65.これから
濡れた服を脱ぎ、毛皮のコートだけを纏ったリチャードは、そのまま山小屋に魔獣の首を持ち帰った。トゥオミは目を丸くして驚いたあと、「よくやった!」と破顔する。聞けば、彼が凶つ熊を討伐できる確率は3割くらいだと踏んでいたらしい。
「カイもよく無事だったね」
なんとかね、というつもりで苦笑いしてみせる。ほとんど見ていただけだし何もできなかったのに、数回死にかけた。八つ裂きの凶つ熊、恐ろしすぎる。
「とりあえず、各地の森の民へはあたしから通達する。これからあんたを捕まえよう殺そうって森の民は出てこなくなるだろう。……おおっぴらにはね」
それは、そうだろう。償いに誰にも倒せなかった魔獣を倒したからといって、罪が消えるわけではない。死神に恨みを持ち、割り切れない思いを抱えている人だってきっといるはずだ。
「……わかっている。命令だったとはいえ、帝国の森の民を殺したのは間違いなく俺だからな」
「うん。せいぜい夜道には気をつけることだね。──で、これからどうするつもりだい?」
「これから……」
それはカイも気になっていた。
帝国に追われていて、各地に指名手配もされている。森の民との確執は表面上解決したことになったが、親しくとはいかないだろう。これからどこへ行き、何をするのか。
「……俺には双子の妹がいる。その体を帝国から取り戻したいが、難しいだろう。第一取り戻したところで居場所がない。正直……どうすればいいかわからないんだ」
妹って双子だったのか。男女の双子って珍しいな。そう思ったところで、ひっかかりを覚える。
体を取り戻したいってなんだ?
『妹を取り戻したい、じゃなくて?』
ノートの文字を見て、リチャードは「ああ」と頷く。
「妹はどうやら……生きてはいるんだが、生まれた時からずっと意識がなかったらしい。帝国の魔術師に操られながら今まで生き永らえていたようだ。俺も知ったのは最近で……ずっと、くるくると表情がまわるお喋りな可愛い妹だと思ってたんだがな。全部創られた偽りだった」
「な……なんだいそりゃあ……」
絶句した。生まれた時から意識がなかった? いや、そういうことも勿論あるだろう。でもそのあとだ。
帝国の魔術師ということは、当然闇の魔術師だろう。意識がなければ生者でも操れるのか? たしかにそれなら……植物状態の人間を生きながらえさせることも可能かもしれない。でも、赤ん坊の頃からずっと? 狂気だ。
それに……生命維持のためだけならさておき、勝手に体を使うなんてあんまりじゃないか。
「帝国から連れ出せば妹はもう生きていけないかもしれない。それでも……あのままよりは……」
「……両親は?」
「わからない。会ったこともないし、聞いても誰も教えてくれなかった。俺たち双子はなぜか宮殿で育てられたんだ。かと言ってどの皇族とも似ていなかったし……唯一、皇帝にだけは気に入られていたが……」
「随分キナ臭い話じゃないか」
トゥオミの言葉にカイも同意だ。どう考えてもリチャードはただの剣士ではない。
だがそれをここで考えてもどうしようもないだろう。彼のやりたいことはわかったのだ。ならば。
『妹さんのこと、助けよう』
「は?」
カイの文字を見たリチャードが、思いきり変な顔をした。
『もちろん今すぐは無理だ。おれたちだけでも無理。力を持つ人の信頼を得て、協力してもらおう』
「ちょ、ちょっと待ちな、カイ。あんたそれは……どうするんだい? 帝国と敵対してる国でも動かす気? 無茶だよ」
『ペンタスの女王陛下には貸しがあるし、一応すごい魔術師の知り合いもいる。無茶かどうかはわからないよ』
トゥオミが戸惑っている。
もっとも、アマンダが仇敵の死神に手を貸すとは思えないし、マルティーネはどこにいるかさえわからない。先行きはまったくもって不透明だ。でも。
『リチャード、妹はちゃんと生きてるんだろう?』
「あ、ああ……俺に対する切り札にもなりうるだろうし、皇帝は妹のことも気に入っていた。とても殺されるとは思えない」
『じゃあ、諦めたらダメだ』
