63.きみはもうどこにもいない
洞窟はあまり広くなく、入り口の大きさからしてもあの魔獣は入ってこれないだろう。とりあえずはここで夜を明かすことにした。
治癒し損ねていたリチャードの火傷を治しながら、カイは忸怩たる思いを噛み締める。
……完全に、足手まといになってしまった。
今癒しているこの火傷は、カイを助けようとしなければ負わなかった傷だろう。助けるつもりが逆に助けられた。──何が自分の身は自分で守る、だ。
調子に、乗っていたのかもしれない。
魔術が使えるようになって、攻撃手段もできて。体を鍛えて自信もついた。……それでも、カイは非才の身だ。この男でさえ手こずる敵に、動くにしてももっと慎重に動かねばならなかった。
『……ごめん。言いつけを守らなくて』
そう呼気だけで囁く。
「まあ……軽率ではあったが、無事逃げきれたし治癒は助かった。だからそんなに落ち込むな」
よほどひどい顔をしていたらしい。気遣われてしまって逆に戸惑う。
「それにしても、あそこまで知能があるとは思わなかった。魔術の威力や使い方も含め、あの魔獣は規格外だ。……作戦を練る必要があるな」
剣に触れれば死ぬあの力なら一瞬なのでは? と思ったが、そういえばその力の源らしき闇の魔石はうちのシロがなんかしちゃったんだった。あのときは礼を言われたが、この状況を見ると良かったのだろうかと少し疑問に思う。
「……なんだ?」
今更どうこう言ってもしょうがない。なんでもない、と首を横に振る。
それにしても寒いなと思って洞窟の外を見たら、雪が降り出していた。もうそろそろ山中でなくとも冬と呼んでいい季節だろう。カイも15歳。出身国モンステラでは成人年齢だ。
こんな場所で、こんな男とこんな気持ちで迎えることになるなんて、とひっそり苦笑する。
火の魔石を使って暖を取り、買っておいた保存食で空腹を満たす。リチャードはそういったものは持たされていなかったので、カイの分を分け与えた。
「助かる。……ありがとう」
食べながら、そっとリチャードを見つめる。
帝国の殺戮剣士。死神と呼ばれた男。多くの人間を殺したのは間違いない。しかし今向き合っている彼は、誠実で気遣いもできる……いい奴に見える。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
灯里は痛みも何もかも笑顔で隠してしまうようなひとだった。この男はあまり表情豊かな方ではないし、笑うことなど滅多にしない。その笑い方もえらく不器用だ。けれど彼女と同じように、その心中にたくさんのものを抱えているのだろう。やはり灯里の魂を持つ……───
「またか。その目をやめろ」
怒気を孕んだ声。まずい、また見すぎていただろうか。慌てて目をそらそうとして、次の言葉に固まった。
「俺を通して誰を見ている? 気持ち悪いんだよ、その目。もううんざりだ」
…………な、にを。
誰……誰ってそれは、だって、お前は灯里の生まれ変わり、で……。あかり、は……いや、違う。全然お前なんかと似てない。だから、そんな、誰を見ているかなんて、そんなのは……ああ────嗚呼。
そうだよ。性別も、体格も、身長も、顔立ちも、性格だって何ひとつ似ていない。同じなのは口元のほくろだけ。リチャードが灯里なわけがない。だって。
だって彼女はもう────死んだのだから。
あの日。飛行機が落ちて。新婚旅行で……初めてのふたりきりでの旅行で。これから一緒に思い出をたくさん作ろうね、って笑って。ほんの少し前まで、幸せで……きっと世界一幸せで。もっと、もっともっともっときみと、幸せになるはずだった。
でも、そうだ、もう。
きみはどこにもいない。死んでしまったから。もう会えない。おれに笑ってはくれない。抱きしめることもできない。もう二度と。
「お、おい……」
さっきまで怒っていたリチャードが、困惑したような声を出す。どうしたんだろう。なんだか視界がぼやけて、よく見えない。
……馬鹿だなあ。灯里はもうどこにもいないのに。神様と取引して、声まで失って。
彼女の生まれ変わりを見つけて、守る? 幸せにする? ──もう別人なのに? 灯里の代わりにするつもりだったのか? ……なんて傲慢なことを考えたんだろう。
リチャードに謝らなくては。ああダメだ、滲んで目の前すらよく見えない。泣いてるのか。おかしいな。なんでこんなに痛いんだろう。胸が張り裂けそうってよく小説なんかでは書かれてるけど、こういうことをいうのか。……ああ、痛い。痛いなあ。
でもこれは、ずっと見て見ぬ振りをしていた痛みなのだ。彼女が死んだことを、ちゃんと受け止めなければならなかった。
ふいに温かいものに包まれる。後頭部に添えられた手。流れていた涙が、硬い布に吸い込まれていった。……これは、リチャードの肩、か?
「その……すまない。言い方がキツかった。皇帝に似たような目で見られることが多かったから、ついイラついてしまって……泣かせるつもりじゃなかったんだ」
皇帝も? ストレリチア帝国の皇帝のことか? どういうことだろう。何かあるんだろうか。
いや、今はそれよりも。
『いいんだ。おれが愚かだっただけだから。……ごめん、もう二度と変な目でお前を見ないよ』
「……そうか」
そうだ。きっかけはどうあれ、もうカイはこの男と出会った。
きちんと彼をリチャードとして見て、知ろうと思う。──知りたいと思う。それからどう関わって行くか決めよう。彼の命を、拾った者として。
カイは涙を拭って立ち上がった。まだ胸の痛みは消えない。……ずっと彼女の生まれ変わりを見つけて幸せにすることを支えに生きてきたから、大切な軸のようなものが失われた心細さがある。
「大丈夫か?」
全然。ちっとも大丈夫じゃない。きっとこの痛みと寂しさはこれから何度でもカイを苛むだろう。
でも、大丈夫だと頷いた。
脳裏にアマンダの姿が浮かぶ。愛しい人を失ってなお、前を向いて進み続ける少女。……俯いてたら、顔向けできないだろう。
「……改めて言うが、この魔獣討伐は俺への罰で、俺だけの咎だ。離れて見るのはいいが、明日は手を出さないでほしい」
カイはノートを開く。
『わかった。でも、手伝いが必要なら協力は惜しまない』
「今日の治癒だけでも十分……いや、そうだな。この火の魔石を借りてもいいか? 何かに使えるかもしれない」
それくらいなら手伝いのうちにすら入らない。頷いたカイに、「恩に着る」とリチャードは言った。それから何やら無言で思案しだす。対凶つ熊の作戦を考えているのだろう。
雪はしんしんと降り積もっていた。これならカイたちの匂いを消してくれるだろう。それでも念の為、眠るときは交代で洞窟の出入り口を見張ることにした。
穏やかで、静かで、どこか切なくて哀しい、温かい夜だった。




