64.魔獣討伐
翌朝は晴れたが、思ったよりも雪が積もっている。洞窟から外に身を乗り出し、リチャードは眉根を寄せた。
「厄介だな……」
雪に足を取られるからかと思ったが、どうやらそうではないらしい。昨日のような、あからさまな魔獣のプレッシャーを感じなかった。気配を消しているようだ。
つまり今度は、待ち構えているのではなくあちらから出向いて、カイたちを狩ろうとしているということ。リチャードが片目を潰して、激怒していたのだから当然といえば当然か。
この山は奴の縄張りだ。迂闊に動けば背後から襲われるに違いない。
「……カイ、他に上着は持ってないか?」
一応替えの服はある。取り出したものをリチャードは検分すると、魔術学園時代の小豆色のローブを手に取った。
「こいつをお前の代わりにする。中身は……そうだな、雪玉でいけるか」
代わりってなんだ? 疑問に思いつつも、リチャードに言われるまま自分の頭サイズの雪玉を作った。その下に肩幅サイズの木の枝が取り付けられ、ローブを被せる。もうひとつリチャードが作ったものには、彼が今着ている毛皮のコートを被せていた。上に刺したまばらな枯葉たちは……まさか髪の毛のつもりだろうか。
「片目は潰しているし俺たちの匂いもついている……から、熊相手だし遠目なら気づかれないだろう。多分」
前衛芸術のような仕上がりのそれ。胡乱げなカイの視線に気づいたのか、リチャードはそう言い訳をした。雪玉と枝だけで気づくも気づかないもないだろう。そう思ったのだが。
「エ・ラリ・シアン・アニエ・ウヌ(闇の精霊よ、力を貸してくれ)」
闇の魔術だ。彼が魔術を使っているのを初めて見たので驚いた。そういえば、あの魔石に封印されていたのはこの男の精霊だと言っていたっけ。
魔術で操られた雪玉がふわりと浮かび上がると、即席の人形の出来上がりだ。
「これを囮に奴をおびき出す。途中までついてきてくれ。戦闘になったら待機して、安全な場所で動くなよ」
カイが頷いたのを確認して、リチャードはまず人形を先行させた。
洞窟を出ていきなり襲われることはなかったので、この場所が見つかっていたわけではなさそうだ。とりあえず安心する。
どこで戦うかの目星はつけていたらしい。リチャードは人形たちより風上になるよう、距離を置いて動き出す。カイもそれに続いた。
斜面の下に少し開けた場所がある。そこに身代わりを待機させ、藪の中に隠れた。風向きに常に注意する。風下になってしまったら、匂いで人形より先にこちらに気づかれてしまうだろう。
じっと待って、30分ほど。──それは、一瞬の出来事だった。
音もなく飛び込んできた巨体。目にも留まらぬ速さで薙ぎ払われた人形に、リチャードは剣を構えて飛び出した。同時にカイは安全だと思う場所まで後退する。
凶つ熊は手応えのない人形に虚をつかれたようだった。動きが止まったその刹那、大剣が太い後ろ足を深く切りつける。流れるように前足も。計2本。魔獣がリチャードの姿を認め、吹き出した血に顔を歪めた。
「グオオオオオオオオオオ!!」
「!?」
激しい咆哮とともに、リチャードを襲ったのは大量の水だった。……忘れかけていた。この熊は火と土だけでなく、水の魔術も使うのだ。
リチャードは全身に水を被ってずぶ濡れになっている。この寒空の下、コートも身代わり人形に使ってしまった彼は、ただでさえ薄着だった。このままでは体温を奪われ最悪凍え死ぬ。
あまり時間をかけられないとリチャードも判断したのだろう。素早さを増した剣さばき。足に傷を負った魔獣では避けきれない。
「グルルル……」
「チッ……!」
またあの土棘がリチャードを襲う。が、二度も同じ手を食らう彼ではなかった。貫かれる前に軽やかに跳んで後退する。それに構わず、棘は次から次へと、四方八方から生み出された。
禍つ熊の周辺に、びっしりと魔術で作られた棘が張り巡らされたのだ。自由に動けないので接近戦を避けようということだろう。ならば次の攻撃は。
「ガアアアアアアアア!!」
火の魔術だ。奴は追い詰められている。だが、また昨日のような規模の炎を出されたら、この距離にいるカイでも危ない。
後退しようか迷ったところで、リチャードが魔獣の方へと踏み出したのを見て足を止める。何を。
「くらえ……!」
突き出した手の中にあるのは、カイが貸した火の魔石。だが、何かおかしい。これは……───
光が、炸裂した。
ドオオオオオオオオオンッ! と轟音が響く。カイは地面に伏せて、必死にその爆風をやり過ごした。……たしかに魔石は力の塊のようなものだが、さすがにこれはやりすぎじゃないか?