手遅れなのに諦められず、前世を引きずってここまで来てしまったのがカイだ。大切な人が生きているのに諦めるなんて片腹痛い。
まっすぐ見つめるカイの視線を、リチャードはどう受け取ったのだろう。
「……手伝って、くれるのか?」
力強く、肯いた。
「どうしてそこまで……」
『旅の治癒術師だから。拾った命には責任を持つ』
「拾った命……」
「アッハッハッハ!」
愕然としたリチャードの横でトゥオミが大笑いしだした。まあ、めちゃくちゃな言い訳である自覚はある。カイだって、今後はどうしようかと思っていたところなのだ。せっかくならとことんこの男に付き合うのも悪くない。
ひとしきり笑い倒したトゥオミが、いまだに呆然としている男の背中をバンバン叩いた。
「いやぁ、すごいのに捕まったねぇ死神」
「………」
「それで? これからどうするつもりだい?」
『モンステラ王国に向かおうと思います。叔父と叔母の家があるので、あの人たちなら事情を話せば受け入れてくれるはず』
もともと人探しをしながらの帰路の途中だったのだ。一度実家で落ち着いてから、あらゆる伝手を駆使して妹さん救出方法を模索すればいい。
問題は、道中誰にも捕まらずモンステラに入国できるかどうかだが。
『そういえばリチャード、身分証はあるのか?』
「身分証……って、なんだ?」
その場の空気が固まった。……ちょっと待ってほしい。
「……あたしら森の民はもともとどの国に所属してないから身分証なんぞないが、たしか入国するには必須だろう? 今までどうしてたんだい?」
「普段は宮殿にいて、出撃命令がなければ出かけることはなかった。国外に出たのはこの前のマトリカリアが初めてだったが……そうか、身分証というものが要るのか」
……箱入りってやつだろうか。魔石の件に関してもそうだが、少し世間知らずなところがあるらしい。
しかし、参った。これではモンステラどころか、どこの国にも入れない。頭を抱えたカイに、トゥオミが「あんまりオススメはしないけど」と前置いて言いにくそうに提案した。
「身分証がなくても大歓迎、っていう自称国ならある」
「自称……?」
なんだそれは。胡散臭いにもほどがある。
「そう。その自称国で身分証を作れば、入れる国が一応ある。ただ、ここら一帯……特に帝国なんか完全出禁の身分証でね。遠方の小国あたりじゃないと入国できないから、改めてそこまで行って作り直す必要がある」
……一応、正規の身分証を作れるらしい。犯罪に手を染めるよりマシだが、話を聞く限りこの周辺諸国からも森の民からも国として認められてないっぽい。大丈夫なんだろうか。
『ちなみにどこにあるの?』
「ここから南の方にある山の山頂付近。ペラルゴって国さね」
「さ、山頂だと……?」
場所もとんでもなかった。
困惑しきりのカイとリチャードに、トゥオミは「変な国だけど現状最善手だよ。オススメはしないけど」と改めて反応に困ることを言う。
「じゃあ……行ってみる、か?」
まあ、他にいい案も思い浮かばない。カイは頷いた。
しかし今は冬だ。雪も降りだしてしまったし、土地勘のない山を移動するのは厳しい。遭難するに決まってる。
トゥオミもそれはわかっているのだろう。春までこの山小屋を使っていいと言ってくれた。
「あたしは一旦この熊の首を持って仲間のとこへ戻る。ここに人が来ることはまずないから捕まる心配はしなくていいよ」
「助かる」
「時々ターティに食料を届けさせよう。春になったら南の山の麓まで案内するよ」
彼女に撫でられた狼が、うおん! とご機嫌に吠えた。
『何から何まで、ありがとうございます』
「長年あたしらを困らせてた魔獣を退治してもらったんだ。これくらいなら他の奴らも文句は言わないさ」
そう言って、彼女は手早く荷物をまとめて狼たちと一緒に出て行ってしまった。見送って、小屋の中へと戻る。……春までリチャードとふたりきり、か。
まあなんとかなるだろう。とにかくこの冬を乗り越えて、身分証を作りモンステラへと向かうのだ。




