てられた鹿が、木陰に隠れたカイに気づかずまっすぐに向かってくる。風の魔術とともに、ナイフを投擲した。
「───ッ……」
声にならぬ悲鳴をあげ、首にナイフが刺さった鹿は雪の中に倒れた。中々の大物だ。
ナイフを抜いて、血抜きをする。しばらくすると鹿は完全に絶命した。
リチャードが闇の魔術を使い、その死体を川の近くまで移動させる。あとは洗浄して内臓を取り除き、毛皮を剥いで解体だ。このあたりはトゥオミと一緒にいた時に叩き込まれた。今では慣れたものである。
帰らずの山は長年支配していた魔獣がいなくなったことにより、近隣からさっそく多くの獣たちが戻ってきていた。
森の民曰く、以前から様子がおかしかった動物たちは、夏頃からさらに様子がおかしくなり、なぜか南の方から逃げてきているのだと言う。おかげで比較的北に位置するこの山々では、冬にも関わらず獲物には恵まれていた。
「これでしばらく肉には困らないな。……ん?」
荷物を背負った狼がカイたちに近づいてくる。ターティだ。
「さてはお前、解体が終わるのを見計らってたな?」
「アオン!」
尻尾を揺らしながら吠えたターティを撫でるリチャードを横目に、カイは荷物を改めた。中には干した野菜や果物、それに塩が入っている。ありがたい。今夜は少し豪華な食事にしよう。
リチャードから鹿肉をもらったターティは、おいしそうにガツガツ食べ、川の水を飲み、伸びをする。しばらく体を休めたらすぐに帰ってしまうので、モフるなら今のうちだ。
人の足では10日近くかかってしまった道のりも、狼だけなら2〜3日らしい。トゥオミはけっこう頻繁に食料を届けてくれていた。
それにしても、少し不思議だ。精霊や竜なんてまさにファンタジーな例外もいるけれど、基本的な動植物は前世の地球とあまり変わりないように思う。地球と似たような進化を辿った世界なんだろうか。
その例外の最たる精霊たちには、最近ちょっとした変化があった。リチャードが傍にいるとき、よく光の精霊が現れるようになったのだ。一方で風の精霊はあまり出てこなくなった。三つ目は陽気な奴なので心配に思っていたが、よく観察するとリチャードがいないときには問題なく以前のように出てきている。彼が苦手なんだろうか。
さすがに魔術を使う時には出てきてくれるが、今も三つ目は姿を消していた。一方でシロはなにかとじゃれている。……なにか、だ。カイの目には見えていない。もしかしたらリチャードが契約している闇の精霊かもしれなかった。
ひとしきりなにかと遊んでいた白猫は、飽きたのかやがてカイが撫でているターティのもとへとやってきた。しばらく見つめあったかと思うと、狼がふいに立ち上がる。
「……どうした?」
食料をまとめ終えたリチャードが声をかけると、ターティはシロとともに少し歩いてこちらを振り向いた。まるでついて来いと言わんばかりだ。
カイはリチャードと目配せし、頷いた。彼らのあとをついていってみよう。
道無き道を、ターティはするすると進む。これには背が高く体格もいいリチャードの方が苦労していた。縦横無尽に伸びる木の枝を避けながら歩く。
30分ほどで、あきらかにおかしな場所に出た。崖が抉り出されたような形の大穴。だが、それだけではない。この周囲だけ、魔力が異常に濃い。肌で感じるほどだ。
「ここは……あの魔獣が住処にしていた場所か?」
おそらくそうだろう。改めてあの熊の異常さを知る。普通はこんなことにならない。
『キキイ!!』
唐突に風の精霊が飛び出してきた。リチャードが近くにいるのにどうしたんだ、と思ったら、まっしぐらに近くの木に飛んでいく。シロも同様に、木の上に駆け上がった。見上げて気づく。
「な、なんだ……? 精霊が……、あの実は?」
ブドウによく似た形。間違いない、デルカの実だ。まさかこんなところに生えているとは。
カイはデルカの実についての説明をノートに書いてリチャードに見せる。シロが狼とどういったやり取りをしたのかは知らないが、見事に誘導されたものだ。
「精霊が好む食べ物があるとは知らなかった。人間も食えるのか?」
『おいしくないってさ。精霊は大好物みたいだから、少し摘んでいこう』
もうずいぶん長く教会にいけていないので、特にシロにはご馳走だろう。多めに取って、保存用に乾燥させておくのもいいかもしれない。
「カイ。こっちにも何か実がなってるが」
言われて見れば、雪の中に見たことのある小さな赤い実がいくつもなっていた。いつかの灯里と作った雪だるまのことを思い出す。同じものだ。懐かしい。たしか名前は。
『ヒイラギだよ。これも食べられない』
正確には前世で言うところの西洋ヒイラギだ。そう、彼女はこの実をかわいいと言って気に入って、それで翌日からおれのことを『ひーくん』と……──
ああ、そうだ。そうだった。
「そうか。可愛いらしい実だが葉はずいぶん力強いな。……って、おい!?」
ぽたりと、そのその実の上に涙が落ちた。なんで忘れていたんだろう。
柊 真斗。それがひーくんと呼ばれた、カイの前世の名前だ。
「……なんで泣きながら笑ってるんだ」
笑ってる? ……そうか。カイは今、笑ってるのか。
その赤い実をひとつ摘んで、ぱたりと雪の上に体を倒した。リチャードが戸惑っているが、構わず木々の隙間から覗く空を見上げる。手に持ったその小さな小さな赤を、天にかざした。
──灯里。きみのことを愛しているよ。これまでも、これからも、ずっと。
本当は、いつまでもきみを探していたかった。……でももう、きみを思い出にしなくちゃいけない。
柊の実を、空へと投げる。大きく飛んでいったその赤は、どこかの枝に引っかかったのか、落ちることなく視界から消えてしまった。
「カイ……?」
心配そうに覗き込んできた男に、笑いかける。涙はもう止まっていた。
リチャードが耳を近づけてくれたので、そっと宣言する。
『いつか、話すよ。おれが世界一大切にしてた人のことなんだ。……聞いてくれると嬉しい』
「……そうか。わかった」
何か察してくれたのだろう。不器用に笑った男は、やっぱりちっとも彼女に似ていない。
それが妙に嬉しくて気持ちよく、カイは声が出ないにも関わらず大口を開けて笑うのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この話で第一部というか、物語の前編が終了になります。よければ評価やブクマしていただければ嬉しいです。




