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59.覚悟


 ドクドクと心臓が嫌な音を立てていた。

 カイは改めて、死神の顔を見つめる。……おそらくこのまま放置すれば、遠からずこの男は死ぬだろう。クッと唇を噛んだ。


 今まで、灯里の生まれ変わりはどんな人だろうかと色々と夢想してきた。……でも、これは想定外だ。

 ぐるぐると考える。助けた相手が悪人だったら、というマウロ司教の話。首を掲げた死神の姿。英雄の最期。アマンダの顔。……ああ、吐きそうだ。

 どうして、こんなことになっているんだろう。灯里の魂の幸せだけを願っていた。きみがもし、幸せで満ち足りた生活をしているなら、そっと見守るだけでいいと思っていたくらいなのに。


 凍えそうだった心が、体が。やがてふつふつと得体の知れない熱に支配されてゆく。……ああこれは、怒りだ。

 恵まれた容姿、体躯、剣技、魔力。すべて兼ね揃えた彼女の生まれ変わりが、どうして死神なんて呼ばれるまで人を殺して、こんなところで命尽きようとしている?

 カイは赦せなかった。認められるわけがない。彼の事情なんて何ひとつ知らないし、本当に極悪人なのかもしれないが、それでも──それでも、灯里の生まれ変わりが、こんなふうに惨めに死ぬなどと。


 この男を助けても、喜ぶ人間は少ないだろう。むしろ恨まれるかもしれない。アマンダには……怒られるだろうか。嫌われたら困るな。かなり凹んじゃいそうだ。


 ──それでも。


 すう、と深呼吸して、覚悟を決める。光の精霊を確認すると、白猫はこちらをじっと見つめていた。まるですべて見透かしているような瞳。

 カードを取り出し、治癒の呪文を浮かび上がらせる。シロは頷いた。

 大量の魔力が抜かれて、男がいかに重傷だったかを悟る。癒しの光に、死神は徐々に生気を取り戻していった。


「ん……」


 その睫毛が震える。目が開く。髪色と同じく、黒い瞳。


「おま、えは……?」


 彷徨った視線がカイを捉え、白いローブを認めて目を瞠る。


「……なぜ……死なせてくれなかった」


 カイの中で、ぷつりと何かが切れた。

 胸倉を掴み上げ、男を睨みつける。驚いている姿に構わず、その耳元に口を寄せた。


『おれは、治癒術師だ』


 そう、治癒術師だ。もう、いい。この男が望もうが望むまいが、そんなことはもうどうだっていい。

 その魂を投げ出すことは決して許さない。何が何でも、どんな手を使ってでも幸せになってもらう。悪人ならば更生してもらおう。それが地獄の道のりであろうとも。


『お前の命は、たしかにおれが助けた。──だから対価は必ず払えよ、死神』


 にっこりとカイは笑みを浮かべた。これを見たのが親友だったら、きっと引きつりながらこう言っていただろう。その笑い方、アマンダそっくりだぞ、と。


「な、にを……、お前、声が……、いやそれより……」


 死神は随分と混乱しているようだった。状況を確認しようと周囲を見渡し、そこでとある一点に目を留める。……気になってカイも見たが、特に何もない場所だった。彼が何を見ているのかわからなくて、首をかしげる。