リチャードはどうなっただろう。爆炎の中、目を凝らす。
地面の棘は爆発で吹き消され、凶つ熊は大怪我を負いながらもふらふらとよろけていた。あれでまだ生きているらしい。リチャードはそれを追って……おい、あいつもなんだか怪我をしていないか?
長きに渡り森の民を苦しめた、八つ裂きの凶つ熊。
弱り切ったその魔獣の首に、黒い大剣が振り下ろされる。
「ガッ……────」
綺麗に両断された頭がゴロリと転がり、その巨体がズドン……と大地に倒れた。
「…………」
無言でそれを見つめるリチャードの元へ、カイは駆け寄る。ふらりと彼の体が傾いだ。
「……治癒術を頼む」
爆発の煽りを受けたらしく、身体中傷だらけだった。わりと重傷だ。慌てて言われた通り治癒しながら、でもなぜだ? と疑問に思う。魔石を使って自分まで傷つくなんて、普通はない。馬鹿なのか?
「ありがとう。……この火の魔石はすごいな。まるで制御できん」
ん?
よくわからない。カイは屈ませた男にそのまま耳元で尋ねた。
『制御できないってどういうこと? 使うときにイメージするだけだろ?』
「イメージ? ……魔力を込めるんじゃないのか?」
は?
『……魔石自体が魔力の塊なのに、なんでさらに魔力なんか込めるんだ? 具体的にイメージすればその通りにできるから、一般人でも使えるのが魔石だろ?』
「……そう、だったのか……?」
あれ? この男一応魔術師なんじゃないのか? いや、魔石の使い方なんて魔術師じゃなくても伝わっているだろう知識だ。しかし、彼の反応からしても知らなかったのは本当だろう。
つまり、込めなくてもいい魔力を込めて、魔石を制御不能にしてしまったがゆえの大爆発、と。
『……次からは気をつけてくれ』
「すまない……」
返してもらった火の魔石を一応確認する。……おかしなところはなさそうだ。
それにしても、誰にも魔石の使い方を教わらなかったのだろうか。……あれ? じゃあもしかして、あの剣の柄にあった闇の魔石にも魔力を込めていた? それであんなわけのわからない死をもたらす剣になっていたのか?
どれほどの魔力を込めたのだろう。この男は見るからに魔力が多い。こんなに見事な黒髪を持つ人は、カイの知る中でも門番と座長だけ……──
そこで気づいた。
「どうした? また俺の顔をジロジロ見て」
またかがんでもらうのもどうかと思ったので、ノートとペンを取り出す。
『年の離れたお姉さんとかいる?』
「いや……家族は妹だけのはず、だが……」
『そうか。いや、ごめん。よく見たら知り合いに似てたから』
「………」
どうして気づかなかったんだろう。リチャードの顔立ちは、花道楽の座長とよく似ていたのだ。見覚えがあるわけである。
しかし、彼は帝国の剣士。花道楽はモンステラ王国を拠点とする旅芸人一座だ。接点があるとはとても思えない。
たまたま似ていただけだろうと結論づけて、カイはリチャードとともに下山の準備を始めた。




