53.英雄
「……カ、えるオ・けりん(火の精霊、ケリンよ)」
操られたオレクが、不自然な発音で精霊に呼びかける。
「ッ……ニコロ!」
すぐそばにいたヴァレリオが、ニコロを後ろに引っ張りながら水の魔石を使って分厚い氷の壁を作った。しかし、オレクの炎によって恐ろしいスピードで溶けていく。すべて溶かしきるまで、時間にするとわずか数秒だ。
ふたりはその間にカイたちの方まで大きく後退した。ララも首を抱えたまま戻ってきている。
オレクは……オレクだったものは、剣を構えて虚ろな目をこちらに向けていた。周囲の兵士たちは何が起きているのかわからず、困惑している。
「オレク様……なのか? あの黒い煙のようなものはなんだ?」
「どうしてアマンダ様に剣を……?」
そんな彼らにヴァレリオが叫ぶ。
「土の魔術を使える者は炎に備え対策を! 彼はっ……今の彼は、敵です!」
「……生前より火力がないのが救いだな。動きも精彩を欠いてる」
剣を手に、ニコロが青い顔をしながら教えてくれた。それでも──それでも、彼は間違いなく強い。きっとここにいる誰よりも。
「話には聞いていましたが、本当におぞましいやり口ですね。……アマンダ様?」
アマンダが前に歩み出る。危険だと止めようとしたカイは、彼女の顔を見て思わず動きを止めた。それは同じく彼女を止めようとしたディーノ王子やララも同じだ。
まっすぐにオレクを見つめる彼女の瞳は、怒りに燃えていた。
「……ニコロ、ヴァレリオ。どきなさい」
「はあ!? 殿下、なに言っ……」
振り向いたニコロが、明らかに怯んだ。ヴァレリオも固まっている。
それほど、今の王女殿下には他者を圧倒する迫力があった。
オレクの正面に、アマンダが立つ。操られたオレクが、切りかかってきた。ララが土壁を出そうとする。
「誰に剣を向けているの、オレク」
アマンダがそう言った瞬間、オレクの動きが止まった。ララも紡ぎかけていた呪文を止める。
彼女は、構うことなく突き出されたオレクの剣のすぐ横を通り過ぎ、彼の目と鼻の先に佇む。
誰もその場を動けなかった。
カイはかつて門番が言っていたことを思い出す。動物の死体は完全に思い通りに動かすことができず、生前の習性がでることがあると。……人間も、同じなのかもしれなかった。
オレクは止まった。アマンダの言葉に、反応して。
彼女はそんなオレクに手を伸ばした。両手を頬に添え、怒り一色だった表情を緩める。
ただただ、愛しいものを見る瞳へと。
「……愛しているわ、オレク。だから、あなたが愛したものを、あなたの手によって傷つけさせはしない」
そう言って彼女は、その唇に──いや、その唇の端に。ぎりぎり口づけにはならない場所に、キスをした。それが彼女の精一杯の想いであり、誠意だった。
「──カエルオ・フラージン(火の精霊、フラージンよ)」
魔力貯蔵具を手に、アマンダは唱えた。オレクの体が炎に包まれる。それでもオレクは、虚ろな目でアマンダを見つめたまま動くことはなかった。
燃える──青い炎で。
燃える──服が。髪が。皮膚が。
燃える──鍛え抜かれた筋肉が。臓腑が。
燃える──握られていた剣が落ち、骨になった場所から崩れてゆく。
燃える──彼を愛した、ひとりの女の手によって。
誰もがその様子を、ただただ眺めていた。この国の英雄の最期を、目に焼き付けて。
やがて炎が消える。灰とわずかな骨だけが、教会だったその場所に残っていた。
「……王は死んだ。英雄も死んだ。でもわたくしたちは、まだここに生きている」
そう言って顔を上げたアマンダは、集まっている兵士たちを見回す。その瞳にはたしかな決意が湛えられていた。
「彼らが愛したこの国を、守らねばなりません。二度とこのような悲劇を起こさないように。……彼らに誇れる国でありましょう。彼らに誇れるわたくしたちでありましょう。……ねえ、手伝ってくださるかしら」
ララが、ディーノが。ニコロが、ヴァレリオが。そして兵士たちが。
膝をつき、こうべを垂れた。カイもそれに習う。
「どこまでもあなたについてゆきます──アマンダ女王陛下」
ディーノ王子の言葉が、確かに胸に響いた。自然と皆、受け入れていた。新たな君主の誕生を。
アマンダは微笑む。オレクの剣を拾い、天に高らかに掲げた。
夕日に染められた空。その金の髪が赤金色に輝く。
「……火炎の守護神」
誰かが小さく呟いた。
その姿は、どうしようもなくかの英雄を彷彿とさせたのだ。
絶望の中で輝く光。誰しもが彼女に希望を見た。炎のように赤い空の下、その少女の輝きは、強く強く瞳に焼き付いて。
この瞬間、たしかにアマンダは王であり、同時に英雄だった。
「皆さんご無事でよかったですぅぅぅぅ!」
城に戻ると、お世話係のリンダが泣きながら出迎えてくれた。
帝国の森の民を皆殺しにしたという死神に襲われたのだ。最悪の想定もしていたのだが、思っていたよりもずっと人的被害は少なかった。聞けば、国王と第一王子が率先して前に出て、城の者を逃したらしい。普通は逆で守られる立場だと思うのだが、そこはまぁ脳筋国家マトリカリア。戦わずして何が王か、ということらしい。
それでも、少なからず兵士は死んだ。それも精鋭ばかり。城では大剣が黒く光りひと撫でで死んだという話はなく、死神の強さが本物だということを示していた。思えばオレク相手のときもあの力を使うのをためらっていたふしがある。脅されてもいたようだった。何かあるのかもしれない。
城のあちこちに残る戦いの傷跡。飛び散っている血。すすり泣く声。
死体が運び出されているのを見て、ニコロとヴァレリオはそちらを手伝いに行った。カイも手伝いに行こうとしたが、リンダに止められる。
「カイ様はお客様です。私たちにお任せください」
アマンダも頷いた。
「……そうね。これ以上あなたに迷惑をかけるわけにはいかないもの」
「………」
迷惑だなんて、と紡ぎたかった言葉は音にならない。当然だ。もう喋れないのだから。
「カイ、ゆっくり休みなさい。わたくしは生き残った大臣たちと、少し今後のことを話してくるから」
アマンダこそ休むべきではないか。そう思ったのが顔に出たようで、彼女は困ったように眉を下げた。
「いいの。今はやるべきことをやって、全部終わったらちゃんと泣くわ」
……本当に、彼女には敵わない。
アマンダはララとディーノを連れ、慌ただしく会議室へと向かって行ってしまった。リンダとふたり、広い廊下に残される。
「……とりあえず、あとのことは任せて今日はお部屋にお戻りください、カイ様」
こくり、と頷いた。喋れなくなったことをララが伝えてくれたからか、気遣ってくれた様子だ。
ひとりで部屋に戻り、ソファにどっかりと深く座り込む。何度か声を出そうと試みて、空気だけが喉を通り抜けていくのを虚しく確認した。
精霊語で呼びかけなければ、精霊は反応しない。……魔術が使えない。
白猫と三つ目のミミズクが心配そうにカイを見つめている。ためしに身振り手振りで声が出なくなったことを伝えようとしたが、揃って首を傾げられてしまった。
……これ、詰んだのでは?
カイは真っ青になって頭を抱えるのだった。