「まさか……!」


 男は手元の大剣を取った。思わず身構えるが、切りつけてくるような雰囲気ではない。

 その柄についていた闇の魔石だったものをまじまじ見つめているのを見て、あ、と納得した。そうだ、うちの子がなんかやっちゃったんだった。慌てて、また耳元へ囁く。


『……ごめん。それ、おれの精……あ、いや、えっと』

「精霊か? 心配しなくても俺にも魔術の心得はあるから、話してくれて構わない。しかしどうやって……治癒術師……光の精霊だからか?」


 カイにもよくわからないので何も言えない。死神はなにやらひとしきり考えて納得したのか、剣を鞘に収めてカイに向き直った。


「……この石には俺の精霊が封印されていた。解放してくれたこと、感謝する」


 くしゃりと、泣きそうな笑みを浮かべるのでカイは戸惑った。思っていたよりもずっと、死神は普通の男に見えた。


「それより、さっきの対価がどうとかいう話は……──」

「おいおい、こいつぁ一体どういうことだい?」


 聞き覚えのある女の声に、カイはバッと立ち上がった。木立の向こうから、姐さんと呼ばれていた森の民が狼とともに姿を現す。そうだ、彼女は死神を探していたのだ。


 槍が構えられている。カイは手を広げて、彼女の前に立ちふさがった。


「……治癒術師のボウヤ。なんであんたがここにいる? 庇い立てなんかして、どういうつもりだ」


 女の目が剣呑に光る。


「まさかそいつが何者か、知らないわけじゃないだろう? あたしら森の民はそいつに落とし前をつけさせないといけねぇ。さっさとそこをどきな!」


 槍を眼前に突きつけられて、それでもカイは動かなかった。

 ──きっとこれから先、こういうことは何度も起こる。彼に大切な者を奪われたであろう人々の悲哀を、怨恨を、晴らすことなどできないだろう。茨の道だ。それでも選んだ。


 首を横に振るカイに、女が苛立っているのがわかる。膠着状態を破ったのは、跪いて頭を下げた死神だった。


「なっ……」

「すまない」


 予想外の行動に、女もカイも驚いて彼を見た。


「貴殿の恨みはもっともだ。帝国の森の民は俺が殺した。どれだけ謝ろうと、決して赦されないことだ。おとなしく首を差し出すべきだろう」


 ギロリとカイは死神を睨む。何を言い出すつもりなのか。


「……だが、今の俺の命はひとまずそこの治癒術師のものらしい。こいつへの対価とやらを支払ってからなら、煮るなり焼くなり殺すなり、イッ……!?」


 グーで殴った。思いっきり。綺麗な顔に見事に入った。


「お前っ! なんなんだ、勝手に助けて勝手に、ぐっ……!」


 もう一発ぶん殴って、──治癒術で治した。

 一連の流れを見ていた女はわけがわからずぽかんとしている。死神も同じ顔だ。カイはまた笑顔を作って、死神の耳元に呼気だけで告げる。


『対価は、これからはもう人を殺さないことと、──生きること、だ。拒否は許さない』

「……は? 生きることって……なんで会ったばかりのお前に」

『言っただろう。おれは治癒術師だ。監視のためこれからは一緒に行動させてもらうからな。さっきみたいに己の命を軽んじるつもりならまた問答無用でぶん殴る』

「───……」


 絶句して呆気にとられている顔が、なんだかちょっと面白かった。

 森の民の女はすっかり毒気を抜かれたようで、槍を下ろしてやれやれと頭を掻いている。


「あー……なに話してんのかは知らないが、とりあえず、だ。死神、大人しく拘束されてくれるなら、あんたの沙汰は保留にしよう。……ボウヤ、今はこれで勘弁しておくれ」


 こくり、と頷いた。交渉の余地ができたなら上々である。

 死神はその場で自ら鎧をすべて脱ぎ捨て、ひとつも抵抗することなく縄に縛られた。大剣は女が回収する。


「……なんだいこの剣は。見た目に反して随分軽いじゃないか」

「竜の牙で作られているらしい。本当かどうかわからんがな」


 竜の牙の剣。なんだそれかっこいい。


「へぇ……竜ね。竜かぁ……」


 なぜか女は少し遠い目をした。竜がどうしたのだろうか。よくわからず首を傾げたが、それ以上彼女が語ることはなかった。




 カイと死神は、巨木の根元に建っている小さな小屋へと連れてこられた。聞けば森の民たちは、山のあちこちにこういった建物を作っているらしい。何かあった時の活動の拠点として便利なのだそうだ。

 小屋の備え付けランプに明かりが灯される。狭いが、最低限の生活ができそうな家財は揃っていた。中央にある囲炉裏に火が入れられ、3人で囲む。ひとまずここで一晩過ごすようだった。


「あたしゃトゥオミ。あんたたち、名前は?」


 定型文帳を広げて『カイと申します』の文字をふたりに見せる。


「……俺はリチャードと言う」


 死神はなんだか名前までかっこいい。カイの視線に気づいたリチャードが「なんだ?」と身構えた。……ずいぶん警戒されてしまっている。


「会ったばかりってのは本当みたいだね。……カイとやら。あんた本当になに考えてるんだい?」

『治癒術師ですので』


 それだけ書いて見せる。トゥオミは呆れた顔をしたが、カイはこれでゴリ押しするつもりだった。


 部屋が温まってくると、猛烈な眠気が襲ってきた。……疲れに加え、実は魔力ももうあまり残っていない。くたくただ。リチャードとトゥオミが何か話しているが、内容が頭に入ってこなかった。

 隣の死神に、こてんと体を寄りかける。不可抗力だ。男の体が強張ったのがわかったが、もう意識を保つことができなかった。


 夢を見ることもないくらいぐっすりと、カイは眠りについたのである。


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